
旧盆エイサー
今月の主な内容 渡具知集会所、共同作業場落成・・・2 沖水新里君準優勝おめでとう・・・3 第三回平和創造展・・・4 8・5カデナ基地包囲大行動・・・5 世界のユンタンザンチュ・・・6・7 犯罪調査協力について・・・8 ねんきん相談室・・・9 泊城-渡久山朝章・・・10 第14回中部地区防火管理講習会・・・12
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今月の主な内容 渡具知集会所、共同作業場落成・・・2 沖水新里君準優勝おめでとう・・・3 第三回平和創造展・・・4 8・5カデナ基地包囲大行動・・・5 世界のユンタンザンチュ・・・6・7 犯罪調査協力について・・・8 ねんきん相談室・・・9 泊城-渡久山朝章・・・10 第14回中部地区防火管理講習会・・・12
渡具知集会所・共同作業場(公民館)新築落成並びに土地改良総合整備事業、団体営かんがい排水事業の完了記念式典及び祝賀会が七月二九日、渡具知公民館で盛大に行われた。 昭和二〇年四月一日、先の沖縄戦で米軍上陸地点となったのは渡具知海岸である。そして終戦後六年目にして米占領軍より許された渡具知区民の帰郷も、わずか一年余のうちに覆されてしまい、非情な強制立退き命令は、再び区民を郷土から引き離してしまう。これら歴史的背景を踏まえた同区民の部落再建とは平和で豊かな希望に満ちた平和郷づくりであった。幾多の苦難を乗り越えて来た区民の団結と英知の証として又、新しい部落づくりの拠点として、今渡具知公民館は同区西原に堂々たる構えをみせている。 村はじめ国、県の深い理解のもと、あらゆる補助事業を導入し、部落再建のため取り組んで来た区民の努力は、復帰先地公共施設整備事業等にみられるように県下の先駆けとしても大きく貢献したといえる。 式典では、大湾近常建設委員会事務局長よりの経過報告のあと、城間勇渡具知区長、大湾稔渡具知集会所建設期成会会長、屋宜必良渡具知農用地利用改善組合長、波平廣次渡具知土地改良区理事長らがそれぞれ喜びのあいさつをした。 強制立退きにより渡具知区民はそのほとんどが比謝区西原での生活を余儀なくされ、昭和四八年九月十五日の渡具知部落軍用地の解放(トリイ通信施設の一部返還)を待って、部落再興に向け立ち上がったのである。昭和五〇年、農業振興地域の指定を受けると、生産性をあげる農用地の整備、換地による農村集落の整備や公民館敷地、区民運動場の整備等の早期実現に向け、区民の英知が結集されたのである。 米軍によって踏み荒らされ、荒廃しきった軍用地跡地の地籍明確化作業は、所有権の確定という困難な作業にもかかわらず、理解ある区民の協力のもと、集団和解方式「トリイ方式」による地籍調査が進められ、後のいわゆる「地籍明確化法」制定へと実を結ぶ。 昭和五二年からの「トリイ通信施設復帰先地公共施設整備事業L昭和五四年からの「土地改良総合整備事業」五五年の「農業構造改善事業」、五七年からの「団体営かんがい排水事業」そして平成元年度の「構造政策推進モデル集落整備事業」等々の導入により、農業基盤の整備、農村集落の整備、ビニールハウス団地の造成、水の供給体制が整えられ、昭和五三年結成された渡具知野菜生産組合が事業主体となり、キビ作からスイカ、メロン栽培への転作が進み、小菊を中心とした花卉農家も増えている。そして遂に生産組織施設、集落環境施設としての共同作業場、集会所完成をみるに至ったのである。夢と希望に満ちた渡具知区民は、同区の更なる発展の為、益々情熱を燃やしている。
準優勝おめでとう!そして感動をありがとう! 夏の甲子園で県民をクギづけにした沖水ナインのみなさん県高校野球史に偉大な一べージを印してくれた。投攻守にバランスのとれた全員野球と明るく伸び伸びとしたプレーに、日本全国の人々がさわやかな感動にひたった。 本村字都屋出身の新里紹也三塁手の滑躍に読谷村は沸きあがった。二回戦で見せてくれた2ランホームラン。大会三割六分の打率を誇り、一番打者としての役目を充分に果してくれた新里君。 八月二五日、準優勝の報告に村役場を訪れた新里君は「村民のみなさんのおかげで準優勝できました。ありがとうございました。」とあいさつ盛んな拍手を受けた。 甲子園でホームランを放った新里君の見事なまでに鍛えあげた腕の筋肉は遅しく力強い。握手ぜめに照れる色白で温和な顔立ちが実に対象的だった。空港では感激の涙で出迎えてくれたお年寄りの方々の姿が印象的でとても感激したと心やさしい新里君。四才の頃より野球をはじめ、チビッ子野球、古中野球部と活躍。早くから才能を見いだしていた都屋少年野球時代の監督・島袋幸栄さん(現高野連審判部審判員)が栽監督との橋渡しをしてくれた。栽監督の「沖水でやってみないか」のひと言で、栽監督の下で野球の厳しさを学ぼうと沖水へ進学。野球のテクニック、精神をみっちりたたき込んでもらった。 親元を離れての寮生活。そして辛く厳しい練習の明け暮れに誰もが一度は挫折しかけた。そんな時前川キャプテンを中心に励まし合った仲間達。大野君ら裏方で支えてくれたマネージャー達がいた。血のにじむような汗と涙の結晶は甲子園の晴れ舞台に花開いた。ここまで育て上げた栽野球そしてそれに報いることのできた沖水のみなさんに乾杯。 卒業後は実業団野球で頑張りたいという新里君。ガンバレ!
第十三回淡路島都市対抗少年野球大会で。八月十六日準優勝した古堅南少年野球クラブ(波平勝監督、宮城良二主将)が村役場を訪れ山内徳信村長にその報告をした。 優勝戦では、沖縄県勢同志の争いとなり、九-三で沖縄市の美里オリオンズに優勝を譲りはしたものの、全国代表四八チーム中第二位の見事な成績を残したのである。来年こそは優勝をと早くも意欲を燃やす古堅南少年野球クラブのチビッ子たちである。
沖縄戦の実相を学び日常生活の中で平和問題について考えようと八月一日から六日まで「第三回読谷村平和創造展」が開かれた。 八月五日の「嘉手納基地包囲行動」へ連動しようと、日米開戦の日の十二月八日から一足早い八月の開催となったもので、同展には県内外より多くの方々が訪れた。 写真パネル、砲弾の破片、新聞資料等が展示され、又今回はアジアの中の日本について新めて問い直そうと「アジアの教科書から見えてくるもの」をテーマにアジア各国の教科書の中から先の大戦に関する事柄が掲示された。今回三巻目の「平和の炎」vol.3では十六人の方の戦争体験談をまとめ真実を語りあかし受け継いでいくことの重要性を改めて強調している。
北海道池田町の児童・生徒交流団(団長清原俊旺昭栄小学校長)十七人が来村、八月三日から八日までの日程で本村児童・生徒らと親睦交流した。 村立歴史民俗資料館や美術館、ヤチムンの里等を視察。本村の文化に触れた。又、村営の残波ビーチでは、思いつきり夏の太陽を浴びながら沖縄の夏を満喫した。時を同じくして行われた「第三回読谷村平和創造展」「八・五嘉手納基地包囲行動」。そして、チビチリガマや本島南部戦跡視察と一度に多くの平和学習を体験。貴重な夏の日の思い出となった。
夏の児童・生徒交流を終えたばかりの読谷・池田の両町村で今度は平和の絆が結ばれた。 終戦記念日の八月十五日から二〇日までの六日間、池田町田園ホールのオーク・プラザで「読谷村平和創造展」の移動展が開かれた。沖縄戦では池田町出身の方三〇人が戦死、犠牲となった。訪れたみなさんは戦争のむごさ、平和の尊さをあらためてかみしめていた。 同展では八月十五日「基地の村読谷村」「読谷村における平和村づくり」と題し村企画課の町田宗信課長と小橋川清弘さんが講演、期間中は一フィートフィルム「沖縄戦・未来への提言」が上映された。
「六・二一行動」から早三年。再び「カデナ基地包囲大行動」が八月五日実現した。 基地の島沖縄を全世界ヘアピールし反核・反基地への草の根運動を展開して行こうというもので、県内外、国内外よりそして子どもからお年寄りまで集まったその数二万六千人を記録。人間の鎖が嘉手納基地十七・四キロを包囲した。 大行動に先き立ち、読谷村では午前十時よりトリイ通信施設ゲート前で「グリーンベレーのパラシュート降下演習に反対する村民抗議集会」を開催。村民、各種団体が結集して「グリーンベレーは帰れ!」「ストップザパラシュート」「読谷飛行場を返せ!」の気勢を上げ抗議した。
八月二三日から二六日まで開かれた世界のウチナーンチュ大会に続いて、本村主催の「世界のユンタンザンチュ歓迎交流会」が八月二七日、残波岬ロイヤルホテルに世界六ヶ国より七三人の村出身海外在住者を招き、関係者らも多数参加して盛大に催された。 山内村長は「戦前、戦後と貧しい沖縄の時代に、物心両面からなる援助を下さったみなさまに感謝申し上げます。今後共沖縄と世界各国発展のため心を一つに頑張りましょうとあいさつ。また各国代表者らは「生まれ島ウチナーを大切に二世、三世との交流を密に共に発展のため頑張りましょう。」とあいさつした。 村役場職員による歌舞構成「ゑけ読谷山」が披露されると参加者らは芸能談議、ふるさと談議に花を咲かせていた。別れを惜しむかのようにフィナーレは、カチャーシーでにぎやかに幕を閉じた。 なお、午前中は村内各施設を視察、運動公園にイヌマキの木、イッペーの木を記念植樹した。 各国代表あいさつ者は次のとおり。 △カナダ 浦崎政古(親志) △米国(ハワイ) 上原進助(波平) △ブラジル 知花真勲(儀間) △アルゼンチン マリア アナ池原(楚辺) △ボリビア 仲村渠源吉(波平) △ペルー 山内昌栄(牧原) ( )内は出身字名
ジュニアサミットで多くの人と交流 喜瀬演子さん(18) ボリビア ジュニアサミットにボリビア代表の一人として参加した。日本語やウチナー口も日常用語として併用していたのがいろんな面で役に立った。 まったく言葉が通ぜず困惑した代表者もいたのは残念。サミットでは具体的につっ込んだ話し合いはできなかったけれども今後の交流のきっかけになり意義深い。 沖縄芸能を継承 ボリビア第1小中学校のみなさん 世界のウチナーンチュ大会では、三線、ボリビアダンスなどを披露した。大会では本場沖縄の芸能・文化を目にすることができ、とても感激。 ボリビアでは県派遣の教師が日本語や音楽・体育を教える傍ら、ウチナー芸能などのも指導している。いつまでも大切に受け継ぎウチナーンチュとしての誇りを持ち続けたい。 日本で働いてみたい 知花光英(24)・広(20)さん ブラジル ちちの経営する自動車部品販売業を手伝っている。日本で働きたいと思っているのだが、両親はあまり乗り気でないようだ。特に母はブラジルでウチナーンチュファミリーを広げていきたいと言っている。世界のウチナーンチュ大会参加を機会に日本本土もじっくり見学して行きたいと思っている。 山内中学で勉強中 山内昌文さん(19) ペルー 父はペルーで農業に従事しているが、姉2人と叔母の居る沖縄市に住んでいる。僕は今山内中学校の2年生として勉強中。高校に進学して卒業後は沖縄で働きたいと思っている。世界のウチナーンチュ歓迎交流会で多くの仲間達に会えて感激。読谷村のことについてもっと勉強していきたいと思う。 読谷高校で体験入学 楽しい思い出がいっぱい 貴重な体験を活かしたい 神谷マリアンヌさん(16) カナダ ウチナーンチュ大会を機に、父の母校である読谷高校に四日間の体験入学をさせてもらった。姉のリサは既に県費留学生として、琉大に在学してる。 校則の多さや誰だか見分けのつかない制服姿にはびっくりさせられたけど、クラスにみんなはとっても明るくて親切なので、すぐに溶け込むことができた。国語の時間では漢字で苦労したけど、数学はすんなり進むことができ、英語では先生のアシスタントとしてお手伝いもさせてもらった。又、旧盆には上杉君のカッコイイーエイサーも見ることができて最高だった。楽しい思い出がいっぱいつくれたので、カナダのクラスメイト達に早くおはなししてあげたい。いつか両方の交換留学が実現できればと願っている。父は、これからの女性は国際感覚を身につけたキャリアウーマンであって欲しいと言い、同時にウチナーンチュとしての誇りを忘れてはならないとも言っているので教えを守って行きたい。