【見出し】謹賀新年
今年も美しい村、人に優しい村づくり運動を展開し、輝かしい読谷村を皆の努力で創ってまいりましょう。 朝やけ雲の彼方には はるかなる大地 大いなる夢と 希望を抱き 雄飛せし 我等が同胞 いざ躍動て やすらけき ふるさとを築かん
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今年も美しい村、人に優しい村づくり運動を展開し、輝かしい読谷村を皆の努力で創ってまいりましょう。 朝やけ雲の彼方には はるかなる大地 大いなる夢と 希望を抱き 雄飛せし 我等が同胞 いざ躍動て やすらけき ふるさとを築かん
今年は十二支の第一番目の「子年」を迎えました。村民の皆様方には、希望に胸ふくらませ、新たな決意で新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。 正月には戦前・戦後いろいろな風景がありました。正月とは、時の流れの中にあって人々に生活のありようをふりかえさせ、人生への反省と新たな希望を抱かせる節目の行事であります。 村民の皆様方には、今年も更に、健康で幸せに、各方面で活躍され実り多い良い年になりますよう、心から祈念申し上げます。 昨年は戦後五〇年の節目の年でもあり、そのような観点から、村政を進め諸施策を展開して参りました。お陰様で村民各位のご指導ご鞭捷の下に、実り多い歴史的な意義ある年としてしめくくることが出来、心から敬意を表し感謝申し上げる次第であります。 昨年わたくしたちは歴史の「光と影」を見ました。天災「阪神大震災」と人災「オウム・サリン事件」、政治的差別「沖縄の基地をめぐる問題」等、影の姿でありましょう。朝のこない夜はない、と言われます。今年は、戦後五〇年だ、半世紀だ、と言う意識がありました。沖縄の諸問題解決をする最後のチャンスだ、千載一遇の機会だと。 そのような意識構造の上に提起されたのが、米軍基地の「代理署名問題」と「少女暴行事件」でありました。堰を切って一気に県民の怒りは爆発。八万五千人の結集という10・21県民総決起大会となり、これは日米軍事支配の根幹を揺るがす抗議告発であり、これ以上沖縄差別を許さない、との沖縄一気そのものでありました。 沖縄県民の人権と主体性を確立せんとする歴史のうねりであり、面目躍如たる「歴史の光」の部分であったと思います。 一九九五年の一年をふりかえって見ますと、各団体各字、青少年も大人もみんなよく頑張ったと思います。心から喜び感謝申し上げます。いくつかの例をあげますと、読谷高校ダンス部の全国制覇三連勝は圧巻であります。読谷飛行場の中に自治の殿堂・役場庁舎建設に着手、これは正に自治体外交の勝利であります。沖婦連美化コンクールでの座喜味婦人会の「最優秀賞」、「第二十一回よみたんまつり」は今年も躍動感あふれる豪華絢燗たるまつりでありました。「読谷村文化協会」の設立、農家所得の向上を目指す「ダムの散水開始」、第二回世界のウチナーンチュ大会も大盛況を極め、本村出身も四十二名が参加、村主催の歓迎会も大いに賑わいました。その他にも沢山の素晴らしい実践がありました。今年も美しい村、人に優しい村づくり運動を展開し、輝かしい読谷村をみんなの努力で創って参りましょう。最後に村民各位のご多幸、ご健勝を祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。 村長 山内徳信 助役 当真嗣清 収入役 松田重信 教育長 伊波清安 総務部長 与那覇守丈 民生部長 大湾近常 建設経済部長 当山弘 総務課長 仲宗根盛良 企画課長 山内源徳 税務課長 伊波寛市 厚生課長 知花サダエ 環境保健課長 天久勲 保険年金課長 桃原英夫 住民課長 宇久田百合子 経済振興課長 新城正雄 農業委員会事務局 長島袋強 建設課長 新城正光 水道諜長 山内薫 読谷飛行場転用対策課長 長浜功勇 消防長 新城真栄 診療所長 玉城修 診療所事務長 山内順盛 教育委員会総務課長 上地正一 仕会教育課長 上地力 指導主事 比嘉佑邦 指導主事 山内昌重 歴史民俗資料館長 名嘉真宜勝 美術館館長 宮城元信 中央公民館長 仲真朝
一九九六年の念頭にあたり読谷村議会を代表して謹んで新年のご挨拶を申し上げます。 「村民の皆様、あけましておめでとうございます」 一九九五年を振り返って見ますと、戦後50年の節目の年にふさわしい出来事や事業が着手されました。 特に、吾が村の自治の殿堂・村民待望の庁舎が着工され、読谷飛行場問題が解決に向けて一歩前進したものと喜んでおります。 村長は喜びを「うっぴ小ぬ村ぬ 大和動かち 海わたてアメリカん突動かち 読谷山野の中に役場打ち建てさ」と表しています。 念頭に来年の話をするのも変ですが、来年〔一九九七)の初夏には、読谷山野(読谷補助飛行場内)に庁舎がその偉容を表し、そこで二十一世紀を見据えたムラづくり・自治が進められてまいります。村民の皆様がこれまで以上に議員や役場職員を叱咤激励して戴き、読谷村の繁栄を図ってまいりたいと思います。 昨年も吾がむらの若者達は頑張りました。 読谷高校ダンス部の頑張りは一際光るものがあります。 大地を揺るがし多くの犠牲者を出した阪神大震災の救援チャリティー公演を催して支援をして戴きましたが、その清らかな心が通じたのか全日本大学高校ダンスフェスティバルに於いて見事三年連続の文部大臣賞受賞と衣装部門特別賞のダブル受賞を成し遂げました。 古堅中学校のマーチングバンドも昨年に引き続き九州、全国での金賞受賞という輝かしい成果を見せてくれました。両校の皆様おめでとうございます。関係者の皆様おつかれさまでした。 体育面に於いても素晴らしい活躍がありました。 全国高等学校総合体育大会(鳥取インターハイ)で、読谷高校ソフト部が二年連続準優勝という成績を残してくれました。 吾が村の次世代を担っていく若者達が、この様に頑張っておりますので、昨年は年の始めから阪神大震災やらオウム(サリン)事件など暗いニュースが続きましたが、吾が村に於いてはホットな明るいニュースが多かった様に思います。 今年も村民の皆様のお力添えを戴き、村勢発展の為に私共議会も頑張って参りたいと思います。 村民の皆様の増々のご健康とご繁栄を祈念し併せて村政へのご協力・ご支援をお願い申し上げまして、念頭のご挨拶と致します。 読谷村議会 議長 儀保輝和 副議長 知花治雄 議員 眞栄田善輝 山内昌治 仲宗根盛敏 当山真市 新垣昇 比嘉光雄 喜友名昇 松田政弘 知花勝 山城正輝 城間勇 伊波盛永 仲村律子 山内政徳 池原伝雄 佐久間盛夫 屋良政信 松田昌俊 当山弘 比嘉秀哲 事務局長 町田宗信 警察では毎年一月十日を「一一〇番の日」と定め、一一〇に関する広報や書施策を実施し、一一〇番の仕組みや利用等について広く一般への普及高揚と定着化を図っています。「ピ・ポ・パすばやいコール一一〇番」 【一一〇番のかけかた六つのポイント】①何があったか ②いつ(何分前) ③どこで(近くの目標) ④どうなっていますか(ケガ人) ⑤犯人は(車の型式、ナンバー) ⑥あなたの住所、氏名、電話番号 ■嘉手納警察署の代表番号 ℡956-0110
今年こそは、村民各位の夢や希望がかなえられる最良の年でありますよう祈念申し上げます。 旧年はあまりにも心の痛む事件の多い年でありましたが、今年は干支の初めである子牛を迎えますので、心機一転めでたいことづくしの幸多い年にしたいものです。 ところで、教育委員会が推進して来た諸事業に多くの村民がご協力いただき、お陰様で、昨年も充実した教育活動を展開することができました。まずもって感謝を申し上げると共に、本村教育活動のさらなる進展のために今年もなお一層のご支援、ご協力をお願い申し上げます。 新年度につなぐために、旧年の主な活動と成果をふり返ってみたいと思います。まず児童生徒の教育活動にスポットを当ててみますと、読中男子ソフトボール、野球、柔道部の皆さんが沖縄県代表として九州大会や全国大会に出場し、上位の成績をあげてくれました。古堅中学マーチングバンド部の諸君も、九州大会、全国大会にと県代表で出場し、金賞を受賞しております。また、村民ぐるみで取り組んでおります学力向上対策についても着実に年々順調にポイントをあげており、目標達成も目前です。 なお、教育委員会三課が計画推進してきた諸事業もぬかりなく実施され、順調な活動を展開してきました。社会教育課がバックアップしている各種団体の活動も充実してきましたし、二〇余開きました講座にも千名余の方々が受講してもらいました。文化振興課の美術館で催した一■■回の企画展に三千名余の参観者がありましたし、各イベントにも温かいご支援をいただきました。 今年もこれまでの実績を踏まえながら、また反省を加えつつ、未来を展望し、夢のある大計を立てて、三課総力をあげて取り組んでいきたいと考えております。 今年の三課取り組みの柱として次のことに力を注ぎたいと思いますのでご理解ご支援をお願い申し上げます。 学校教育の面では、知・徳・体の調和のとれた児童生徒の健全育成を目ざして学校、家庭、地域、行政が取り組むべきことを整理し、具体的実践活動を推進していきたい。児童生徒個々の持てる限りない能力を引き出し、個々の夢の実現に向けて、各学校においては、各学年、教科に課された基礎的・基本的指導事項を個々に定着させる日々の授業の充実に努力したい。と同時に、心豊かでたくましい人材の育成に向けて、基本的生活習慣の形成及び、地域伝統文化の継承、発展、創造にも努力したい。 施設整備の面では、渡慶次小学校の防音校舎及び渡慶次幼稚園園舎の改築を予定しております。 社会教育課では、いつでも、誰でも、どこでも学べる生涯学習に資する生きがいづくりに向けて、社会教育及び関係各団体等の活動を充実させる事業を進めていきますので、フルにご参加ご活用下さることを期待いたします。また中央公民館を中心に、時代や社会のニーズに応える魅力ある講座や研修活動もはば広く行う予定ですので、多くの村民がご参加願いたい。 文化振興課でも、村民参加のアンデパンダン展や盛りだくさんのイベントの開催を通して、各字の伝統文化の掘りおこし、継承、発展に努めますので、村民各位のさらなるご協力をお願いいたします。 十月二十八日、「第十五回童話・お話し大会」(読谷村PTA連合会・長浜宗則会長主催)が開かれ、児童生徒二十人(男児十人、女児十人)が、堂々と発表を行った。 大会は、古堅南小学校で低学年の部(小学一年生~三年生)、古堅小学校では高学年の部(四年生以上)に分けて競われ、審査の結果、次の児童生徒が最優秀賞と優秀賞に輝いた。 【低学年の部】 最優秀賞 具志堅のりひと(古堅小二年) 知花若菜(渡慶次小三年) 優秀賞 新地孝陽(渡慶次小三年) 松田ちぐさ(古南小三年) 【高学年の部】 最優秀賞 棚原秀樹(喜名小六年) 比嘉美幸(古堅小四年) 優秀賞 具志堅琢麻呂(渡慶次小六年) 東恩納新祈子(古南小四年)
「第八回全日本マーチングフェスティバル」(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)が十一月十九日に千葉県で開かれ、古堅中学校吹奏楽部が見事に二年連続で金賞に輝いた この全日本マーチングフェスティバルには、全国の小、中、高校合わせて六百五十八校から選ばれた四十四校が出場し、規定課題を組み入れて演技・演奏する「パレードコンテストの部」と自由に演技・演奏する「フェスティバルの部」で、日頃鍛えた技が競われた。 古堅中学校(砂辺松善校長)の吹奏楽部六十二人は、九州代表として「パレードコンテストの部」に出場。そして審査の結果、二年連続で金賞を射止め全国の頂点に輝いた。 十一月二十日午前、同吹奏楽部では金賞を土産に役場を訪れ、喜びいっぱいの受賞報告。その中で砂辺校長は「金賞受賞の演技は勿論だが、何よりも嬉しかったのは、生徒たちの生活態度がとても良く、感心した」と述べ、また、比嘉良枝部長は「練習どおりの力を発揮することが出来、良い成績を残せたので嬉しい」、長浜安代さんは「全国レベルの大会で賞がとれるか心配だった」、荷川取奈季さんは「緊張したけど練習どおりの演技ができたので良かった」とそれぞれに大会での心境を語った。 役場では当真嗣清助役が報告を受け、全国大会での金賞受賞の快挙に「日本一の成績は実に素晴らしい。今後もますます頑張ってほしい」と激励し、同校の栄誉を称えた。 十一月十八日夕、「第三回古小地域芸能のつどい」(同校PTA主催)が体育館内で開かれ、児童生徒や父母、教諭らが一緒になって歌や琉舞など多彩な演技を披露して賑わった。 地域芸能のつどいは、『学校と地域が連携し、芸能を通して地域社会全体による教育の機運をつくろう』と三年前から取り組まれ、古堅小学校の校区(楚辺、大添、大木、伊良皆)の子ども会をはじめ、婦人会や老人会、青年会らが出演。楚辺老人会と古小三味線クラブの共演による古典音楽でステージが幕を開け、「かぎやで風」や「鳩間節」などの琉舞をはじめ、「手話コーラス」、「ピアノと笛の合奏」、日舞「古城」、「子供獅子舞」に「エイサー」などの十二演目の芸能が展開され、会場を訪れた大勢の父母らを楽しませた。 なお、同校PTAは、去る十月二十一日に開催された「九州ブロックPTA協議会」で、『組織運営に優れた活動をしている」と認められ、同協議会から表彰されている。
比謝川沿岸にある泊城公園は、「比謝川沿岸整備計画」の中核的施設として平成三年十月に自治省の「リーディングプロジェクト事業」の指定を受けました。 本村ではこの事業の指定を受け、「自然とのふれあいネットワーク」の実現に向け、これまで基本設計や用地取得を進めてきました。 泊城公園(二・五七㌶)のうち、平成七年度は比謝川沿岸の○・六ハ㌶を整備することになり、その起工式は十一月二十四日午後、渡具知区内の現場事務所で挙行され、関係者らが工事の安全祈願を行いました。 工事は、石張り舗装の園路をはじめ、琉球松やアダン・ソテツ等を中心とした修景工事、石積み擁壁、展望棟などの工事が行われます。工期は平成七年十月二十六日から平成八年十月二十六日までで、工事費は約一億三千万円。 読谷村職員採用候補者選定試験を左記によって実施します。受験希望者は読谷村役場又は最寄りの公民館備え付けの受験申込書に必要な事項を記載し、読谷村役場総務課に提出して下さい。 1.採用予定職種及び人員 (1)保健婦(士)1名 (2)幼稚園教諭1名 (3)調理員若干名 2.受験資格 (1)各職共通事項 (イ)平成7年12月15日以前に本村に住所を有し、引き続き居住している者または同日以前に本籍を有する者もしくは直系尊属の父母のどちらかが同日以前に本村に住所を有し、引き続き居住している者 (ロ)禁固以上の刑を受けた事がない者 (ハ)禁治産者及び準禁治産者でない者 (二)昭和41年4月2日以降出生した者 (2)保健婦職 (イ)保健婦(士)免許保持者(平成8年3月末日取得見込みの者を含む) (3)幼稚園教諭職 (イ)幼稚園教諭免許取得者(平成8年3月末日取得見込みの者を含む) (4)調理職 (イ)学校教育法による高等学校以上を卒業した者 (平成8年3月末日卒業見込みの者を含む)又は調理師免許所持者 3,提出書類 (1)採用試験申込書 (2)自筆履歴書(役場備え付けのB判に写真貼付) (3)卒業又は卒業見込証明書もしくは卒業証書の写し (保健婦(士)は保健婦(士)免許証の写し、幼稚園教諭は教諭免許証の写し) (4)住民票抄本(受験資格が直系尊属の項に該当する場合は父母のうちどちらかの抄本も含む) (5)戸籍抄本(本村に住所を有しない場合) 4.受験申込期間 平成8年1月8日(月)~1月19日(金) (月~金 午前8時30分~午後5時) 5.試験方法 (1)筆記試験及び論文 (2)口述試験(面接) 6.試験期日 平成8年1月24日(水)午前10時~1月25日(木)午前10時 7.試験場所 読谷村総合福祉センター 8.試験日に持参するもの (1)受験票 (2)筆記用具(鉛筆3本以上と消しゴム) 9.試験結果及び最終合格者の取扱い (1)読谷村役場掲示場に掲示するとともに合格者に文書で通知 10.受付場所 読谷村役場総務課 (電話958-2201) その他詳細は直接お問い合わせ下さい。 平成7年12月15日 読谷村長 山内徳信
平成八年度、村立及び認可保育所の新入園児受付(募集)を行いますのでお知らせ致します。入所定員は、村立が180名、法人認可保育所が270名です。入所年令は、0才児から4才児までとなっています。入所を希望される方は「入所申請書」及び添付書類を揃えて役場厚生課へお申込下さい。 ☆入所定員 (村立) 読谷村保育所六〇名 読谷村南保育所六〇名 読谷村北保育所六〇名 (法人認可) わかたけ保育園九〇名 喜名保育園九〇名 のぐさ保育園九〇名 ☆保育所開所時間 ▼月~金曜日午前7時45分~午後6時(土曜日は午後1時まで) ▼日曜・祝祭日休園 ☆受付場所読谷村役場厚生課 ☆受付期間平成8年1月10日、1月31日 ☆提出書類 一、「保育所入所申請書」厚生課及び各保育所、各字公民館に準備してあります。 二、添付書類 (一)、平成七年度分村県民税及び固定資産税の課税証明書 (二)、平成七年分源泉徴収票又は所得税確定申告書の控 (三)、勤務証明書(勤めている方) (四)、自営業、内職、農業従事証明書(区長又は民生委員の証明をもらいます) (五)、診断書(病気療養中で通院又は入院の方) (六)、母子保健手帳(妊娠中及び出産の方) (七)、身体障害者手帳(本人及び家族に障害者がいる方) ☆保育所へ入所できる基準 保育所へ入所できる児童は、保護者が次のいずれかの事情にある場合で、さらに同居の親族(60歳未満の祖父母)が保育できない場合です。 ①昼間働いていること(常勤、臨時、パート、内職、自営業、農業など) ②妊娠又は出産後間もないこと(育児休業中も受付できます。) ③病気やケが又は心身に障害がある場合 ④病人の看護についていること。 ⑤家庭が台風、火災等災害の復旧に当たっている場合 ⑥村長が認める前各号に類する状態にあること。 ☆保育料 保育料は均一的に同額ではなく所得税額、村民税額、固定資産税額及び児童の年齢などによって決定されます。 ※なお、入所手続きについての詳細は役場厚生課まで問い合わせ下さい。 (電話九五八-二二〇一)
読谷村商工会青年部では、平成六年から読谷漁港の護岸でピックアート(絵画展)を行っているが、去る十一月十一、十二日の両日には「第十二回私たちの読谷村」をテーマにしたアート展を開いた。 同青年部では、第十回までの取り組みとして作文による 「私たちの読谷村」を募集して発表してきたが、第十一回から趣向を変え、絵画による表現で地域の美化、景観を意識しながら屋外での参加型の表現活動としてアート展を開いている。 第二回目のアート展には小、中、高校生や一般の方々約百五十人余が参加し、それぞれに自由な発想で護岸に絵を描いた。描かれた絵画は全部で三十九点で、漁港を訪れた人々に感動を与えている。 読谷村商工会青年部(喜友名寛部長)では去る十月二十四日にチャリティーゴルフコンペを実施し、その収益金の一部を福祉に寄付しました。 寄付は十一月十日午前、役場の村長室にて行われ、残波かりゆし学園の新崎盛繁理事長に十五万円を託しました。 席上、喜友名部長は「商工会の先輩方は、残波かりゆし学園の法人化に向けて寄付を行ってきました。継続は力なりの意志を受け継ぎ、今年もかりゆし学園への寄付をすることを決めました。今後も継続して協力していきたい」と語り、これに、新崎理事長は「継続は力なりの言葉は頼もしい限りだ。これまでにもかりゆし学園の設立にバックアップしていただき喜びいっぱいの気持ちです」と感謝の言葉を述べた。また、山内村長は「社会への貢献は人間として大事なこと。恵まれている方がハンディを背負っている方に支援するということは実に立派なことです」と青年部の善意を称えた。 地域の清掃活動を通して、自主性・自発性を育てようと古堅南小学校(新里紹次郎校長)では十一月九日午後、全児童生徒や職員らで「地域清掃」を実施した。 これは、学校生活の中で、地域の清掃活動に目をむけさせ、汗を流し、他に奉仕することの大切さを経験させることをねらいに展開されたもので、清掃作業は大湾公園(一年生)をはじめ、古堅第一・第二公園(二年、三年生)、四年生から六年生が渡具知海岸に繰り出して、ちり拾いや空缶拾いなどに一生懸命に汗を流した。児童生徒らが手にしたゴミ袋は、瞬く間にいっぱいになり、清掃後の海岸は見違えるようにきれいになっていた。
伝統工芸の特色ある村として、児童生徒にやちむん造りの喜びと創造性を培ってもらおうと、村立美術館(宮城元信館長)では去る七月の夏休みに、村内各小学校の五~六年生らを対象に「陶芸教室」を開き、土器づくりを行った。 その児童生徒の作品が乾燥~野焼きを経て完成したことから、同館では十一月十一日から二十六日を会期に「児童生徒作品展」を開催した。 初日に行われたオープニングセレモニーでは、古堅中学校の茶道部の生徒らが野点を開き、訪れた大勢の関係者らを一服のお茶で歓待した後、主催者を代表して伊波清安教育長が.「館内には子供たちの意気込みが感じられる素晴らしい作品がいっぱいで、プロにはない感覚でみずみずしい」とあいさつ。引き続き、講師を努めた山田真萬氏は「子供たちの無心・無欲さの中から予想もしない作品が出来上がり新たな感動を覚えている。一人ひとりの個性が調和する無心・無欲な世界だ」と評し、子供たちを褒めた。 また、参加した児童生徒の代表らは「ただの固まりだった土から一つ一つの作品が出来上がっていくことに、とてもわくわくした」や「陶芸はやればやるほど難しい」「陶芸ってほんとにおもしろい。よい思い出をありがとう」「歴史や文化の香りがする読谷村がますます好きになった」などとそれぞれに感想を寄せ、また、山内村長は「私は今、感動・興奮、人生の有り難さを感じている。このセレモニーは最高の感動だ」と語り、即興の詩を披露して関係者らにお礼を述べた。 館内には、~土と童~と描かれた大きな垂れ幕が掲げられる中、児童生徒らが発想もユニークに作りあげた多種多様な作品(面や動物、土鈴など)数百点がズラリと展示され、鑑賞した人々に深い感銘を与えていた。 また、同展と併せて座喜味城内では香川県出身の県立芸大研究生の「安岐理加展」が 行われ、松林に鉄の彫刻、城内には新聞を樹脂で固めてつくられた全身黄色の子供ロボット群(二十七体)に、真っ赤な色で塗りつぶした大きな四角い箱が展示され、不思議で妙な雰囲気を城空間に演出した。 十月二十八・九日の両日、「第一回アリビラバザール~読谷やちむんと北海道うまいもの市」が、ホテル日航アリビラの大駐車場で開かれ、市は初日のオープンと同時に、村内外から訪れた大勢の人出で賑わった。 今回初めて開かれた「バザール市」には、本村で活躍する窯元らの陶器類や琉球ガラス製品販売コーナーなどに加え、「北海道うまいもの市」や「読谷の特産品コーナー」「お楽しみ抽選会」(一等は北海道往復航空券)や「ゲームコーナー」「ステージショー」「体験ロクロコーナー」に、ホテル一流シェフによる「うまいもの屋台」、南海王国「琉球の風入場割引券進呈コーナー」などの盛り沢山のコーナーが設けられ、人々を楽しませた。 訪れた観客には親子連れの姿も多く、市価の10%~50%の安価で販売される陶器類を買い求めるとともに、休憩広場では北海道の珍味などを味わい、大勢の人々が満面に笑みを浮かべていた。
読谷村には、戦後米軍に基地として接収されたため自らの古里に帰れない地域がある。その一つ嘉手納爆薬庫内にある長田について語っていただいた。 名嘉真朝徳氏は長年長田区長として活躍され、今年度「ふるさと発見事業」と題して旧長田の民俗地図の作成を「ノーベル平和賞を夢みる村民基金事業」として取り組み、子どもたちから老人まで軍用地内への立ち入り調査を行い、この程完成報告会を終えた。 読谷村に在住する長田の人々だけでなく、他市町村の長田出身者も含めて参加して頂いて本当に良かった。私たちの世代までは昔の長田を知っているが今の子ども達は知らない。今の内に復元しなければ永久に忘れられてしまうのではないかという不安があったし、昨年の「字別構想」作成のための懇談会は本当にいい機会を作ってくれたと思う。 集落のほぼ中央を南北に流れる長田川をはさんで西がシルジュー、水車がある付近が東組(ミジグルマー)そして嘉手納の久得に隣接したところが石嶺組(イシンミ)と呼ばれた。一番最初の開墾の時期は定かではないが開墾後フィリピン等の南洋に移民し、その後国頭や北谷等からいまの長田区民が土地を購入して入植した。とにかく古屋敷がいっぱいあった。山から流れ出ている水があり、小さな支流を形成しその小川に添って家があった。イシンミからミジグルマーにかけて、さらにシルジューの長田川沿いには田圃が広がり二期作で米が取れた。旧暦二月ごろに田植し七月までには収穫、八月には又植えて十一月ごろ収穫した。シルジューではお茶もあって、大山や牧志、糸満からも仲買がやってきた。後名嘉真(屋号)はショウガを専門的に生産し出荷していた。家畜はほぼ全家庭で飼われていた。絹を作るための蚕棚もあったし、山には桑畑もいっぱいあった。ミカンやバナナは闘牛大会や運動会で行商した。その他サトウキビや田イモもあり、川に入れば魚やうなぎ、エビ、カニがいてほとんど食べ物に不自由しない自給自足の生活が出来た。 小さい集落だけに、田植や稲刈り、砂糖作りなどはほとんど隣組で共同作業であった。このユイマールの精神は子どもの頃から植え付けられていたように思う。国民学校時代の夏休みはみんなで大豆を収穫した後の各々の畑を耕すことが四年生位までの仕事だったし、五年生からはボーシクマー(帽子を編む)を一緒にやるのが日課だった。ボーシクマーの現金収入は当然家計の中に入った。今でもユイマールは残っていて、たまに誘い合わせて畑を手伝ったり、川魚を取りに行く。そうした伝統がエイサーにも発揮され、今でも区民全体で踊る。中には六〇歳を過ぎても現役で頑張っている人がいる。 戦争が近づいて日本軍への食糧の供出などがあって大変な状況になってきたなと感じた。ようやく生活も楽になりかけていた頃だった。戦争がなければあの頃のように、あの環境の中で生活していただろうなと思うと悲しくなる。 昔のイメージはほとんどない。辛うじて水車のところが戦前の様子をとどめている。米軍のブルドーザーで地形も変わったし、イシンミは田畑も湧水も埋められてしまっている。 みんなで現地調査をした時に「清らかな流れ美しき古里いつの日かここに帰らん」の碑を立てたが、返還されれば一番に帰りたい。老後はあの自然の中で送りたい。それが今の夢なんです。 =記念事業特別取材班=