読谷の民俗芸能41 狂言(2) 稲福親雲上
狂言は、せりふで進行する笑いを含んだ劇のことです。沖縄でも明治以降の商業演劇では、「劇」という意味で使用されました。一方、チョウギン・センスルーと言えば「万才」「こっけい」というイメージがより強くなっていきます。
字長浜には、狂言のひとつである「稲福親雲上」(一名タチジャーカマー・孝行口説)が伝承されています。教訓的な要素が色濃く感じられますが、字長浜では、このような狂言を「クジチョウギン」(故事狂言)と呼んでいます。一七一九年、冊封使として来琉した徐葆光は、組踊を観劇し「故事を似て戯を作る」と記録しています。古い出来事、伝承話に題材を求めて劇をつくったというのです。
「稲福親雲上」は、字長浜では大正十三年頃には演じたと言われますが、明治時代に伝えられたと話す古老もいます。戦後は、昭和五八年に復活上演されました。
あらすじは
二人暮らしの、父親と息子カマーがいた。息子は乱暴者で毎日、父親をいじめていた。ある日、二人でたきぎ取りに行くが、父親だけ働かせ、自分は寝ころんでいる始末。そこへ六八歳になる母親を喜ばすために、稲福親雲上一行が野遊びにやってくる。その様子を父親と息子カマーは見物している。いろいろ踊りが展開されるなか、稲福親雲上は、おもむろに息子カマーを呼び親孝行の大切さを説く。改心した息子カマーは、父親に乱暴をはたらいたことをわび、父親を肩車して仲良く帰る。
というものです。
踊りの演目のひとつに孝行口説がありますが、おおよそ次のような内容です。
○母親は、十ヶ月も自分のおなかのなかで子どもを育てて生んで下さっている。冬の寒い日は、ふところに抱き、右の方が冷えたら左の方に、左の方が冷えたら胸の上にと、それほどかわいがってもらった
○父親は、夏の暑い日には、できものが出ないよう、五、六歳になるまで扇であおいで頂いた
この口説を聞いて息子カマーは、心を入れ変えていくのです。野遊びは、四つ竹踊りも披露され、晴れやかな雰囲気が漂い、童たちが親の大切さを訴える歌を、かわいい歌声で響かせるなか、孝行口説が一層際立ってきます。
字長浜では、しめくくりの肩車の場面では、前幕を吊る横棒にぶらさがるというアドリブを繰り出し、やんやの喝采を浴びた演者もいたそうです。
「稲福親雲上」は、字渡慶次でも「孝行口説」として演じられていました。
文・沖縄藝能史研究会会員 長浜 眞勇