【見出し】あけましておめでとうございます
遥かなる ニライを見つめ 村民の 飛躍を見守る 残波大獅子
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遥かなる ニライを見つめ 村民の 飛躍を見守る 残波大獅子
明けましておめでとうございます。 三万三千読谷村民に、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。皆様方には新たなる気持ちで「戌年」の元旦を迎えられたこととお慶び申し上げます。新しい年度は、村民の願いも、村政の目指す願いも、共々に実現しますよう心から祈念申し上げる次第であります。 村民の皆様方には、去る一年間、読谷村の村づくりや街づくり運動のために、ご支援、ご協力、ご指導を賜り厚く感謝を申し上げます。 今年は国内外の情勢の変化も徐々に表れはじめており、読谷飛行場の問題解決の大きな前進の年にしなければいけない、と決意も新たにするものであります。村民がお互いに相携え、二十一世紀の輝かしい村づくりの基盤つくりの為、全力を尽くしていく年にしたいと思います。 更に、今年は復帰後二十二年目になります。ふりかえって見て、村内各種団体の活躍もめざましく、年々充実発展して参りました。これもひとえに、関係各位の並々ならぬご努力の成果であり、心から敬意を表する次第であります。今年も尚一層のご活躍を期待申し上げます。 村は生きもの 誇れる村 輝く村 共に創ろう 年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず と云う言葉があります。"年々咲いている花は似ているのだが、人間は変化(盛衰)していくものである"という意味でありましょう。 人間の生命力は有限でありますが、自治体(読谷村という地域社会) の生命力は無限であり、未来永劫にわたり存在するものであります。幾百年・幾千年の昔から今に伝わり、更に未来へと発展するものであります。 我々はこの読谷村に誇りを持ち、輝く読谷村にするために、「人間性豊かな環境・文化村」を目標に、村づくり運動を進めてまいりました。 去った一年をふりかえり、特徴的なものをいくつか申し上げますと、五月に第二回全国自治体環境会議が本村で開催、その意義は大きく、今や環境問題は世界的規模で語られるようになりました。五月中旬から六月初旬にかけて大田県知事を団長として、沖縄の基地問題を米国政府に訴える要請団に、本村は村長・議長が加わり、一昨年に続いて二回目の読谷飛行場の演習場の廃止と用地の返還を要請しました。 一月から六月にかけて「琉球の風」が全国に上映された年でもあり、琉球の風の撮影を契機に、県内外からの観光客や来訪者も多く、更に、村民の「読谷紅いも」を素材とした地域活性化運動も大きく進展した年でありました。 十一月には、やちむんの里の南側に、県知事認定優秀技能賞受賞者・稲嶺盛吉さんの『宙吹きガラス工房「虹」』が立地した。文化村づくりの立場から、今後の発展を期待しております。 第十九回よみたんまつりは、年々歳々、規模、内容とも大きく、正に圧巻であり、豪華絢爛たるもので、見る人々に大きな感動を与えるものでありました。村内すべての団体が実行委員会に加入し、老若男女、村民総参加、村民の手づくりのまつりは、県内外からの評価も高く、ハワイ読谷クラブ(四十九名)、ハワイ県人会婦人部(二十九名)をはじめ、北海道の池田町(五名)、新潟の大和町等々、およそ八万前後の人々が参観しました。 将来の読谷村を担って立つ小中高校生が目を輝かせ、歓喜の面持ちで演技に参加しているのを見ると、これが地域の人づくり運動だという感を深くいたしました。ご協力、ご参加下さいましたすべての方々に厚く感謝を申し上げるものであります。 最後に、今年「戌年」は、村民の皆様方にとりまして良い年でありますよう祈念申し上げ、益々のご活躍・ご発展をご期待申し上げ新年のご挨拶といたします。 あけましておめでとうございます 村長 山内徳信 助 役 安田慶造 収 入 役 池原恒徳 教 育 長 伊波清安 総 務 部 長 松田重信 民 生 部 長 池原伝盛 建設経済 部長 町田宗信 総 務 課 長 与那覇守丈 企 画 課 長 新城正雄 税 務 課 長 大湾近常 厚 生 課 長 仲宗根盛良 環境保健 課長 天久 勲 保健年金 課長 桃原英夫 住 民 課 長 金子ユリ子 経済振興 課長 当山 弘 農 業 委 員 会 事 務 局 長 松田兼一 建 設 課 長 知花正典 水 道 課 長 知花正行 読 谷 飛 行 場 転用対策課長 島袋 強 消 防 庁 棚原栄福 診 療 所 長 松嶋 顕介 診療所 事務長 新城真栄 教 育 委 員 会 総 務 課 長 上地正一 社会教育 課長 上地 力 指 導 主 事 比嘉佑邦 歴 史 民 俗 資 料 館 長 名嘉真宜勝 美 術 館 長 宮城元信 中央公民 館長 仲真朝健
一九九四年の年頭にあたり読谷村議会を代表して謹んで新年のご挨拶を申し上げます。 「村民の皆様、あけましておめでとうございます」 一九九三年は、年の初めからNHKの大河ドラマ「琉球の風」の全国放映で沖縄が全国に紹介され、エキストラとして出演なされた皆様は、ブラウン管に自分の姿をみつけるのに心を躍らせた事でしょう。 「琉球の風」のロケ地の吾が読谷村は、まさに順風満帆で、数々の快挙、成果がありました。 商工会に於いては、これまでの活動が認められ、「琉球新報産業活動賞」を受賞するという成果がありました。 高校生や中学生の活躍もめざましいものがありました。読谷高校のダンスクラブの文部大臣賞受賞や、俳句で優秀賞受賞と文化面での活躍や、読谷中学の新垣琢也君の柔道日本一という快挙。古堅中学マーチングバンドの沖縄代表と次代を担っていく彼らの活躍をみると、吾が読谷村の将来は洋々たる思いで期待が出来ます。 第三次沖縄振興開発計画の初年度として、本村懸案の読谷飛行場の問題を沖縄県知事と共に村長、議長がアメリカの要人に直訴にまいりましたが、その時の要請の成果が徐々にではありますが出てまいりました。特に知事の招聘で、数人の要人が、沖縄の基地問題を視察に訪れて、読谷飛行場も視察をしております。 二十一世紀を展望した吾がムラは、読谷飛行場の問題解決を図らない限り、素晴らしい後輩達に託せません。これからも村民の皆様のご支援を仰ぎ、パラシュート降下訓練場の撤去を目指して、本村議会も「基地関係調査特別委員会」を中心にして頑張って参りたいと思います。 読谷飛行場の問題解決と、同地域の有効利用を進めていくべく、村民の皆様の益々のご協力、ご指導をお願い致します。 この様に、吾が読谷村の将来は、新春の陽光のごとく清々しく、希望に満ち満ちた感が致して居ります。 村民の皆様の叱咤激励を、これからも私ども議会にお寄せ戴きます様お願い申し上げ、年頭のご挨拶と致します。 謹賀新年 読谷村議会 議 長 儀 保 輝 和 副 議 長 知 花 治 雄 議 員 比 嘉 光 義 〃 盛 島 秀 貞 〃 比 嘉 蕃 信 〃 島 袋 勝 盛 〃 仲宗根 盛 敏 〃 佐久間 盛 夫 〃 比 嘉 秀 哲 〃 知 花 勝 〃 山 城 正 輝 〃 松 田 政 弘 〃 比 嘉 光 雄 〃 屋 良 政 信 〃 与那覇 真 一 〃 当 山 真 市 〃 新 垣 昇 〃 松 田 光 政 〃 池 原 傳 雄 〃 当 山 弘 〃 伊 波 盛 永 〃 山 内 昌 治 事務局長 屋 宜 光 正
本村の「第十九回読谷まつり」を収録したビデオテープがこの程、編集作業を終えました。 【ビデオテープの内訳】 ①まつりダイジェスト ②ザ・躍動(受け継ごう読谷の心) ③赤犬子琉球古典音楽大演奏会 ④創作「進貢船」 ⑤オープニングセレモニー (小・中校生団体演技、読谷高校創作ダンス、ハワイ村人会紹介) ⑥民話劇「首里城物語」と現代歌劇「悪魔狂」 この六巻のビデオテープは、注文販売を致しますので、ご希望の方は次に予約注文してください。 【価格】・三千円 【注文先】 ・沖縄アートビデオ(嘉数吉光) ■九三八ー四三七四(職場) ■九三七ー四一五六(自宅)
あけまして おめでとうございます。謹んで新年のごあいさつを申し上げます。 今年はきっといいことがありますようにと、それぞれに夢と希望を膨らませて、爽やかな新春を迎えられたこととお慶び申し上げます。迎えます戌年こそ、皆様方個々の願いが適えられる最良の幸多い年になりますようお祈り申し上げます。 旧年は、不慣れな教育行政畑にいきなりとびこんできて、戸惑いの連続でありましたが、この新参教育長を迷走させることもなく、導き支えて下さいました各位に心から感謝申し上げます。 この一年の教育委員会の歩みを振り返ってみますと、挙行く委員会本来の機能・役割を充分に果たすことができたかどうか、いささか不安はあるものの、大筋で手応えのある成果を納めることができたものと評価しております。 教育委員会には、学校関係の施設・設備や児童生徒の学業全般を司る教育総務課をはじめ、各種団体の活動を支援する社会教育課及び、文化・芸能等を司る文化振興課の三課があります。三課それぞれに年間活動計画を立てて、意欲的な活動を推進しております。 まず、学校教育の面では、施設の充実の一環として古堅中学校のコンピュータ教室三階だての校舎建築が進められております。学業面では学力向上対策と併せて教育活動の活性化を進めてまいりました。その成果として、スポーツ面では読谷中学校のソフトボール、テニス、柔道、古中の体操等が沖縄代表として九州大会や全国大会に派遣されております。また古中バンド部も九州大会に参加して良い成績を納めております。さらに学対事業の地域部会が進めている朝のあいさつ運動も、各地域団体等の協力を得て、定着しつつあります。自然なあいさつが日常化するまで教育委員を中心に頑張り通したいものです。併せて青少年の健全な育成を図り非行を防止する活動も全村民あげて取り組んでいただくことを期待しています。 次に社会教育課では、社会体育の支援、各団体の行事企画、推進をはじめ、中央雄公民館を中心に多彩な行事やサークル活動を展開してきました。なかでも外間守善先生の「琉球び歴史と文化」の講演会には多くの村民がご参加ご協力いただきました。なお、初心者対象の琉舞教室講座や諸講座等に多勢の方々のご参加をいただいたところでありますが、次年度も盛りたくさんの事業を計画しておりますので、より多くの方々のご協力を仰ぎたいと思います。 文化振興課の方では、美術館の企画展として、絵画・彫刻・工芸等の展示会を開き多くの方々の来館をいただくことができたし、また、城を利用して数々のイベントにも取り組んできました。 このように教育委員会では、職員が心を一つにして諸々の事業を推進し、村民への奉仕に努めてきたつもりでありますが、これでよかったのか絶えず反省を試みながら、より充実した企画・活動を展開していきたいと思っております。 今年も新しい教育の遠大な目標に沿って着実な歩みを続ける所存です。
フランス料理の三ツ星の天才と称されるピエール・ガニェール氏が二月に沖縄に訪れ、沖縄残波岬ロイヤルホテルにて「フランス料理の饗宴」が行われます。 同ホテルでは、現在、世界のグルメあこがれのグラン・シェフを迎えることから、村内の夫妻(二月二五日・二六日・二七日に結婚した方)二組をガニェール氏の饗宴に無料でご招待します。 この日に結婚式をなされ、フランス料理最高の味を食したいご夫婦は、沖縄残波岬ロイヤルホテルまでお申し出下さい。 【お問い合わせ・申込先】 ■沖縄残波岬ロイヤルホテル ▼ピエール・ガニェール 「フランス料理の饗宴」係 □九五八ー五〇〇〇 ■饗宴の期日 ●平成六年二月二五日~二七日 ※但し、招待されるご夫妻は、前述の三日間で二組が対象です。 結婚したカップルが多数の場合は抽選によってご案内されます。
本村では、豊かな住み良い生活環境をつくりだすために現在、楚辺区内において下水道事業の工事を進めていますが、この程「楚辺浄化センター処理槽土木工事」の起工式(十月二十九日午後)を挙行しました。 本村の下水道事業は、比謝、大湾、大木、伊良皆、喜名地域を「比謝処理区」として宜野湾市・伊佐浜下水処理場に配水管を連結して処理し、それ以外の地域は集落ごとに土壌浄化法システムを導入した小規模分割型下水道処理場で処理する計画となっています。 この下水道処理システムは、土壌や石などに生息する微生物で汚水を分解・浄化するシステム。 県内では宮古・平良市(久松地区)で既に使用開始され、本島内での集落単位の建設導入では本村が初めてで、楚辺区が第一号。 同システムは、悪臭の発生を抑えるために処理場を土で覆い、地表に芝生を植えて緑地空間や公園として利用できる。 今回、起工式が行われたは、その最終処分場の建設で、楚辺区と海岸近くに総工費約八億円を掛けて建設。処理槽の規模は長さ三十一㍍、深さ』五㍍からなり、完成は一九九七年三月の予定。起工式で山内村長は「建設省のモデル事業としても認定され、土壌浄化法システムを導入した下水道は処理水の再利用(農業用水など)ができ、二十一世紀の時代に最もふさわしい下水道になる。今後も次々に各地域に展開していきたい」と述べていた。
伝統芸能の良さを認識し、婦人の持つ特技を発表しよう-と、読谷村婦人連合会の「第七回演芸のつどい」(安田菊子会長主催)が十一月二十八日、村福祉センターにて昼・夜の二部にわあって盛大に催され、会場は訪れた延べ千五百人余の観衆で膨れ、婦人らの熱気に包まれて賑わった。 立見席ができる程に超満員の会場では、村内二十字から出演した二百人余の婦人らがあでやかな衣装に身を包み、琉舞や民謡、現代悲歌劇などに多彩な演技を披露。訪れた多くの観衆は、婦人らの素晴らしい演技の数々に感動し、華やかで見事なステージに、惜しみない拍手を送っていた。 また、幕間に主催者を代表してあいさつに立った安田会長は「婦人会活動を地域の末端まで浸透させ、会員相互の親睦と団結、明日への活力を培うと共に郷土の伝統芸能の良さを理解し、地域婦人会自ら、地域文化のはぅ展につなげよう」と述べていた。 収益金を福祉に寄付 安田会長では「演芸のつどい」での収益の一部を寄付するために十二月六日午前、安田会長と会計の島袋和枝さんが村社会福祉協議会を訪ね、新垣喜一常務理事に五万円を託しました。 寄付の贈呈にあたって安田会長は「演芸のつどいには末端の会員も出演して盛会を極め、会員は涙を流して喜んでいました」と話し、「婦人会のつどいの趣旨を生かし、社会福祉活動に役立てて頂きたい」と寄付を手渡し、これに、新垣常務は「婦人会の演芸は好評で、いちばん嬉しい行事である。収益の一部を社協に寄付して頂き、婦人会の福祉に対する理解に感謝し、有効に使わせて頂きます」とお礼を述べた。
三味線の始祖・赤犬子を祭る楚辺区では、毎年旧暦九月二十日に赤犬子祭を行っているが、同区では十一月三日夕、これと同時に、「赤犬子まつり古典芸能の集い」を公民館ホールにて催した。 この日、赤犬子宮での奉納に引き続き催され、今年で第二回目となる古典芸能の集いには、大勢の区民が詰め掛ける中、ステージでは楚辺区の伝統芸能「イリベーシ」の演技を皮切りに、次々に多彩な芸能を展開。発表のプログラムには「作田節」や「川平節」、「浜千鳥」などの舞踊に加え、古典音楽の演奏など、十六演目の芸能が披露された。 今回の集いの踊り手や歌・三味線お演奏には昨年から今年にかけて県内の芸能コンクールなどの入選者らに加え、小学生や高校生、女子青年会、老人らが出演。特に、今年のステージで比嘉恒健さんと桃原トミさんのコンビで踊った「川平節」などは戦後初めてのお披露目の舞いとあって、会場には口笛や手拍子と歓声が飛び交うなどして賑わい、区民は心行くまで華やかな古典芸濃を堪のうしていた。
国道五八号を北上し、喜名を超え、沖ハム工場を過ぎると旧親誌の集落跡が右手に広がって見えます。そしてさらに進むと、写真に見るような三叉路に差しかかります。 向かって右の方の四車線はご存じの国道五八号線で、一九七五年七月十九日、本部町で開幕された沖縄海洋博覧会(EXPO’75)に間に合わせるために、突貫工事で完成させた道路です。 左側の二車線道路は、写真中央部の看板にも見える通り、琉球村という観光施設前を通り恩納村山田へと伸びています。 この道路はもともと県道で、道路整備が行われ、馬車等の通行ができるようになったのは明治の末期と言われています。 明治四十五年三月六日の『琉球新報』には銀波生という人の書いた、次のような投稿文があります。 「有名な読谷山の多幸山道から(中略)難街道、剣の様な山坂道や灰お様な砂凹道、膝を没する潮渡り(見る方も無らぬ海と山と)などは今や批の辺からは昔の夢、恩納村字恩納迄は平坦々たる三間道、馬車と人力車は谷茶村の側まで通る云々」この文からすると、明治四十五年(この年に年号は大正と改まる、一九一二)になってようやく谷茶まで馬車や人力車が通るようになったと言うのです。 やがて戦争の結果沖縄はアメリカ世(アメリカ支配下の時代)となり、この県道は一号線と呼ばれましたが、日本復帰とともに国道五八号線と呼び名が変わりました。 写真の左の道をまっすぐ進みますと、なだらかな丘に突き当ります。丘を上がりどんどん進んで行きますと、琉球村の西側の山を降りて、次は現在の山田小中学校の校庭を突っ切って進んで行きます。 この道が俗に言う多幸山の道で、琉球王朝時代の中頭方西海道です。現代風に言えば国道といったところでしょうが、昔は宿道(しゅくみち)と言いました。当時の王府の規定によると宿道は、幅八尺以上で、左右に各六尺の余地をおくこととなっていたようです。 嘉永六年(一八五三)六月三日、ペリー艦隊の探検隊は国頭での調査を終えて、読谷山に入りますが、彼等もこの宿道を通って来たと思われます。彼等の記録を見てみましょう。「道の大部分は荒れた草むらで、丘の間には沼のような窪地があった。私達は数回も猪の足跡を見た。それについて土民たちは沢山いると保証したが、我々は一匹もそれを見る幸運に恵まれなかった」 宿道には処々に一里塚をおいてあり、伊良皆のヒールーモーの次は、多幸山にありました。多幸山の一里塚は「多幸山入口から宿道に入った四百メートル位の所に位置」(『沖縄県歴史の道調査報告書』)とあります。 ここに立ちますと道は何も言いませんが、琉球王朝時代、大和世、アメリカ世、日本世と、世のうつろいが感じられてなりません。