今月の人口
今月の人口 1969年7月31日 住民登録調べ 男 10,729 女 11,647 計 22,376 世帯 4,053
検索指定条件
今月の人口 1969年7月31日 住民登録調べ 男 10,729 女 11,647 計 22,376 世帯 4,053
各区で多彩の行事 -としよりの日に- 九月十五日は、としよりの日です。 各部落、老人をいたわり、お年寄りの御苦労に感謝する敬老会が開催されます現在、村の最高令者は百一才の松田マシさん(字高志保)を筆頭に九〇才以上三六名が元気にすごして居ります。 今月は、としよりの日にちなんで、二、三、元気者のおじいさん、おばあさんを紹介したいと思います。 松田マシさん(百一才) 字高志保一四四は孫の芳英さんと一緒に暮らしている。一世紀を生き抜いただけあって、食事もえり好みせずバター、チーズもOKというモダンな方である。 耳がちょっと遠くなっただけで、目、足腰は、大変丈夫、毎朝六時に起き、冷水麻さつの後でないとお茶も飲まないという、清潔好きなおばあちゃん。 つい二、三年前までは庭の手入れもしていたが、現在は家でテレビを見るのが唯一の楽しみ。 それでも、正月に曾孫が来るとき、若い時の話しを聞かすのも自まんの一つだそうだ。 明治二年四月二日生まれの百一才、読谷一の長寿者である。 山内マシさん(九十二才) 長浜一八三七の二((宇座)東かま)は、村内でも屈指の働き者として知られているおばあさんである。朝七時には畑に出かけ、一日中畑仕事に精出すことがあるという。 そんな時、体のことを心配して孫嫁が再三注意してもさっぱり効果なしという。 曾孫たちも多いが成長しておばあさんの手を必要としないせいか、家に居ることが何よりもつらく、野良に出て、青々とした農作物を見ることが一番楽しいそうだ。 現在まで病気らしい病気をしたことがない。 長寿の秘決はこれと言ってないが、どんな苦しい時でもくよくよしないで気を大きく持つことだと言う。 宇座浜できたえた体はやがて一世紀に達しようとしているが実に若々しく、七〇才位にしか思えない。明治十年八月十二日生の九十二才である。 この人は、明治六年八月十日生れの安次嶺克祥さん(字渡具知出身)、今年カジヤマ(白寿)を迎えるが若者に負けない気質で、現在、牛を飼育するという非常に元気者である。 現在、長男の克春さん家族と一緒に暮し、孫や曾孫も多い。日課としては、朝六時に起き、七時から正午までは、牛の草や、屋敷内の草取り、野菜の手入れに精出す。 午後からは、一時間横になってから、テレビを見ながら曾孫と遊ぶのが楽しみ、長寿の秘決は別にないが規則正しく生活したこと、若い時から酒は口にしなかったためではないかと言う。 明治七年一月五日生まれの知花伊七さん(九十五才)波平二八二は、長女の幸喜カメさん家族と一緒に暮らしている。体は小柄の方であるが、顔の色つやは若々しく、まだ若者には負けないよと言うだけあって、非常な楽天家、毎日六時に起き、軍作業人が出勤するときには、野良仕事に行く程の人だ。日課の仕事がすむと正午からは一休み、それから庭の手入れや、家畜の世話をするという、九十五才の老人とは思えない程の元気なおじいさんである。 ※写真「中部地区老人福祉センター」、4名の顔写真については、原本参照。
老人福祉週間によせて 読谷村長 池原昌徳 老後のしあわせを!!お年寄りを大切にしましよう!!という趣旨で、九月十五日は、としよりの日、として老人福祉週間が設定されています。 今やこの行事は私たちの生活に習慣化され、各家庭でもとしよりの日を心から祝っており、各部落では、いろいろの催しものがあって、老人を敬い、大切にする潮風が高まっていることは、実によろこばしいことであります。 また本村の理容師組合では六ヶ年前からおじいさん方に対し、散髪の無料奉仕を行ない、敬老の範を示していただいたことに対し、敬意を表さずにはいられません。 さて、今日の社会は、医学の進歩、保健衛生の向上、衣食住の改善により、人間の平均寿命は著しく伸びまして、総人口に占める老人の割合は遂年増加の一途をたどっています。 ところが、急激に進歩する社会環境、生活様式の変化により、いよいよ老人は取残されつつあるように感じます。 多年にわたって社会の進歩に寄与し、とくに戦後の焼土と化した郷土建設につくしてこられたお年寄りに対し、私たちは、みんなの責任で老人福祉について考え実践していきたいと思うのであります。 本村においては、一九六一年から八〇才以上の方々に、僅かではありますが、老人に対する感謝のしるしとして、敬老交付金を差上げてきましたが、本年度は従来より二ドル引上げて、五ドル差上げることにしています。 読谷村で老令福祉年金を受ける資格者(七〇才以上の方々)は総数で一、一四七名でありますが、残念ながら、そのうち一四二名が所得制限のために支給停止になっています。 しかし支給額については、昨年の法律改正により、五七ドルに増額され、夫婦制限が廃止されましたので恩典はかなりよくなりました また本年度から新しく老人家庭奉仕員を設置して、身体が不自由で日常生活に困っておられる老人家庭に対し、お掃除や洗たくなどの面倒を見て上げることになりました。 人間は生まれてから死ぬまでに必ずや一度、老年期をむかえねばなりません。老年期を通過せず中途でたおれる人は、人生の落伍者であります。 さればこそ、若い人々も、将来必ずや自分にも老年期の廻ってくることを自覚して、若いときから老後に備える心の準備と敬老の精神が必要であると思います。「何時までもあると思うな親と金」という諺があります。 今は貧乏だから、親を扶養することはできないとか、お金を儲けてから親孝行すると考えていたら、何時の間にか親は年をとり、亡くなってしまいます。 また、お金もある中に大事に使わないとたちまちふっ飛んでしまう。 いずれも、なくなってからいくら後悔してもとり返しのつくものではないから、親が元気であるうちに、たとえ暮しは貧しくとも、心と態度で親を大切にして上げて下さい。 それからお年寄りの皆さんは、自分の体は健康であると、思ってもお年寄りは体力が弱くなっています。自分の知らぬまに、どこか故障があるかも知れませんお年寄りの皆さんは全員健康診断を受けて下さい。 また、これまで実施した結果によりますと、病気のお方がかなりおられますので、どうぞ、そういう人々には医師の指示に基づいて、療養を施され、健康に充分留意して下さい。 次に老人クラブの活動は老人みんなの親睦と地位の向上を図り、自分に適した仕事の練習、レクリエーションなど、老人の日常生活を楽しく若者に愛される老人になるためのものでありますから、今後ますます、クラブ活動をもり上げて、楽しい人生をお過ごし下さい 最後に本年満百才の長寿をむかえられました、高志保の松田マシ様に心からお祝申し上げ、お年寄の皆さんの御健康を心から祈念いたします。
サロン 祝「としよりの日」 知花広三 (一)琉歌二首 △六、七十なんても 年よでど知ゆる いきやしなが肝(チム) やいつもわらべ。 「年寄りになって見なければ年寄りの気持ちはわからないが、実際に六、七十になって見るとなるほど年の数は老人だが心はいつまでも若者と同じということがわかる。それで年のことは考えないで、いつも若々しい気持ちで働くことが結局自分のためにもなれば他に迷惑をかけずにすむであろう。」 △走川(ハイカワ)のごとに 年波やたちゆい くり戻(ムド)ち見ぼしや 花の昔。 「昔から幾千万の人々がこのなげきをくり返したであろう。自分ではまだ若いつもりでいる中に、いつの間にか白頭翁やシワクチャ婆になっているああ年はとりたくないものだ。夢よもう一度とかなえられないことを願望するであろう。」 二、三回口ずさむと、昔の人は名にと意味深(イミシン)なよい歌を残してくれたものかと思います。 (二)ドチミシレー 子供の日、母の日、父の日、年寄りの日、めまぐるしい日々のいとなみのために忘れがちである子や親を年寄りを、日をきめて思い返し行事することもよい事だと思います。 年寄りが過去の尊い体験を次代の人々に語りきかせる場面は、ほほえましい風情があります。長い生涯中の取っておきの自慢話も面白いと思います。だが馬鹿の一つおぼえみたいに同じ話を同じ聴き手に、まんべんなくくり返されてはきき手がたまらない。若者たちは時間がおしい。モーロクしないようにしかけたいものです。 「クソヂヂー、ドチミシレー」と若者たちに悪態をつかれぬよう年寄りは年寄りらしくありたいものです。 「おうた子に教えられて浅瀬をわたる」といいますが何をおうた子に教えられるかを考えてみたいのです。 「ムチ習(ナレー)果(ハ)ティティンディチェーネーラン。」という事ですから花の風車(カヂマヤ)を目標にして未頼母しい若者たちに「ドチミシレー」と言われないようにつとめたいものです。 (三)キケン信号血圧二〇〇 老人健康診断で血圧二百と診断されて、その場でぶっ倒れてとうとう二度と立てなかったという話があります。血圧二百は、高すぎるかも知れませんが、あまりびっくりしすぎることはないと思います。十度や二十度、時には三十度も上がったり下ったりするとの事ですから心配しすぎないようにと申し上げたいのです。「生きておればヒズルクンスーものめる」という昔言葉もあります。時にはつつましく、時にはたくましく、時には大胆に生きて行くことを考え、いつも心静かにありたいものだと念願致します。末筆ながら老連の皆々様の御健康を心から祝福申しあげます。ハーニニー
貯蓄目標260万ドル 70年度農協通常総会 読谷村農業協同組合(神谷乗敏組合長)の七〇年度通常総会が、去る八月十六日午後二時から宇座公民館で開かれた。 総会には池原村長、知花英夫立法院議員をはじめ、政府、農協関係者、多数を来賓に迎え、組合員約五〇〇名が出席して開かれ、六九年度事業経過と、収支予定書等十三案件を決定したあと、貯蓄目標額達成支部として、楚辺、宇堅、高志保、長浜、上地、波平、座喜味、渡慶次。努力賞として大木、宇堅、渡慶次、楚辺座喜味、大湾、都屋。 特別貯蓄賞として、喜名小学校子供銀行等の表彰があり、また各字に二〇〇万ドル貯金突破記念して、記念品が贈られた。 なお総会終了後、楚辺のデイゴ娘による余興の後、午後六時すぎ盛会のうちに終了した。 主な議案はつぎの通り。 ※一九六九年度事業報告書財産目録、貸借対照表、損益計算書及び剰余金処分案の承認について ※剰余金処分案 当期末処分剰余金は、繰越剰余金、三、七五四ドル一〇セント、当期剰余金、一四九七五ドル十八セントの計一八七二九ドル二十八セントとなって この剰余一八、七二九ドル二十八セントは次の通り処分される。 一、準備金、一四、九八ドル 二、特別積立金、五〇〇ドル 三、税金引当金、三、七四四ドル 四、出資配当金、八、七七七ドル 五、特別配当金、一、一一五ドル 出資金に対して、一割の配当金 ※貸付金利率の最高限度決定について 一〇〇ドルにつき日歩二、三仙、但し、定期貯金担保の場合は日歩二仙 ※組合員に対する貸付金の最高限度決定について 一、個人組合員信用貸付、五〇〇ドル、担保貸付、一〇、〇〇〇ドル 二、団体組合員信用貸付、一、〇〇〇ドル、担保貸付一〇、〇〇〇ドル 但し、いずれも定期貯金担保の貸付、制度資金、災害資金の貸付、及び、補助金又は制度資金借入れを見返りとする貸付はこの限度以外とする。 ※借入金の最高限度決定について 金八〇万ドルとする。 但し、制度資金、災害資金の貸付を目的する借入金を除く。 ※会社の株式取得について第一農薬株式会社、一株一〇ドル、二五株、二五〇ドル、を取得する。 ※固定資産の処分について 一、乗用車一台、五二七ドル 二、小型貨物車一台六二八ドル 三、小型貨物車一台五八〇ドル ※固定資産の取得について 一、建物、二六、〇〇〇ドル(倉座、ホール拡張、農機具センター新設) 二、車輛五台、八九五〇ドル ※余裕金貯け先金融機関の指定について 中金、読谷郵便局、琉銀、沖銀、南銀 ※定款の一部変更について定款第二八条の理事の員数を現在の十二名から十四名に増員する。 ※役員報酬の決定について 組合長、月額二四〇ドル 専務理事、月額二二〇ドル 期末手当、五〇割(夏季二五割、年末二五割) 非常勤役員、月額一〇ドル ※、事業方針 信用事業 貯蓄目標額二六〇万ドルを設定し、各支部、及び各種団体並びに組合員と密接な連けいを保ち軍用地料及び勤労所得等の吸収につとめ販売代金の振替の奨励をなし、農家経済の資金確保に万全を期する。 貸付は二二〇万ドルを目標に蓄産振興に対して村当局政策を裏付として、資金の充実に力を入れる。 ※購買事業 購買事業は六九年度の実績からみて、農家の労働力の節減を計るため、今年も耕耘機三〇台を導入し、益々荒蔗地解消と甘蔗増産に努力し、これに伴う蓄産の増殖肥料、農薬の拡販を期し特に組合マーク入の全講連の生活資材を取扱うとともに、新しく移動購買者を計画し、組合から遠い部落の便宜を計る。 また、プロパン事業はサービス面に最も意を注ぎ期待に添よう努力する。 利用事業として、耕耘機が相当数保有されているので農機具サービス、センターを新設し、修理等に充分な機能を発揮し、増産に直結する計画を策定する。 ※販売事業 販売事業は販売高の九〇%を占める甘蔗の生産、増収に力を入れると共に、西瓜イモ、人参、玉ネギ、トマト、そさい類を農連、園連と契約栽培を奨励すると共に、出荷用車を配置、生産者の販路の確保を推進する肉豚の本土出荷については長期平均払い方式に移行させ養豚農家が安心して出荷出来るよう努力する。 ※指導事業 指導事業については、土壌調査を強化し、増産を促進して行くと共に、生活指導の面で婦人の地位の向上と生活の安定を目標に文化指導に重点を置く。
養豚まつりを計画 来年四月五日 村は一九七〇年度の農業基本政策として、キビ、イモ、豚の三本柱をかかげて産業の振興を推進しています。 特に読谷村の立地条件から「豚の産地化」に具体的にとり組む計画で、一九七〇年度予算において、養豚振興のために一万四千弗を投じ具体的な振興策を推定して仕事を進めています。 特に本年度の新しい事業として「養豚まつり」を開催する計画であります。 この開催要項がまとまりましたので、概要を発表し、村民各位の御協力をお願い申し上げます。 ※養豚まつりは (イ)読谷村を豚の産地にするために。 (ロ)読谷村の豚の質、量、ともに公開し、立派な商品として宣伝する。 (ハ)養豚農家の技術の披露、および技術の交換をはかる (ニ)養豚経営相談所の設置、写真、クラブ、生産資材算を展示し、技術改善につとめる。※養豚まつりは 一九七〇年四月五日読谷小学校で開催する。 ※養豚まつりの出品豚は、未経産豚、経産豚、種雄豚の三部門に分け、次のように定めてあります。 (イ)未経産豚は生後八ヶ月以上十四ヶ月未満のもの (ロ)経産豚とは、四月五日を基にして、最終分娩頭数が8頭以上の生産頭数のもの但し、八頭に足りないものは、最終分娩からさかのぼって三産までの平均生産頭数八頭以上のもの。 (ハ)種雄豚は生後十ヶ月以上で種豚登録を受けたもの。 ※「養豚まつり」に出品する豚は次の条件に適合しなければならない。 (イ)沖繩家畜登録協会の種豚登録、または仔豚登録を受けたもの。 (ロ)村又は政府の貸付豚は除く。 (ハ)出品者が引続き、経産豚種雄豚の場合は四ヶ月、未経産豚の場合は二ヶ月以上飼育または管理していること。 (ニ)種雄豚においては、まだ産子のないものは該豚の交配による妊娠が証明されたもの。(ホ)養豚まつりに出品する豚は村において保護するが、不可抗力による損害については責任を負わない。 (ヘ)養豚まつりに出品する豚には引つけ料として一頭当拾弗を支給し、出品に要する一切の費用、および搬入搬出時の損害に対してその責任を負わない。 (ト)成績優秀なもの一等から三等までの十頭に賞金を上げます。 また各一位には優勝カップと賞金参拾弗を授与する。なお、詳細については各区の区長又は村経済課にお問い合せ下さい。
村福祉協議会に三〇弗寄付 長浜一八二八番地、、当山真一さんは、去る九月二日村福祉協議会を訪れ、三〇弗を御寄附下さいました。 これは、今年祖母のカマさんが米寿を迎えるが、これをとりやめて、福祉事業にいくらかでも役立ててほしいと御寄附下さったものです。 村福祉協議会では、当山さんの御芳志に報いるように福祉事業を推進するとともに、御寄附下さいました当山さんに感謝申し上げるとともに併せてカマさんがいつまでも、健康でおしあわせでありますようお祈りいたします。
九月 十月は人参栽培の適期です!! 読谷村の土壌の条件、その他、消費市場等の関係から、人参の産地づくりに努めています。 栽培技術指導においては、役所が具体的に指導しています。販売面は読谷農協が農連市場への共同出荷、沖園連への契約栽培も行ないますので栽培御希望の方は各字の区長さんに申込み下さい。役所、農協に御足労下さいまして、いろいろ御相談下されば幸に存じます これから営野菜の時季でありますが人参のつくり方について、紹介します。 人参は欧州の原産で、ビタミンに富み、栄養豊富な野菜です。年間をとおして生産されますが、八月から、十月までは生産量が少ない時期です。 人参は冷涼な気候を好み、十五度から二十一度が栽培適温で最も作りやすい時期は十月です。奨励品種は、いろいろありますが一般市場向は新黒田五寸人参、沖園連への契約栽培品種は、ロングチャンテネー種です 人参は壌土や砂土に適します。よい人参をつくり出すには、畑をていねいに耕すことが大切であります。その整地が悪いと岐根が生じ商品価値が落ちますので整地は大切なことであります。肥料は基肥として一〇〇坪に完熟堆肥七〇〇キログラム、硫安十キログラム塩加九キログラムと土壌害虫防除のためヘプター粉剤一袋に土壌線虫駆除のためにネマナックス粒剤一袋を同時に畑全面にまいて耕耘し、それから二週間経過するとネマナックスが地中でガス状になっていますので耕耘してガスを抜きをします。ガス抜きをしないで作物を植えますと、被害を受けますので注意を要します 栽培管理面の主なことは (イ)四尺の床をつくり、一尺五寸ごとにまき溝をつくり茎まきをします。 (ロ)種まきしますと種子がかくれる程度に霧土し、地がやか、モミガラで日覆してから灌水する。 (ハ)種まき後七~十日で発芽します。発芽したらモミガラの場合はそのままでよいが、地かやの場合は早めに取り除きます。 (ニ)一回目の追肥は本葉二~三枚出た頃間引きし、百坪当り硫安十キログラムと過石二キログランを混合して根からはなして施します。その場合、かるく土寄をする。 (ホ)二回目の追肥は発芽後四〇日目頃で百坪当り硫安百グラム、過石キログラムを根からはなして施し、中耕除草をしながら、間引もして四寸かんかくで残すようにする。又人参が青首にならないように土寄をする。 (ヘ)人参の害虫としては、キスジノミハムシ、ヨトウイシが主でマラソン、DDVP、エルサン等の農薬を使い、又病害は人参黒葉枯病黒班病にはマンゼイト、ウドンコ病にはカラセンをつかいます。 (ト)種まきしてから、八〇日~一〇〇日後に収穫できますが市場によって収穫は考えた方がよい。
故佐久川氏の顕彰碑落式 去る七月二十七日、午後四時から、農業漁業先覚者として農林大臣から顕彰された。故佐久川清助氏(比謝出身)の顕彰碑除幕式並びに落成祝賀会が盛大に催されました。 式は開会に続いて序幕が行なわれたあと、顕彰伝達式があり、遺族に対して、顕彰状と記念品が贈られました。 このあと、祝賀会にうつり故人の功績をたたえながら盛会のうちに終りました。 ※写真は原本参照
お正月は新正で みんな楽しく迎えましょう 「村民みんなで楽しい新正を迎えよう」と、昨年も呼びかけてきましたが、今年も村民みんなで、新正を楽しく迎える準備をいたしましよう。 まだ、旧正月を実施する家庭においては、それは長い習慣であるため、それを一挙に改めることの、なかなか困難であり、新正に抵抗を感ずることも決してないとは思いません。 もちろん、これからさらに進歩発展する世の中で生活するにも、やはり、地方の文化、習慣は大事にしてその基礎の上に新しい文化は築かねばなりません。 しかし、人間の根源的のものは別として、ものの見方、考え方、時代の移りかわりととも変化するといわれます。変わるというよりも、時代の進む方向に、主体的に、意識的に修正して行く努力、姿勢が正しいと思います。 特に、通信、交通の発達また情報社会といわれる今日の社会において、ひとつの地方(沖繩)ひとつの市や、町や、村のみの社会、生活の仕方のカラにこもることは不可能です。それを敢えてすることは、古いものを大事にしよう、守ろう、あるいは混乱を避けようとする、プラスの面と思われるものよりも、社会の進歩発達の波に置きぼりにされる、マイナスの面がはるかに大きいものと思われます。 地域社会のひとつの遅れは、されに他の社会に水をあけられて悪循環をもたらし、ひとつの進歩発展の改良は、新しい知識、経験を通じて、さらに飛躍発展の力となり、この地域社会の向上発展は約束されるものです。 現代社会に生きるわたしたちは、現在の経済、文化社会を正しく、的確につかみ、されにこれから、どのよう発展するのか、またどうあらねばならないか、みずから、しっかりと受けとめてそれに対処する心構えを持たなければならないと思います。 過去をふり返りつつ、現在を見つめ、また未来を考えるとき、あらためて世の移りかわり、生活の変化のめまぐるしい変わりようは日々の会話のなかに山ほどあります。 例をあげますと、フール(豚舎、便所)ガンで行ったダビ、ジールでのお産およびユートュジ、四季のウュミ等、その他にもムカシの暮らしのなかから、まだまだ多くの不合理、不条理の事がらのうち、わたしたちが勇敢に改めた、あるいは廃止した事例を掲げるのに苦労はしないほどたくさんあります。 これらの改善された、廃止されたことを考える場合それは、戦後のアメリカ世も、ひとつのきっかけではあったけれども、それが大きい原因ではない。 一般的に、かつての沖繩は地理的のせいか、文化的せいか、いずれにせよ他の社会の経済、文化に接する機会、知る機会が少なく、沖繩のひとつの地方のみのカラにとじこもらざるを得ない状態であっただろう。 それが戦後、だれもが自分の目で、耳でラジオ、テレビ、新聞、その他マスコミユニケーションを通じて、全世界の状況を手にとるように知る機会と、自分の五体で経験する機会が、容易にできるようになった情報社会の今日である。 したがって、前途の改善されたわれわれの生活の態度、様式も、単に世の中が進んだから、経験が発展したから改善されたとみるより、われわれの意識の改造によって、保健衛生思想の向上、養豚振興の生産技術の改良、母子保健のうえから、生活をより合理的に営もうとする意識構造の変化によって改善されたものでありましよう。 このような考え方に立って、お正月も考えていこうとするものです。 新しい時代に生活するために、新しい生活態度、あるいは生活様式は、現代のわれわれが、想像し、古きものは選択して、捨てるべきは捨て、改良すべきは改良することが肝要だと思います。 八月十一日に、読谷村新生活住民運動推進協議会(教育委員、議会議員、農協長、専務、各学校長、村および各字の区長、婦人会長、青年会長、老人クラブ会長、生改グループ会長、社協主事等)を開催して協議したところ、「お正月は新正を実施すべきである」ことが全会一致で確認されました。 後四カ月でお正月がやってきます。村民のみなさんが楽しい新正を迎えるため心の御準備をお願いします