
表紙 読谷村立美術館
今月の主な内容 村美術館・・・2、3 ユンタンザむらおこし物産展・・・4 古堅土地区画整理事業完了・・・5 各種団体・個人表彰受賞・・・6,7 戦没者等の遺族に対する特別弔 慰金の支給について・・・8 役場人事・・・9 花のかおりにつつまれて・・・10 梯悟の塔・・・10 保健婦だより・・・11 村民のこよみ・・・12
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今月の主な内容 村美術館・・・2、3 ユンタンザむらおこし物産展・・・4 古堅土地区画整理事業完了・・・5 各種団体・個人表彰受賞・・・6,7 戦没者等の遺族に対する特別弔 慰金の支給について・・・8 役場人事・・・9 花のかおりにつつまれて・・・10 梯悟の塔・・・10 保健婦だより・・・11 村民のこよみ・・・12
芸術文化の殿堂村立歴史民俗資料館(新館)と村立美術館がこの程完成。三月二九日開館した。 村立美術館(宮城元信館長)は歴史民俗資料館(名嘉真宜勝館長)と並ぶ文化創造の一大拠点として、学校教育、社会教育との有機的な つながりを持ちながら、文化芸術活動及び情操教育の充実発展をめざすもので、その開館が待ち望まれていた。復帰後における村づくり運動の第二段階と言えよう。 一方、昭和五〇年に県内初の村立歴史民俗資料館として開館した資料館は、歴史・民俗、考古の分野を中心に先人達の遺した貴重な文化遺産を調査・研究、収集・保存、これまでに四万点以上にのぼる膨大な資料を収蔵し、郷土学習の場、観光の館として充実発展した。それと共に施設も狭隘になったことから、昭和六三年に「まちづくり特別対策事業」を導入、総事業費三億一千八百万円、建物延床面積千九百六〇㎡の三階建(一・二階県文化振興課等々の多大なる支援協力を得ている。 美術館内には、読谷村が誇る伝統工芸のヤチムン(陶器)や読谷山花織はじめ、彫刻、絵画、漆器等の力作が展示され、人間国宝・金城次郎さんのヤチムンや、県無形文部分を資料館、三階部分を美術館とし、一棟の中に両館を併設)を建設するに至ったのである。 座喜味城跡の緑豊かな南麗に構える同館からは快適空間の座喜味、喜名集落や広大な読谷飛行場一帯が一望の下に見渡すことができる。 開館に至るまでには、中部広域事務組合、県地方課、県文化課、化財技能保持者・与那嶺貞さんらの読谷山花織等の作品が並んでいる。また、美術館階段室壁には村内小中学生の作品も紹介され読谷ならではの手づくり美術館をめざしている。 式典オープンングでは、山内徳信村長、岳原宜正村教育長、儀保輝和村議会議長、名嘉真宜勝村資料館長、宮城元信初代美術館長、村内児童代表らがテープカットした。 第二部式典の部で山内徳信村長は「本日オープンした美術館が、沖縄の苦難の歴史と苦悩を背負って生きてきた読谷村民、とりわけ青少年達に夢と希望、自信と勇気、文化的誇りを抱かせ、二十一世紀へ大きくはばたく一助になればと願うものであり、新しい文化創造への「場」であり「核」となるよう村民はじめ広く県民の深い理解と協力、支援を願うものである」と式辞を述べた。続いて仲宗根盛栄村教育委員長、儀保輝和村議会議長が来賓祝辞を述べ、引き続き祝賀会に入った。盛島秀貞村議会文教厚生委員長、名嘉真資料館長、宮城美術館長らがそれぞれあいさつした後懇談に入った。出席者らは開館を祝すとともに、しばし芸術談議に花を咲かせていた。
国、指定史跡、座喜味城跡の麓に設置されました村立美術館は、近年、村政の目標としている「人間性豊かな環境・文化村」づくりの芸術文化の拠点として機能していくことでありましょう。 我が村は、沖縄で最も古いものとされているヤブチ式土器や爪形文土器が、渡具知東原遺跡から出土し、一七世紀頃には、琉球南蛮といわれた喜名焼が知られており、戦後はヤチムンの里として、県内外から親しまれております陶芸は、顕著な発達をとげております。又、織物も伝統工芸品として読谷山花織が継承発展しており、更に、絵画や彫刻部門も、沖展、日展での受賞者も増え、会員も多くなりつつありますことは、喜ばしいことで、美術愛好への大きな動機ずけにもなることだと思います。 本美術館は、このような文化事業の調査や研究をすすめつつ、現在文化活動の一環として毎年実施されておりますアンデパンダン展、文化講座などをとうして、すぐれた作品を収集、保管し、村民の美術に関する理解を深め、知性と感性豊かな人づくりと、芸術文化の向上に寄与するものであります。 逸速く村立美術館を設置されました村御当局、並びに設計、施工されました関係者の皆さんに厚く感謝申し上げます。 今後は、施設設備の充実を図りながら、運営協議会を中心に、関係機関のご協力を得て、村民から親しまれる美術館にしていきたい所存であります。尚一層のご指導、ご協力をお願い申しあげあいさつとします。 財源内訳 1.読谷村立歴史民俗資料館新築工事費 (1)総事業費 276,180,000円 (2)地方債 207,100,000 (3)県貸付金 30,000,000 (4)一般財源 39,080,000 2.読谷村立歴史民俗資料館駐車場、アプローチ工事、渡り廊下及び旧館改修工事費 (1)総事業費 41,881,000円 (2)地方債 27,000,000 (3)一般財源 14,881,000 施設の概要 1.名称 読谷村立歴史民俗資料館 読谷村立美術館 2.位置 読谷村字座喜味708番地の6 3.敷地面積 4.構造 鉄筋コンクリート造3階建 5.建物面積 1,959.795㎡ 1階床面積 688.50 2階床面積 590.76 3階床面積 590.76 PH階床面積 89.775 寄付者 1.植樹(駐車場) 読谷樹楽盆栽愛好会 代表者 宮城 直 平成元年9月3日 (イヌマキ、サルスベリリ、ソテツ等) 2.植樹(リュウキュウゲッケツ) 読谷盆栽同好会 代表者 屋宜 勇 平成元年10月 3.植樹(駐車場) 株式会社 沖縄銀行 読谷支店長 山川 宗保 平成元年11月 (イヌマキ) 4.読谷村史跡案内図 (株)八城建設 (資)東新土木 (有)三建設備 波平電気工事社 平成元年12月 5.落成記念事業費 株式会社 琉球銀行 読谷支店長 伊禮 正直 平成2年3月 6. 株式会社 沖縄海邦銀行 読谷支店長 盛根 昭夫 平成2年3月
三月二四・二五日の両日、残波岬いこいの広場では、昨年に続いて村商工会(松田昌彦会長)主催による「ユンタンザむらおこし物産展」が開かれた。 これは、既存の特産品と商工会のむらおこし事業で開発された紅イモ菓子やメロンの漬物等を展示即売しながら、村内外にピーアールし、販路開拓を図ろうというもので、読谷村の誇るヤチムン(陶器)読谷山花織、紅イモ、泡盛といった村内特産品がズラリ。 昭和六一年度より「むらおこし事業」や「販路開拓事業」に取り組み始めた村商工会では、着々と成果をあげ、紅イモ菓子やメロンの漬物といった新しい特産品の開発に成功した。中でも、特産の紅イモに付加価値を見い出すべく開発された紅イモ菓子は見事的中、ヒット商品となった。世に送り出したのが昨年の「ユンタンザむらおこし物産展」だったのである。 元来甘藷(イモ)は沖縄を経て全国に広がったもの。それが今では全国各地で地域づくりの一翼を担っている。しかし、円高や貿易自由化等により、新たな展開を迫られている事も事実。そこで、日本におけるイモのルーツ沖縄県・読谷の地でイモの現状と課題、そして未来を論じ、地域経済の活性化の可能性を探ろうと物産展初日には昨年に続き、紅イモシンポジウム第二弾むらおこしほくほ討論会が開かれた。 イモ博士こと梅村芳樹北海道農業試験場ばれいしょ育種研究室長が「昔の主食-甘藷(いも)が二十一世紀の主役になれるか」と題し基調講演。続いて「昔の主食甘場長藷(いも)による二十一世紀の主役の座を求めて」のテーマで、山根安昇琉球新報中部支社長を座長に、パネリストとして比嘉勇氏(村内生産農家)、澤邸和子氏(ポルシェ和洋菓子店経営者)、与座克巳氏(嘉手納町商工会青年部)、東江章氏(伊是名村商工会経営指導員)、具志堅健秀氏(㈱ぐしけん社長)の五氏がそれぞれの立場からイモの可能性について意見を交換した。 ①イモの安定的供給体制づくり ②販路の確保③品質開発と管理 ④情報源の確保⑤イモに対する意識の変革等々の課題があげられたが地元沖縄・読谷村民が一体となって取り組めば国際市場への販路開拓も夢ではないとの明るい展望が拓けた。 尚、物産展最終日の二五日は、沖縄演劇会の真喜志康忠一行による沖縄芝居や琉球舞踊で、お訪れた客を楽しませた。 基調講演から 原産地南米から海を渡って来たりュウキュウイモは、もともと祭事や祝事などの晴れの席での食べ物であり、食文化を伴って伝わって来たものであった。また最近では、むらさきイモに含まれるアントシアンが、制ガン作用や動脈硬化、仮性近視等に効くなど機能性食品としても、またビタミンEやCなどの栄養食品としても注目されており、イモに対するイメージも随分変ってきている。 鹿児島県では、三年の短期間で次々と新製品が開発されたが、それらはナチュラル(自然的)(ヘルシー(健康的)ファッショナブル(魅力的)といった三要素をベースにしたものであり、しかも世界的に通用する商品開発に視点を向けたものであった。 沖縄には年中操業できるメリットや、色良し、味良しの紅イモというとっておきのものがある。本腰を入れて取りかかると、鹿児島以上に付加価値の高い、生産コストの安い商品ができるのである。リュウキュウイモは、二十一世紀の主役たるに充分なる素質を備えている。イモに対する意識の変革からはじめるべきではないか。
読谷村種豚改良組合(山内昌徳会長 組合員十三人)が二月十五日、全国養豚協会より全国養豚協会創立二十周年記念養豚功労吾表彰(団体の部)を受けた。 昭和四五年設立以来、常に経営改善に努め、県の推進する種豚改良事業(直検、自家検定等)に積極的に取り組み成果を上げ、過去三回にわたり経常発表の代表者が選ばれている。 先進地への視察研修や県内外との交流も盛んで、婦人部では昭和六一年、宮崎県の婦人部二八人を受け人れ、豚肉料理の講習会では大変な好評を得ている。又先進地より優秀な豚を導入し、優良種豚を生産、村、地区共進会においても常に上位入賞し、九州地区、全共等にも出品、他の地域の模範となり、県下の普及に努め、県産業振興に大きく貢献している。 昨年は、先進県である干葉県の県養豚試験場から系統造成の基礎豚として、足腰の強いことが買われて、県内から八頭の優良豚が送り出されたが、うち四頭は同組合の生産豚だったのである。 昨今、養豚経常を取り巻く情勢は厳しく、経営を移行する農家が増えつつある中、この表彰受賞は養豚農家にとって大きな励みとな り、明るい展望が拓けてきた。
読谷村の今期サトウキビ搬出量が三万トンを突破した。生産総額六億二千二百万円、生産農家(九七七戸)一戸あたりの平均生産高が三一トンと共に伸び関係者を喜ばせている。 作付面積三七ha、前年期の四五四haを下まわりながらも平均反収でニトン上回る八トンと過去最高を示した。他のマージ地帯に比して非常に高い伸び率を示す。これは気象条件に恵まれた事や生産農家の必死の努力、そして二年前より有機質肥料(村補助一千万円)を多く施した事によると思われる。村は今後とも有機質肥料の投入補助をしていく考えである。 村農業協同組合(松田善康組合長)では四月六日、農協経済事業所前広場で今期サトウキビ搬出終了の満産祝を開き、生産農家の労をねぎらうと共に、来期三万トン突破実現に向け激励した。
総事業費七億七千九百万円(補助金二億三千万円)を投じ、九年の歳月をかけた古墜土地区画整理事業がこの程完了。古堅土地区画整理組合(池原良盛理事長組合員一四四人)の解散総会並びに完了祝賀会が三月二五日盛大に開かれた。 戦後米軍用地に土地を接収され、隣接の大湾区や村内外への居住を余儀なくされた古墜区民は、昭和五二年の返還を待って、昭和五五年組合を設立、旧部落再興をかけた区画整理事業に取りかかったのである。 戦後三二年もの間、米軍嘉手納航空隊員の嘉手納住宅地区(通称サウス・モーガンマナー)として使用されていた同一帯は、今ここに古堅区民の安住の地として甦ってきたのである。施行面積十二・四haに及ぶ一帯には二つの児童公園やゲートボール場も備わり、子どもからお年寄までのいこいの場として楽しまれている。 新居が建ち並び、街路樹におおわれた街並を舗装道路が走る。うるおいと、やすらぎに充ちた快適な居住環境だ。 事業完了を記念して建てられた「記念碑」には、出撃区民の汗と涙の結晶が刻み込まれている。
3月21日、宮古で開催された「第37同県社会教育研究大会」で読谷村子ども会育成連絡協議会(長浜真栄会長)が団体功労の表彰を受けた。結成11年目、常に県下のリーダー的存在である。中学生以上のジュニアリーダーか小学生を指導、子ども達の自主性が培われてきた。 子ども会フェスティバル、宮崎県日向市子連との親睦交流や読谷まつり、公民館まつり等の各種行事への参加を通しての文化活動も盛ん。青少年健全育成に大きな成果をあげている。
読谷少年柔道クラブか昨年8月6目、日本武道協議会よリ平成元年度全国少年武道優良団体として表彰されたが 続いて2月9日、新垣盛雄監督(嘉手納警察署勤務)が、監督活動を通して青少年健全育成に尽力したとして沖縄県警察本部(浅川章本部長)よリ表彰された。 県下向かうところ敵無し、全国レベルの実力は、昨年5月の全国大会で、個人3位、団体2年連続ベスト16とまた記憶に新しい、チーム、監督、父母らか一体を成す活動の成果といえよう。
3月14日、読谷中学校2年生(現3年生)から村内各小中校や関係機関へ手づ