【見出し】(進貢船)
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第二五〇回読谷村議会臨時会(十月二十四日)で本村の新助役に当真嗣清氏が選任され、翌二十五日には辞令が交付されると共に、当真助役の「就任式」が村中央公民館ホールで挙行されました。 会場には役場部課長や職員、議会議員、村教育委員らが詰め掛ける中、山内村長は当真助役の略歴を紹介した上で、「有為な人材を読谷の新しい助役に迎えたことを村民と共に喜び、新助役が地方自治に全身全霊を傾注し、村民の福祉向上のために全力投球し、二十一世紀の夜明けに向け、相互に補い助け合い、スクラムを組んで、村民のために全力で頑張って下さることをお願い申し上げる」と述べ、これに当真新助役は、自身の経験に基づく教育感や三つの文化論(精神的、物質的、制度的文化)を唱えつつも、「私は若葉マーク(初心者)の助役。職員には支えていただき、知恵を授けてほしい」と呼び掛けると共に「村政発展や村民の福祉向上のため、粉骨砕身頑張りたい」と決意を表明した。 また、儀保輝和議会議長は「時宜を得た、正にこの時期の助役だと思う。全職員で本村の発展とお互いの資質の向上に努めてほしい」と激励した。 【議会における当真助役の選任(提案理由)】 当真嗣清氏は、これまで本村教育委員として、誠心誠意その責務を全うし、学校教育、社会教育の振興に大きく寄与し、氏の卓越した識見と実践力は高く評価されており、地域の人々からの人望も厚く誠実な方である。 本村にはあ多くの行政課題があり、総合的、計画的に推進するにあたって、人事体制は極めて重要であり、当真氏の豊かな知性と国際的感覚を活かし、読谷村の平和で明るい豊かな文化村づくりのために活躍していただきたく、当真氏を助役に選任した。 当真助役のプロフィール ▼一九七一年三月 ・法政大学第二法学部政治学科卒業後、東京都庁に入庁。 ▼一九七五年九月 ・米国カリフォルニア州Woodbourry大学入学。 ▼一九七七年三月 ・バーコ オブ カリフォルニア入社。 (ロスアンゼルス在) ▼一九七八年六月 ・サツマ インコポレイティド入社(ロスアンゼルス在) ▼一九八一年六月 ・加島事務機入社。 ▼一九六八年四月 ・嘉手納英数学院入社 ▼一九八九年二月 ・学習塾TAKトーマ5を設立する一方で、県立球陽高等学校でスペイン語の講師として教鞭をとる。 一九九〇年四月に読谷村教育委員に選任され、一九九四年に再任。そして、今年の十月、助役に就任。 ■読谷村字長浜一五九三ノ二 昭和二四年一月十九日生
拝啓 秋冷の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 私ことこのたび十月二十五日付けをもちまして、はからずも読谷村助役を拝命いたいしました。 これまで、外から眺めておりました読谷村政の中に入り、村づくりの一翼を担う立場となり、身の引き締まる思いでございます。と同時に安田慶造前助役の大なる功績を礎に、山内徳信村長を補佐し、村民福祉の向上、住みよいむらづくりに誠心誠意努力する覚悟でございますので、なにとぞより一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
また、第二五〇回議会臨時会では、本村教育委員として活躍してきた当真嗣清氏の辞職(助役就任)に伴い、教育委員会委員の選任も行われ、後任には屋良朝一氏(59歳・瀬名波八〇〇ノ一)を承認。屋良氏への辞令も十月二十五日に交付されました。 教育委員に就任した屋良氏は一九五九年三月、琉球大学農学部を卒業。同年、恩納村立山田中学校教諭を皮切りに、恩納~読谷~美里~古堅~真志喜~宜野座中学校に勤務し、学校教育にその情熱を傾注。氏の人格円満、包容力に富み、教師としての実践力が高く評価され、児童・生徒、教師、地域の方々からの信望も厚く、立派な教育者としての実績を残されました。地域にあっては社会のよきリーダーとして信頼され、労を惜しまない方であり、氏の教育に対する情熱や行動力は本村教育発展に大きく寄与するものと期待されています。 就任式の場では、山内村長や儀保議長、宮平良秀教育委員長、伊波清安教育長らが「村政の中で思う存分に力を発揮し、教育委員会の活性化とよい教育行政を目指して頑張っていただきたい」と述べる中、屋良氏は「身の引き締まる思い。教育行政に不安はあるが、過去の経験を活かして読谷村の教育発展のために頑張っていきたい」と述べました。
新たな議会の出発にあたり、議会議員の皆さんに「茶と舞」を届けようと、読谷村議会に芸能の魅力を届ける会(長浜真勇世話人)では九月二十八日午後、議会開会に先立ち、茶席を開き琉舞を披露した。 この種の催しは、去る三月議会に続き今回で二回目。 新議員の 門出を祝う 議会控室にて開かれた茶席には、泉川とし子社中(裏千家淡交会沖縄支部)が"一滴潤千山"と記した掛け軸を掲げて新議員らを祝福。会場には古典音楽の琴が奏でられる中、22人の選良や役場部課長らが一服の御点前を楽しんだ。 また、議場では新垣満子琉舞研究所師匠(仁風澄之会)が「かぎゃで風」を舞い、議会開会に華を添えた。 茶席を催した泉川主宰は「(掛け軸は)議員一人ひとりの活躍が、村民の心と生活を潤して下れることから、議員の門出(出陣)と活躍を願う意味と、一滴の水で水面に輪が広がるように村民にも文化活動の輪が広がるようにとの意味を込め、"一滴潤千山"が今日の日に一番ふさわしい言葉と思い掲げました」と述べ、また、琉舞を披露した新垣師匠は「今日はお祝いということで"寿"の文字が入った特別な扇子を使いました。議場という舞台で踊り、初めて緊張しました」と語り、新議員の門出を祝っていた。
「読谷村海外移住者子弟研修生」として今年の四月、ブラジルから来村した天久静香さん(20歳)。半年間の研修を無事に終え、この程帰国することになりました。 静香さんは「将来、栄養士になりたい」との夢を求めて来村。その栄養士になるためにはコンピューターのプログラミングの技法は欠かせないということから、「沖縄職業能力開発短期大学校」(屋良朝夫校長)に入学。そして、六ヶ月の研修の結果、優秀な成績を収めて九月三十日に卒業。この間、学校の夏季休暇中には中頭病院での調理学習を行う一方、来村した時から父の古里・沖縄の文化を学ぼうと、新垣満子琉舞研究所にも通い琉舞の稽古に専念し、いくつかの琉舞をマスターし、波平区の「観月会」や「読谷まつり」の舞台を踏むなど、貴重な体験をし、これまで一生懸命に頑張ってきました。 その静香さんが帰国することになり、十一月十六日午後、受入事業協力会(会長・当真嗣清助役)では「研修報告会」(議会議員控室)を開き、静香さんの研修結果を称えた。 静香さんは十一月二十日に沖縄の地を発ち、本土の親戚などを訪ねた後、十二月三日に、沖縄での苦しい思い出や楽しかった思い出を胸に、家族の待つブラジルへと帰国する。
(研修報告) ブラジル・サンパウロから今年四月、初めて沖縄にやってきた天久静香さん(20歳)に、沖縄での研修の様子や古里への思い、半年間のいろんな出来事などについて、研修報告という形で書いてもらいました。 ブラジルの中で「うちなーんちゅ」として生きていく彼女の素顔が見えてきます。 私の夢は日本で勉強することでした。ブラジルで研修生の受け入れの話があり、応募しました。沖縄に来るまではとても不安でした。というのは経済的にもかなりの差があり、習慣等も大きく違うのではないかと思っていたからです。でも、いま沖縄にいて、すべてがブラジルとは反対ではないということを実感しています。 私が沖縄にきてとても感動したのは海がとてもきれいなこと、街や道路が清潔なこと、そして人々の知識・教養が豊かなことです。また、戸惑うことは、交通方法がブラジルと反対で、車と人が左右逆になっていることです。それで車に乗るときや、道を横断するときは頭の中がいつも混乱してしまいます。 ブラジルと日本はお互い地球の反対側に位置しています。しかし、日本から多くの移民の人たちがいて、言葉や食生活、祭り等の習慣は沖縄と同じように行われます。今の「うちなーんちゅ」は「内地」の生活習慣に近づこうとしています。「うちなーぐち」を話すことが少なく、特に若い人はあまり使いません。でも、ブラジルでは違います。ブラジルの「うちなーんちゅ」は、「うちなーぐち」をよく話します。昔の言い伝えや生活習慣を大切に子供達に伝えており、ゴーヤー、ナーべーラー等の食べ物も沖縄と同じです。でも味付けは違います。 沖縄にきて少し悲しく感じたのは、世代交代と共に「内地化」し、昔のよい習慣を忘れてしまっているのではないかということでした。 ハートはブラジルでも、考え方や生活習慣は純粋な「うちなーんちゅ」である私にとって沖縄は生活するにはとてもいいところです! 初めての琉球舞踊 小さいときから沖縄の踊りはあまり好きではありませんでした。いつも父に沖縄の踊りを習いなさいといわれていましたが、私はバレーが習いたくてよく父と喧嘩しました。沖縄の踊りはテンポがゆっくりで、曲も暗い感じがし、何が表現されているのかわからなかったことが原因でした。 沖縄にきて初めて琉球舞踊を習う機会が与えられ、同じ世代の友達もでき、新垣満子先生に親切に指導していただき、さらに踊りが何を表現して踊られているかを教えていただきました。私は踊りが何を表現して踊られているかを知ったとき、それがとてもきれいで素晴らしいことに感動しました。 九月十八日の波平区の観月会では「かせかけ」を踊ることを勧められ、難しそうで断ろうかと思ったのですが、勧めていただいた知花邦子さんは、私にこの踊りの意味を教えてくれました。それは、遠くにいる好きな人のために機を織り、相手を思う女性の気持ちが表現されていることを教えてくれたのです。私はそれを知って、ぜひ踊ってみたいと思いました。それに、波平は父の出身地なので、お父さんの生まれ育った波平で踊れたらきっといい思い出になると思い、必死に頑張りました。本番は緊張して、もしかしたらすべて忘れて何もできないかもしれないと心配したのですが、最後まで無事に踊ることができて、とてもうれしかった。「ブラジルからきて短い期間でよくここまでできた」とほめられました。沖縄の踊りをやって本当に良かったと心から思っています。 研修旅行 八月には与那国、八重山、宮古への研修旅行にも行きました。与那国はちょうど台風が通過した直後で、家が壊れ、道路があちらこちら通れなく、また大きなトラックが倒れているなど、台風のすごい被害を目にして、とても驚きました。でも、とても素敵なところで、私が沖縄のどこかに住むことができるとすれば、きっと与那国だと思います。 石垣島や竹富島、西表島など、八重山の島々や宮古島の生活習慣や風景、いろいろな織物など印象深いものでした。宮古島では運良く「オリオンビール祭り」が開かれ、きれいな花火も見ることが出来ました。でも、狭い与那国島で三回も道を間違え、宮古でも一回道に迷ってしまった小橋川さんには、ほんとに困ったものでした(笑い)。 おわりに 私のためにいろんな人がこんなによくしていただいて、ほんとうに感激です。十一月にはブラジルへ帰ります。この半年間でできた友達との友情や琉球舞踊の新垣満子先生と研究所の先輩方やポリテクカレッジの先生方が親切に教えていただいたコンピューターの技術も忘れずに、ブラジルでもまたいろいろな勉強をして一生懸命頑張りたいと思います。 沖縄にきて、生活習慣、文化などとてもいい勉強になりました。皆さん本当にありがとうございました。いつの日か、また沖縄に来れることを夢みています。もし沖縄にまた来られたら、仕事もしながらもっといろんな勉強もしたいと思っています。特に日本語の中でも漢字の勉強がとても大事だと思っています。 最後に、私の詩で終わりたいと思います。 あなたと過ごした日々は さほど大事なことではありません あなたと心が触れ合う瞬間が大事なのです 心からありがとうございました。 ムント オブルガード さようなら! 天久静香 ※ブラジル語で本人が書いた原稿を、彼女なりの日本語で訳してもらい、海外移住者子弟研修生受入事業担当が整理する形で原稿と致しました。
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"いきいき健康読谷村"をテーマに"自らの健康は自ら守る"と言う健康に関する自覚と健康増進の高揚を図ることを目的に十月九日・十日の両日「第十一回健康づくり村民のつどい」(読谷村健康づくり推進協議会主催)が、村勤労者体育センターや運動広場などで催されました。 勤労者体育センター内ではもり沢山のコーナー(歯科検診、健康事業紹介、保険年金、環境と健康、健康相談、赤ちゃんだっこ体験、学校保険、生活バランス、救急・消防、ふれあい作品づくり、在宅福祉・デイサービス)が設けられ、訪れた大勢の人々の関心を集めた。また、センター前には血圧測定や筋持久テスト、柔軟度テストなどが出来る運動機能測定機器を搭載した「健康チェックおまかせ号」(健康増進車バス)が配置され、参加者らが健康測定や健康指導を受けていた。 村運動広場においては、壮年の健康、体力づくりを図り、村内ソフトボールチームの交流と活性化を図り、村内ソフトボールチームの交流と活性化を図ることを目的に「壮年ソフトボール大会」が開かれ、45歳以上の部に三チーム、60歳以上の部に六チームが出場。試合はリーグ戦方式で競われ、熱戦の結果、次のチームが優勝、準優勝に輝いた。 【45歳以上の部】 優 勝・・大木OBチーム 準優勝・・古堅OBチーム 【60歳以上の部】 優 勝・・残波チーム(宇座A) 準優勝・・宇座チーム(宇座B) また、平和の森球場では村婦人会若妻部の「親子グラウンドゴルフ大会」(知花君子若妻部長主催)が行われ、参加した多くの親子らがグラウンドゴルフを楽しんでいた。 【大会結果】 ▼チーム賞 優 勝・・ドラゴンチーム 準優勝・・シンプソンキッズ 三 位・・バックズバニー ▼個人賞 優 勝・・玉城はじめ 準優勝・・寺西恵子(ホールインワン賞) 三 位・・宮城しんご
平成六年度の「第二十二回中頭群総合体育大会」(夏季大会)は、各種競技に熱戦が展開された結果、読谷村体育協会(山内昌千代会長)が総合得点一五七点を上げ、見事に中頭郡を制覇。また、「中頭郡陸上競技大会」(十月十六日)では男子の部、壮年の部で二位、女子の部で一位の成績を収め、陸上でも総合優勝を果たし、連勝記録V9を達成しました。 なお、中頭大会の上位種目は次の通り 【夏季大会】 ▼優勝 ・ラグビーフットボール ・サッカー ・ハンドボール男女 ▼準優勝 ・テニス ・柔道、相撲 ・卓球女子 ▼三位 ・バレーボール女子 ・剣道 【陸上競技】 優 勝・・読谷村 二 位・・西原町 三 位・・北谷町