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2009年2月発行 広報よみたん / 17頁

読谷の民俗芸能47 舞踊(23)加那よー天川

読谷の民俗芸能47 舞踊(23)加那よー天川

 明治二十七年頃、玉城盛重は「加那よー」を創作したと伝えられ、渡嘉敷守良が習い一般に知れ渡るようになりました。一方、お隣の嘉手納町には「野国天川」というこっけい味を帯びた踊りがあります。男女が二組ずつたてに並んでゆったりとしたテンポで踊る集団舞踊です。
 さて、「加那よー」と「天川」は別々に踊られていたことになりますが、大正十四年、親泊興照は、「加那よー天川」としてひとりの踊りに仕上げたのです。
 字瀬名波の「天川」をみると、そのことがよく納得できます。字瀬名波の「天川」は男女打組み舞踊ですがまず、白保節の最初の部分で男性が登場し、女性を上手から呼び出します。その次に島尻天川節で軽快に踊りますが、普通見られる手巾を使用しません。いわゆる手巾は「加那よ一」の象徴なのです。瀬名波の場合は「加那よ一」を踊らないので、手巾が登場しないわけです。そのかわり島尻天川節では、水あそびを表現するヒシャクを男女が交互に受け取ったりという場面があしらわれています。女性の仕草の特徴であるアヒラーアッチといわれる内またで座って歩く様子も見られます。北谷町字砂辺から伝わったといわれます。
 字楚辺は、男女の出方(出羽)に個性があ
り、男女とも下手から出てきます。字楚辺の見どころは、手の踊りと言うより、おしどりが水辺を泳いでいるかのように小幅に歩く場面が多いことに興味が湧きます。また、加那よ一の部分では帯は腰に結ばず肩にかけますし、島尻天川では最後の部分で女性は手巾を振りながら上手袖に入ります。その後を男性
は泣いている様子なのかこしのび、の表現なのかははっきりしませんが、女性を追うよう袖に入り終了となります。
 字波平、宇高志保は、おおよそにおいて実演家が踊る型とほぼ似ています。
 読谷村には「加那よ一」という題名で字長浜・瀬名波・儀間・宇座・高志保・波平・喜名・比謝・大湾・古堅・渡具知に伝承されていますが、男女打組みの形であったのかよくわかりません。
 「加那よー天川」は、字伊良皆・楚辺・波平・高志保・宇座・儀間・長浜に伝承されています。

文・沖縄藝能史研究会会員 長浜真勇

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