読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2009年8月発行 広報よみたん / 5頁

沖縄戦について(教育長賞)古堅中学校 三年 崎濱 大斗

 四月一日、午前八時三十分に、米軍は沖縄本島の中部西海岸(現在の読谷村、嘉手納町、北谷町)への上陸作戦を開始しました。そこは、大軍が一挙に上陸するには最適の場所であり、日本軍の北(読谷)、中(嘉手納・北谷)の両飛行場があったからです。
 一方で、米軍が沖縄本島西海岸に上陸したとき、読谷村波平区の人々の多くは、チビチリガマとシムクガマに分かれて避難していたそうです。米軍に居場所を知られると、チビチリガマでは住民の『集団死』が起こりました。この集団死で八十一名が自死し、そのうちの六十一パーセントは、十八歳以下の少年少女達でした。
 そのことを僕は、本で調べてみるまでは、なぜガマに隠れているのに、死者が出るのだろう、しかも、なぜ十八歳以下の少年少女がたくさん死ぬのだろうと思いました。そして調べを進めてみると、その多くは、親が自決をするとき、子供も一緒に自決する人がいたと分かりました。更に僕は、なぜ親が自分の子供を殺す必要があるのだろうかと疑問をもちました。自分がもしも親で同じ状況だとしたら、自分の子供を殺すだろうか、それとも子供と一緒にチビチリガマなどのガマに逃げ続けるだろうかと、自問自答しました。
 そして、自分の子供と自決するよりは、逃げ続けた方がいいのになぜ殺したのだろうかと思いました。でも、「戦争は、正常な判断を奪う。」という文を見て、これまでの思いが吹き飛ぶぐらいの衝撃を受けました。なぜかというと『戦争』は、人間が人間であることさえも奪う、恐ろしいものだと改めて思いました。
 今、日本は平和です。しかし世界に目を向けてみると、平和と呼べない国が数多く存在します。このような現状を考えてみると、僕は今までの生活を当たり前と思っていました。例えば、毎日ご飯を食べたり、お風呂に入って、学校に行ったりと、こんな生活が裕福と思った事は今まで、一度もありませんでした。だが、外に目を向けてみると、この生活は当たり前じゃないんだなぁと思いました。
 今、地球には、内戦や紛争の為に、命を落とし、学校にも行けない子供が何十万もいるそうです。だから僕は、毎日当たり前のように、ご飯が食べれて、楽しく学校へ行ける事を感謝しようと思いました。
 そして、僕が大人になったら、内戦や紛争で困っている人々の役に立てるような仕事につきたいと思います。
入賞者名簿※表のため原本参照。

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