1995年7月5日発行 / 広報よみたん / 4頁
【見出し】波平区 命の恩人に感謝を捧げ「救命洞窟之碑を建立」 世代を結ぶ平和の像
波平区(上地盛栄区長)では太平洋戦争終結五十周年を節目としてこの程、区内にあるシムクガマに「救命洞窟之碑」を建立。その除幕式が五月二十八日に拳行された。
碑の除幕式を挙行
碑 文
第二次世界大戦、沖縄上陸戦当時(一九四五年四月一日)、波平区民約一,○○○人の命がハワイ帰りの故・比嘉平治氏、比嘉平三氏によって救われたシムクガマである。
終戦五十周年を記念し建立する
一九九五年四月一日波平公民館
午後五時からの除幕式には、同区の行政運営審議委員の方々など約四十人が出席する中、関係者らによって碑の除幕が行われた。
除幕に続き、あいさつに立った上地盛栄建立委員長(区長)は「五十年前の戦争で尊い人命と莫大な財産を失ったが、ハワイで暮らしたことのある比嘉平治氏、比嘉平三氏がいたおかげで多くの字民が助かり、今日の波平区の繁栄につながった。両氏が区民の命を救ってくれたことに感謝の意を込め記念碑を建立した」と述べ、更に、「教育の恐ろしさや悲惨な戦争体験を子や孫に語り継ぎ、反戦平和につなげていこう」と訴えた。また当時、壕にいた比嘉義雄氏が避難民を代表してあいさつし、米軍に包囲された五十年前の恐怖の様子を生々しく語った。
碑には大理石が用いられ、村のノーベル平和賞を夢みる村民基金助成金や事業に賛同する篤志家の芳志で建立された。「救命洞窟之碑」が建立されたシムクガマは、楚辺通信所(通称「像のおり」)の真下にあり、洞窟の総延長は二五七〇㍍余にのぼる。
去る大戦では約千人の波平区民が避難したガマで、そこに避難していた多くの人々が助かったという史実は、同じ波平区のチビチリガマの悲劇(二十一家族八十三人が集団自決)と対比されて反戦平和教育の教材になっている。
世代を結ぶ平和の像
集団自決のあったチビチリガマでは、遺族らが「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を製作(一九八七年四月二日)した。しかし、像の完成から七カ月後の十一月八日、心なき者らにより像は無残にも破壊され、住民は怒り遺族は嘆いた。これに、全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。それから七年余、遺族会ではチビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄戦終結五十周年を期に、「再び国家の名において戦争への道を歩まさない」ことを決意し、鎮魂の祈りも新たに「平和の像」を修復し、併せて犠牲者全員の名を刻んだ「石碑」を建立。その碑の除幕式は四月一日に挙行された。