人口
広報よみたん 48/7 NO170 人口 昭和48年5月31日現在 総数 22,703人 男 10,925人 女 11,778人 世帯数 4,495戸 電話 2201:2293 消防 119:3933 発行 読谷村役場企画室
検索指定条件
広報よみたん 48/7 NO170 人口 昭和48年5月31日現在 総数 22,703人 男 10,925人 女 11,778人 世帯数 4,495戸 電話 2201:2293 消防 119:3933 発行 読谷村役場企画室
夏休み! 今日から楽しい夏休み、こどもたちにとって夏休みは楽しい想い出と幾多の夢をさそうたのしいたのしい夏休みである。 今年はじめて夏休みを迎える一年生のよろこびはひときわ大きいだろう。 こどもたちは、休み中何をしようかと思案にあけくれ、クリクリ坊主をクシャクシャにしてだれとなく笑顔にみちたすばらしい顔、顔、顔である。 これまでの夏休みは、宿題が多くせっかく楽しみにしていた夏休みも宿題に追われて夏バテにいっそう拍車をかけていたが、今年は各学校とも宿題を少なめにし、楽しい夏休みを送ってもらおうとしている。 ここ喜名小学校(写真)でも夏休みについて細かい注意を受け、みんなで楽しい夏休みを送くりましょうと話し合い、子供たちは元気に四〇日余の長期の夏休みに向って飛去っていった。
140万坪 開発計画の第一弾 ボーロポイント地域 残波公園などの開発構想 拡大な軍用地をかかえる本村は、軍用地開放後の跡地利用が大きな問題となっています。現在村総面積の六二パーセントが軍用地となり、そのほとんどが黙認耕作地となって、開放一番手ともいわれている軍用地が大半を占めている。 村民は、開放をよろこぶと同時に、復元補償、及び跡地利用計画が充分なされないままの開放には、いちずの不安が大きい。 そういう中で、村役場では、手はじめにボーローポイント地域を四七会計年度で三五〇万円を投じ「ボーローポイント開発計画」を国建設計工務株式会社に委託し、このほど同開発計画案がまとまり、去る六月四日村当局、地主、議会議員等が集まって説明会が開かれました。 ボーローポイント地域は一四三万坪もあって(地主約七〇〇名)開発計画が望まれ、同開発計画は本村の厚生文化都市基本構想にそって計画案は作られている。 まず、この開発計画は、ボーローポイントの軍用地は現在ほとんど使われてなく沖縄の軍用地の中でもかなり早く開放されるものと見られている。しかし、開放されると同時に軍用地料の支払いは打ち切られ、早急にその後の土地利用のしかたに従って開発を進めていくことが重要となっています。その開発も、本村のめざす静かで美しい自然の中の厚生文化都市という姿をこわさずに村や、地主、村民の利益につながるようなことでなければならない。 このように基本的な立場において次のような方針にもとずいて計画は作られていった。 ①、土地を売らないで貸すことによって収入が得られるようにする。 ②、開発は地主の利益を守ると共に、村全体のためになるようにする。 ③、開発によって、自然がこわされたり、公害が起こったり、教育に悪い影響が出ないようにする。 この三点をもとに開発計画が行なわれ、その計画が実現して行くためには、団結と強い熱意が必要で、一致協力して計画を押し進め安定した生活が営めるように開発計画案は発表された。 同計画の最大の焦点は、一四〇万坪の広大な土地と現在県内で失なわれつつある美しい大海原の大自然を生かした海浜レジャーセンターの計画である。同計画には、残波公園、植物園、リゾートホテル、ゴルフ場などの計画がなされている。 一四〇万坪の施設配置は美しい海岸線を生かして、八万二千坪にビーチを計画、残波公園に二四万一千坪、ゴルフ場に二九万九千坪、公共施設地区に七万九千坪、園芸、農場観光農園に二九万四千坪、植物園十一万七千坪、リゾートホテル地区、十万五千坪、研修文化村、三万一千坪、別荘村、九万六千坪、マリーナに三万八千坪、市街地予備地区二万二千坪、農用地八万五千坪、道路、駐車場に九万三千坪、まさと大規模な開発計画である。 この開発計画は、十年の長期開発計画の中で行なわれるもので、まず開発着手は二年計画で、残波寄りビーチの造成、ゴルフ場の建設、リゾートホテル一棟の建設、残波公園の簡易施設、また、観光道路、駐車場などの計画がなされている。 開発展開第一段階は三年計画で、サイクリングの道路を公共施設地区内に整備、残波公園を展望側へ整備、公共施設は運動施設を作る、観光農園、植物園計 ※写真「ボーローポイント開発計画地域」は原本参照
〔170号2ページの続き〕 画が完了する。また、リゾートホテル、研修文化村もこの時点で工事完了の予定。 開発展開終了時は、サイクリング道路の完了、郵便局、救急センター、マリーナが完成する。別荘村は、第三開発時点から基盤整備されこの時点で誘致を終了する。 最終局時においては、屋内体育館、医療センター、研究施設の併設が行なわれボーローポイント開発計画は完了する。 最終局時においては、屋内体育館、医療センター、研究施設の併設が行なわれボーローポイント開発計画は完了する。 この開発計画が完了すれば県内で数少ないレジャーセンターとして生まれ変ります。 また、開発に伴なって、村民福祉につながるいくつかの開発利益があります。 (一)、観光客や日帰り客の増加で、新しい商売ができるようになり、現在の倍も需要が増加する。(二)、新しく働く場所ができる。 (三)、生産性の高い農業ができる。 (四)、生活文化施設が充実する。 (五)、交通の便利がよくなる (六)、文化的な近代施設と豊かな自然資源を持つことにより、本村の知名度が高くなる。 それに対して開発に伴う不利益な点も数多い。 (一)、村全にわたり地価の値上りが見られ物価や人件費などに影響が見られる。 (二)、観光客が増加し、風俗営業が増加し、風紀などが悪くなる恐れがある。 (三)、入ってくる車や人が増加し交通公害の増加する恐れがある。 このように、開発計画は一歩踏みはずせば本村の厚生文化都市の基本構想からかけはなれた結果となり、当初計画の開発計画が大きく後退することになる。ボーローポイント開発計画は綿密な計画と進出企業をチェックし、村民が安心して住める豊かな村づくりとして、また、広大な軍用地の跡地利用計画の第一弾として同開発計画を成功させたいものです。
ヒヤッ!毒殺ワンワンに受難 愛犬とかわいがられた飼い犬がいつしか飼い主から見はなされて野犬化し、無情な人間の仕打うちに闘士をむき出し野犬による被害が相続いで発生している。 特に農産物の被害は計り知れない程で植付け後のいも畑が一夜にして見るも無残に荒されたり、小豚、にわとりなどの被害もこれまでに何件か発生している。 村役場では、これに対応するために去る三月議会で「犬取締条例」を制定し(広報五月号)や県取締を強化しているが、千五〇〇頭余といわれる野犬の人海戦術は余り効果が少ないようである。その中で村保健衛生課では条例に基ずいて野犬の一網打尽作戦を計画し、去る六月五日から七月三十一日までの間、「硝酸ストリキニーネ」による毒殺作戦を展開している。 毒殺は野犬が良く出没する原野、軍用地内、など村全域におよび、ウインナーソーセージに毒物を混入して毒エサを作って配置してある。毒えさ箱は、タテ三〇センチ、ヨコ二五センチの白箱に赤いフチをつけ、子供にもわかりやすいように「どくえさ」と書いてあります。 今後は人家地域内にも毒えさ箱を設置して野犬の一網打尽作戦を展開するという。 尚、保健衛生課では、次のことについて村民への協力をよびかけています。 (一)、毒殺期間中は主要道路に看板を立ててありますので注意しましょう。 (二)、飼い犬であっても毒えさ設置場所で毒殺された場合は村当局はいっさい関知しない。(条例参照) (三)、不要になった犬が生じたらすぐ保健衛生課に連絡して下さい。 (四)、毒殺犬はすべて焼却処分しているが、もし近くで死んでいる犬を発見したらすぐ連絡して下さい。 (五)、人家地域まで毒えさ箱を設置するため、子供の夜間外出は特に注意しましょう。また、精神病者、浮浪者が夜間見られましたらすぐ連絡して下さい。 (六)、犬にかまれたらすぐ連絡して下さい。 (七)、飼い主は、もう一度じっくりと犬取締条例に目を通し、違反のないようによく注意しましょう。 愛犬の登録と狂犬病の予防注射を実施 村役場では、七月十四日、二十一日、二十八日の三日間、飼い犬の登録と狂犬病予防注射を実施します。 これは狂犬病予防法に基ずいて行ない、村内五ヶ所の公民館と村役場で実施されます。 狂犬病の予防注射は、これまで幾度となく行なわれていましたが、狂犬病についての認識不足から予防注射を受ける飼い犬は少なかった。また、飼犬による咬傷者も数多く、特に本村税務課職員が飼い犬に咬まれ深い傷を負っている。 狂犬病の未然防止のため飼い主の方は必らず予防注射を受けてもらうようよびかけています。尚、日程は次の通りです。 ※七月十四日(午後一時-四時まで) ※七月二十一日(同時間) ※写真「この箱に注意しましょう」は原本参照
農薬による危害を未然に防ぎましょう 沖縄県農薬危害防止月間運動が去る六月二十日~七月十九日の間展開されています。 最近農薬によって人体におよぼす影響が明らかにされ、農家をはじめ、一般消費者は大きな不安を感じている。 本村はほとんど家庭菜園を利用して季節物野菜を作っている。その関係で、村内における農薬の使用量も多く農協調べでは一ヶ年間に五六〇万円の農薬が村内で消費されています。 農薬取扱いの注意で危害を防止することができます。村経済課では村民が農薬についての知識を高め農薬による危害を未然に防ぐため次のようによびかけています。 農薬取扱上の注意 指定された農薬は、適用病害虫名、適用作物、散布方法など詳細な基準が定められており、これに違反して使用してはいけません。従って、指定された農薬を使用するときは、農薬改良普及員、村経済課職員、農協営農指導員に相談してから使用して下さい。 (1)販売 農薬は知事の登録をうけた毒物劇物販売者以外の者が販売やあっ旋することを固く禁止しています。 (2)購入 販売業者が備えている譲受書に品名、数量、年月日住所、氏名を記入しおう印しないと買うことはできません、また十八才未満の方も買うことはできません。 (3)保管 使用前のものや、使用残りのものは専用の農薬保管箱に入れ、必ず「カギ」をかけ、「医薬用外毒物劇物」と書いておくこと。馬小屋、物置き、下駄箱、縁の下等には絶対置かないようにしましょう。 (4)容器 飲食物の容器、たとえばコーラー、ジュースビン、あきかん、メリケン粉の袋等は絶対に使用しない。 (5)服装 長袖上衣、長ズボン、帽子、長ぐつ、手袋、マスク等を作用して皮膚の出ている部分を少なくし、作業後石ケンでよく流うようにしましょう。 (6)散布 朝夕の涼しいときに散布し、風向きを考えて常に身体を風上におくように作業し、ホースの筒先等を持っている人は絶えず交替して薬剤を浴びないようにしよう。乳幼児、家畜は遠ざけ通行人や付近の住宅に注意すること、からだの具合の悪い人、外傷のある人、生理日の婦人、アレルギー体質者、年少者、老人等は作業に従事しないようにしましょう。また、作業中の喫煙等はさけ、休憩のときに口をゆすぎ、顔、手足等をせっけんでよく洗って下さい。その日の飲酒等は慎みましょう。 DDT・BHC・パラチオン、TEPP剤等は使用できない。 パラチオン、メチルパラチオン、TFPP剤などは毒物及び劇物取締法により使用はもとより、所持することも禁じられています。 また、DDT、BHC剤も作用が農林省令によって禁じられています。 デイルドリン・アルドリンエンドリン剤の使用注意 デイルドリン・アルドリン剤は土壌残留性農薬に使定されており樹木(果樹を除く)に散布および塗布剤として、アルドリンは樹木(果樹を除く)に土壌混和剤として使用する以外は使用できません。またエンドリンも作物残留性農薬に指定されており、かんきつの未結果樹以外は使用できません。 農作物に対する農薬残留に注意 農薬の使用に伴う農産物中における農薬の残留問題は、食品衛生法に基ずき米なつみかん、ぶどう、ももみかん、きゅうり、なす、ピーマン、カボチャ、とまと、大根、ごぼう、キャベツ、レタス、ほうれん草、はくさい、ジャガイモ、などにおける、DDT、BHC、アルドリン、ティルドリン、エンドリン、パラチオン、EPN、ひ素、鉛、マラソン、ダイアジノン、NACの十二の農薬の農薬残留基準が設定されております。これらの農薬については基準以上に農薬の残留が認められると出荷停止や販売禁止等の処分を受けることになります。 応急処置 (一)、皮膚についたとき。 ただちに石けん水でよく洗い、オリーブ油や抗ヒスタミン軟こうを塗る。 (二)、目に入ったとき ただちに流水で五分間以上洗うか、あるいは一パーセント食塩水で五分以上洗眼する。 (三)、飲んだときは 水または食塩水を飲ませ指を突込み吐いた水がきれいになるまで吐き出させる。
花キ講習会はじまる ストレチャー栽培法など 村経済課では去る七月一日より九月三〇日の間、毎週土曜日午後二時から六時まで、花卉園芸講習会を行なっています。 この講習会は、本村の花卉園芸の振興を図ると共に花卉経営者を志す者に対して技術養成することをねらいとしています。 講習科目には、栽培講座、実技講座、現地視察等。講師には、県農業改良普及及専門技術員、農業試験場技術官及び専門家をそれぞれ講師としてまねかれます。 講習場所は中央公民館で行ない、人員は五〇名程度、資格は村内に居住し現在花卉経営または将来花卉経営をしようとする者、としています。 詳細については村経済までお問い合わせ下さい。
身近な問題をテーマに 第六回村婦人主張大会 村婦人会主催(会長知念トキ会長)第六回婦人主張大会が去る六月三十日午後二時より中央公民館ホールにおいて行なわれました。 主張大会は婦人の身近に発生する問題点を深く掘りさげて婦人の立場から力強く主張していた。 これまでの主張大会は婦人の政治意識の高ようを目ざして多くの発表者は政治に関連するテーマが多かったが、今回は、日常生活に直結する物価問題や公害問題とこれまでの主張大会に見られぬテーマが多く、主張大会は大盛況だった。 今大会の主張者は、 「テレビと家庭」知花サダエ(波平)。「物を大切にして物価高に対処しよう」玉城キク(座喜味)。「復帰一年の生活を顧りみて」棚原靖恵(宇座)。「花織講習会をかえりみて」、伊波ナエ子(伊良皆)。「進んで子宮ガン検診を受けよう」比嘉好子、(比謝矼)「人間関係について」、山内静子、(長浜、「公害について」、具志堅タケ(儀間)。 ※写真「熱の入った婦人主張大会」は原本参照 第六回婦人主張大会から 進んで子宮ガン検診を受けよう 比謝矼婦人会 比嘉好子 私は去年の夏の九月子宮ガンと診断され入院、手術、退院そして今日までいわゆる闘病の間に子宮ガンというものについて私なりに一つの信念を得たような感が致します。 病名を診断された時のあの精神的なショック、手術までのおも苦しい不安な日々今から考えるとすべてが夢のようでございますがこのような自からの体験を通して「早期発見による治療こそが子宮ガン克服の最善の道である」。ことを確信しましたので私は敢えて「定期検診」を婦人の皆様に強調し訴えたいと思います。 去年の八月十八日の朝ラジオ体操を終えて帰る時一婦人会員からその日の午後婦連による子宮ガン検診が村中央公民館で行なわれることを知らされました。 前回は四十六年七月に受診しておりますのでその時から一年一ヶ月経過していることになります。 その日、検診を受けた人は八二名だったようです。下着を取って検診台に上ることは最初はいやなものでしたが三回目ともなれび慣れたもので何の抵抗もなく検診台に上ることができました。今まで検診後約十日位で検診結果がハガキで知らされたものですが今回は九月に入ってもハガキが参りません。「どうしたんだろう」何か異状があるのではないか。しかし、別に出血したり、何の症状もないから何かの間違いではないか。半ば不安のまま、数日を過ぎますと、婦連から封書が届いているのです。 覚悟はしていたものの心の動ようはかくせません。封を切るのももどかしくあけて見ると、医師の紹介状と中部病院で精密検査の必要があるとのことです。 やはりどこか悪いんだな、しかし症状もないしたいしたことはあるまいと自分で自分にいいきかせ多少の不安を抱きながら中部病院の婦人科で精密検査を受けたのは九月八日でした。その日は、組織検査で体の具合についていろいろ医師から聞かれました組織検査の結果が判明する九月十八日に再び来院するようにとのことです。ガンだろうが、そうでないか、十日後に宣告されるのです。もしガンであったらと頭をかすめます。手おくれであったらどうしよう。二重、三重の不安が日をたつにつれ広がっていくのです。 いよいよ断が下される日がやって参りました。忘れもしない九月十八日午後二時頃、私は、「子宮頸部ガン第一期」と宣告されたのです。突如目がくらみ、もうろうとして医師の先生の顔さえも見えません。何秒たった、先生の、「比嘉さん貴方は早期発見でよかったんですよ、たいしたことはありません、あさって入院して下さい。すぐ手術しましょう」の言葉に励まされ中部病院の門を出たものの医師の第一期というのが本当は手遅れではないかと考えバスの中でも涙がとどめなく流れて比謝矼をどう渡ったかわからない位でした。 私の泣きはらした目、取り乱した態度で事の重大さを知った子供達も私にすがって泣きだしたのです。その夜は一睡も出来ず泣明かしたのです。 翌日はガンと聞いてびっくりした親せきや友人が集まりいろいろ激励して下さったのがいくらかショックも和らぎました。ガン検診を受けたからこそ第一期で発見できたんだ、第一期は手術すればほとんど全快するとおっしゃった。(次号につづく)
こどものページ 喜名小学校の巻 しいくごやのうさぎ 喜名小校四年 新里明美 わたしが二年生のころ、四年生のいとこの糸数久美子さんと十日くらい毎日しいくごやのうさぎにえさをやりにいきました。 わたしの妹もいっしょでした。そして、えさをあげるのがとってもたのしくなってきました。ただの十日ではなく、それから何日も何日もうさぎにえさをやりました。わたしとくみ子さんは、うさぎにえさをやるたびにちょっぴりさわろうとしますがすぐににげていきます。また、にげていかないのもいます。にげていかないのは、「おまえは、おりこうだね、ほらだいこうぶつのにんじんをあげようね」とにんじんをやります。 でも、黒いうさぎがよこどりします。それからは、すぐけんかになってきます。いもうとはこわいというのでやりませんでした。 そして五週間ぐらいになって赤ちゃんうさぎが生まれました。それを知らないわたしたちは、ねずみだと思って「あっ、ねずみがしいくごやの中にいる」と久美子さんがいうと、私が近ずいて見ました。すると、それはねずみではなくうさぎでした。私は久美子さんと向いあって「赤ちゃんうさぎが生まれている」と二人いっしょになっていいました。二人は顔を見合わせて、くすっとわらいました。そしてもってきたえさをぽいぽいと小さなあなから入れてやりました。するとむしゃむしゃたべてしまいました。またつぎの日にえさをもっていくと、かわいいうさぎたちは、ちょっとふとっていました。むっくり、むっくりしてうごいていました。 そのときほかのうさぎたちがケンカをしたようにあばれだして子うさぎたちはいまにもふみつぶされそうです、わたしたちは、「ああつぶされる」といったりしてくみ子さんもわたしも目をつぶると、さっとそびよけるのにです、私たちはほっとした。そしてえさをやって少しあそんでから帰りました。 朝になり、またふくろをもって学校にいきました。朝は雨でしたけどえさをやってすぐきょうしつへ帰りました。四時間目がすんできゅうしょく時間のときです。ほうそうから、うさぎのことを話すとびっくりしました。わたしたちのことをほうそうからいうのです。そばにいたまつだかずふみ君は「ぼくがおしえたんだからな」といっておしえもしないくせにいばっていました。たんにんのいけはらスミ子先生もニコニコしていました。そのときわたしの気持ちはとてもうれしいなぁということがのこっていました。 そして前の雨の日で一ぴき二ひきはしんでいたそうです。どうしてかわからないけど、はこの中の四ひきか五ひきかしんでいたそうです。それを見たわたしはあっ、あそこにうさぎが死んでいるハエがブーブーとんでいるので近よれません。それでそのままにしてふりかえりながらくみ子さんといっしょにかえりました。 ※図画「作 喜名小学校一年 まつだみなこ」については、原本参照。
身体障害相談員に 福地蔡賢氏 先に県庁より昭和四八年度身体障害者相談員の推せん依頼を受けていた村厚生課では渡慶次出身の福地蔡賢氏(瀬名波五八四番地)を推せんいたしました。 福地さんはこれまで区長なども歴任し、若者からの信頼も厚い、天性の明るい性格と豊かな精神力が身体障害者の良き相談役として最適任であると推せん理由が添えられた。 また福地さんは全国身体障害者パラリンピック大会において数々の種目で入賞などをしています。 尚村内の身体障害者は手帳交付された方が五〇名で実数はかなりいる。身体障害者の身近にいろいろな問題が起きましたら気軽に福地さんまたは厚生課まで相談におこし下さい。