隆子ちゃん圧殺事件 賠償金四、七八五ドル査定(経過報告)
隆子ちゃん圧殺事件 賠償金四、七八五ドル査定(経過報告) 村長 池原昌徳 棚原隆子ちゃんの賠償金については村役所で事務をとり、去る六月二六日請求書を作成し、棚原さんから委任を受けて、嘉手納空軍司令部に提出いたしました。その内訳は治療費一四弗、葬祭費三百七弗四五仙、人身賠償比四、九七一弗三四仙、休業補償金二三一弗(父栄禄一〇五弗、母艶子六三弗、長男栄一六三弗)慰謝料三、〇〇〇弗、合計八、五二三弗七九仙を請求いたしました。 その後、早期支払いを要請したところ請求の日から、四〇日を経過した、八月六日、三、五〇〇弗の小切手を持って直接棚原さんの家に、賠償係官アロワード大尉が見えて、在日賠償委員会で三、五〇〇弗に決定したから、受取ってくれと、すすめられた。ところが棚原栄禄さんは、あまりにも少ない金額に不満をもつと同時に、この問題は、村長に委任してあるから、村長を通じなくては受取れないと、即座に断ったそうである。第二回は八月九日で遺族の棚原艶子さんを誘い、アロワード大尉が村役所に見えて、賠償委員会で検討の結果、三、六七七弗三五仙に増額したから了解してくれといわれた。 ところで村長から、遺族の請求した八、五二三弗七九仙の賠償金は、適正な額だと思っているが、米軍の査定した金額は、その半額にも足りない。 どうしてそのような定額になったのか、その内訳を示してほしいと申し入れた。これに対し「米軍の賠償規定により、公表は禁じられている」「自分は賠償委員ではないから内容については何も知らない」との返事このような一方的な査定に納得できず再び断ることにした。次は直接責任をもっている在日賠償委員長に交渉すべきであると考え、会見を申し入れたところ、八月一七日了解の連絡を受け、当日嘉手納空軍司令部に於いて、読谷村長と会うために来沖したという、在日米軍賠償部長、ロバートFウイリアム中佐と会談した。まず、村長と遺族から提出した八、五二三弗七九仙の請求額に対し、その半額にも足りない、三、六七七弗二五仙を査定し、その査定内容も公表しないままに、遺族側の了解を求めようとしているが、この査定額では絶対に納得できない。又去る六月一五日、高等弁務官に直訴したときのことばの中で「隆子ちゃんは生きて両親の元には帰らないがせめて適正な賠償金を支払いたいのでその旨、遺族に伝えてほしい」と言われた。それは、こちらが請求した八、五二三弗七九仙が適切だと思うし、また査定内容が公表されなくては適正額ではないと主張した。ところがその返事は前のアロワード大尉と同じように内訳の発表は禁じられていると云う、オフマン方式を採用したことや、民事事件による、みどり丸事件、昭和産業の人身事故等の賠償事例を考慮の上で決定したから適切であると説明された。 その次に村長から、七カ年前に発生した石川ジェット機事故において、同じ学童に支払った賠償金よりも少ないから、再検討を要求して、二時間半の会話を打切った。 次はその翌日、遺族に面会したいから村長も立ち会ってくれと、ウイリアムス中佐から、電話がかかってきた「用件は何か、増額したか」と聞いたら「せっかく日本々土から来た以上、本問題を解決して帰りたい、そのために遺族と会い、説明して了解を求めたい」と言われた「昨日のことなら係から遺族に詳しく報告してあるから再び同じことを中佐と村長が揃って説明する必要はないだろうし、またオフマン方式のような、ややっこしい計算によって可愛いい隆子ちゃんの生命とかえられたのかと思われ、遺族の■■い涙と怒りをさそうだけだからよしたほうがよい、増額の意志があるなら役所で話し合ったらどうか」と電話で応答したら、「そうしよう」ということになり、八月一八日午後二時から、第四回目の会談をもつことにした。ときに当日は「隆子ちゃんの賠償問題、再びもの別れ」との新聞報道を見て、調査と指導のために、琉球政府法務局土地課長の又吉嘉栄課長と仲間賠償係官が来村本会談に出席した。まずウイリアム賠償部長からオフマン方式による算定方法について詳しく説明を受けた即ち、女の平均寿命七五年、可働年限四六年、平均賃金月額四二弗九〇仙、琉球内の平均家族数四、五名を四名にして、家計総支出費1人当り月額三七弗四〇仙、琉球政府統計表を用い、総収入から総支出額を差引き、また六四年間の収入総額を一時受取るため利息五分を差引く、更にこちらが請求した慰謝料を一、二〇〇弗に査定したので、合計額三、六六七弗二五仙になったというもの。そうすると、こちらが請求したのも算式は同じであるが家族数において棚原家の八名家族の家計総支出額を用いたこと、慰謝料の減額この二つの査定に問題があることがわかった。そこで村長から「慰謝料を増額すること」本村の平均家族は五、五名だから「平均家族の四名を五名にすること」この二点について強く主張した。 「米軍には慰謝料の制度がないからこれ以上慰謝料の増額はできない」「家族数は琉球政府の統計表による四、五名の平均家族を〇、五名切捨てたものである」「これが前例をつくるからこれ以上の増額はできない」と言われた。 「よし前例という言葉を聞いた、石川ジェット機事件で学童に支払った賠償金は四、五二五弗であった。ある前例があるから、増額は可能である」と反論したら「石川ジェット機事件は犠牲者も多く、建物の損害も多く特別の事件で、あれとの比較はできないよ」と言われた。そのとき村長から「飛行機は飛ぶもの、故障があれば墜落することはあり得ると思う。軍用地内の事故ならいざしらず、住民地域内で演習をしてトレーラーを投下し、人身事故を起すということがあり得ると考えてよいものか石川事件の場合、米軍もジェット機を焼火し、莫大な損害もあった筈だのに、今回の事件は米軍側にとって全々損害はなかったではないか、あれが特別なら、今度の事件は尚一層特別であると激しく反論した。すると、ウイリアムス中佐より「君達の主張している五名家族を採用しよう」とやっと歩み寄って来た。この五名家族で計算したら一、一〇八弗五一仙の増となり、総額において、四、七八五弗七六仙となる。慰謝料の増額は残されていたが、これ以上は無理と判断したので「遺族の了解があれば」ということで妥結した。 その頃、時計の針は午後七時前になっていた、午後二時から始めて、正味五時間にわたり、激しい討論の末一致点を見出したのである。その間参席の又吉課長から何回となく、弁護して下さったことと時間延長しても、是非解決したいという、ウイリアムス部長の態度にはむつかしい相手ではあったが、同じ公職にある者として、掘手するのに、誰にも遠慮はいらなかった。 その翌日早速、棚原さん宅に行き、前日の模様について詳しく報告したところ、了解を貰ったので、直ちに軍司令部に、遺族了解の旨報告したら、小切手発行は一〇日位の日数を要するかことの返事を受けて待ちかねていたところ、事件発生の日より数えて八〇日目の九月一日に四、七八五弗七六仙の小切手を受取り、これで落下演習によって尊い生命を失った故棚原隆子ちゃんの賠償金について最終的に解決したのである。 以上賠償金の請求事務は解決までの経過について、かいつまんで申し上げたのであるが、本問題の取扱について、落下演習事故防止対策協議会を通さなかったことを深くお詫び申し上げ、本報告をもって本協議会各位の御承認をお願いすると共に、これまでの御協力に対し衷心より御礼申し上げて落下演習事故に関するすべての経過報告を終ります。