【見出し】1996年5月19日「日米両政府による普天間飛行場返還合意に伴う読谷村域への新たな飛行場建設に反対する村民総決起大会」
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一、はじめに 沖縄はうりずんの季節を迎え、美しい花が咲きほころびております。 クリントン大統領をはじめ橋本首相におかれましては、四月十七日の日米首脳会談を終了されホッとされていることと存じます。どうぞ今後とも国民の幸せと両国の末長い発展のため御活躍されますよう祈念申し上げます。 さて、私の立場からは直接お目にかかって申し上げることは許されませんので、恐縮とは存じますが新聞紙上を通して沖縄県民の願いや問題点、更には基地返還の方法論等を申し上げたいと存じます。どうぞ寛大なお気持ちでお聞き下さいますようお願い申し上げます。そして沖縄の人々の願いや問題提起が秋の最終報告には反映されますよう御願い申し上げたく筆を執った次第であります。 日米首脳会談に先立ち、四月十二日午後八時、橋本首相とモンデール駐日大使は首相官邸で共同記者会見を行い、困難だと伝えられていた沖縄の最重要案件の一つ「普天間飛行場の全面返還(五年~七年以内)」に合意したとの突然の発表に沖縄県民は一瞬喜びを隠しきれませんでした。大きな岩が政治の力で音をたてて動いたのであります。 沖縄県民の盛り上がる世論を受け、日米両政府の思い切った判断であったと思います。クリントン大統領の訪日を目前に控え、政治的決断の必要性もあり短期間での決着であっただけに「普天間」の機能移設先については多くの問題点があり、これから申し上げます沖縄側の実態を十分に受け止め、最終的に沖縄県民が等しく喜び合えるような方策を講じていただきたいと訴えるものであります。 二、基地のたらい回しは許されない 普天間飛行場の返還合意を受け、今!沖縄県民の心は複雑に重く揺れております。 喜びの部分、大きな壁を乗り越えようという決意の部分もあれば、耐え難き屈辱と複雑で重苦しい部分、嘉手納飛行場の殺人的爆音と嘉手納弾薬庫の爆弾を枕に、五十年間も苦しみ怒りの日々を生きてきた人々がハこれ以上の爆音被害、基地被害を許さないという、人権の叫び、怒りの爆発が火山の如く、街から村へ、村から街へと大きなうねりとなって動きはじめた部分、この苦悩と苦汁に満ちた沖縄の現実を甘く見るのでな
六、沖縄の米軍基地返還の道すじ 沖縄側には色々な矛盾も苦悩もありますが「普天間」の返還に一定の評価をし、県民の英知と総力を結集し、又、国は財政的責任を持って貰い、歴史の批判に耐え得るような跡地の有効利用を果たしていく姿勢が重要でありましょう。 更に私はここで、爆発寸前にある過密な沖縄の米軍基地の再配置(問題解決の手法)の方策を日米関係者に提案申し上げたいと思います。 それは以下に述べるように抜本的な解決は米本国に移すことであります。それがすぐには難しいと言うのであれば、最低限「アジア太平洋地域」まで対象を拡げ、具体的に検討してほしいということであります。 基地の島沖縄に住んでいる日本国民の立場から考えた場合、理解し難いものに今回の日米安保問題=日米安保体制の問題があります。全ての国民の生活と国の将来を左右する極めて重要な問題であるのにもかかわらず、国会議論も全くせず(させず)に、更に国民的議論もなく政府の一部官僚と政府与党の関係者のみでまとめ上げ、日米首脳会談で「安保の再定義」をやってのけるやり方は、もはや民主主義政治とは思えません。 そして日米安保条約の適用範囲を「日本」→「極東」→「アジア太平洋地域」へと拡大し、今や「米国と日本」=「米軍と自衛隊」を同盟軍的性格を持たせ、有事を想定し地球規模での動きさえ考えているとの批判がありますが、憲法との関係は全くないのでありましょうか、次々と解釈改憲し、憲法を形骸化させていいのでありましょうか、お伺いしたいと思います。 更に気になりますことは、「有事研究」とか「後方支援」「有事立法」云々が公然と政府首脳の話として報道されるようになった日本の将来に不安を感ぜずにはいられません。そのような道の選択がアジアの国々と共に生きていく道なのでしょうか。 こうした政治状況の中で、今、沖縄の米軍基地の整理、縮小、返還を進めるに当たって、沖縄県民の要求に応えるという姿勢をとりながら、抜本的な全面返還はせずに県内の基地間で統合、移設、代替地のたらい回しは目に余るものがあり、あまりにも沖縄県民を馬鹿にした策と言わざるをえません。 基地のたらい回しはピシャッと止めてほしい。県民はそう言っているのです。 「アジア太平洋地域」まで守備範囲を拡げたのですから、米軍基地の再配置の範囲をアジア太平洋地域まで視野を拡げる必要があります。アメリカ領となっている島々が結構あるのではありませんか。一例として「アンダーソン基地」のあるグアム島であります。沖縄とグアムは飛行時間はそう遠いものではありません。その他、太平洋地域にもアメリカ領の島々があります。 そこもだめだとおっしゃるならば、最後に落ち着く場所はアメリカ本国であります。 これが基本だと思います。 最後にクリントン大統領と橋本首相に御願い申し上げたいことは、両首脳が日米会談で言われた「二十一世紀に向けた新しい日米同盟関係の樹立」を両国民が共に喜び、共に信頼し合えるような関係を樹立するためにも、沖縄の米軍基地問題の解決策を抜本的に改革していく勇気と努力が、今必要であります。
米海兵隊・普天間飛行場の返還と引き換えに・日米両政府が新たな飛行場(一五〇〇㍍の滑走路付きヘリポート)を読谷村内に建設しようとしていることに抗議するため、山内徳信村長が四月一二十日、クリントン大統領及び橋本竜太郎首相に対し『直訴状』を送付しました。 また、読谷村議会でも第二六五回臨時議会(五月九日)を開き、「在沖米軍基地返還に伴う基地機能の村内移設に反対しその撤回を要求する」決議と意見書を全会一致で可決。これと併せ、同日には新たな飛行場建設に反対する村民実行委員会(二十八団体で構成)が組織され、村民総決起大会への取り組みが確認されました。
本土復帰二十四年目を迎えた沖縄の「5・15平和行進」が今年も五月十三日からスタートしました。 沖縄の復帰記念日に向け、祖国復帰の現実と本土返還の意義を問う「5・15平和行進」は、基地のない平和で豊かな沖縄を築くために今年は全国からも支援の輪が広がり、参加者も例年の倍にのぼっていると云う。 今日における日本、沖縄をめぐる政治情勢は、日米安保条約の再定義や新防衛計画大綱、地位協定問題、大田知事の代理署名訴訟、村内においては楚辺通信所(象のオリ)の軍用地強制使用問題に見られるように、日本政府(一部政治家や官僚)が公然と「直ちに違法には当たらない」と発表するなど、世界に冠たる日本国憲法を拡大解釈し、しかも国民(県民)の声には一顧だにせずに、その顔は常にアメリカ政府の顔色ばかりを伺う政治姿勢に終始している。このことは、国自らが法律を侵しているのにも関わらず、違法行為を正当化しようとするような姑息な態度に如実に表れていると言えよう。また、普天間飛行場の返還発表に伴って、その移設先が読谷村内の嘉手納弾薬庫に新たな滑走路(一五〇〇㍍、三〇〇㌶)付き飛行場を建設するという発表は、県内への「基地のたらい回し」であり、読谷村民としては絶対に看過することはできません。 対米追従ばかりの姿勢を見せる日本政府には最早、民主主義や法治国家を守るという誇りはみじんもないことから、村民が一丸となって基地強化の反対運動に立ち上がり、大衆運動で国民世論を促さなければならないと考えます。 その意味からも、今年の平和行進は重要な意義をもち、本村から平和行進の出発式(沖縄残波岬ロイヤルホテル)が行われました。「人間性豊かな環境・文化村」を掲げる読谷村から世界へと、平和へのメッセージを発進していきましょう。
先の沖縄基地問題に関する特別行動委員会の「中間報告」で、在沖米軍基地の十一施設の返還が合意されたのを受け、「返還される施設を見ておきたい」と四月三十日に来県した岡部三郎沖縄開発庁長官が翌五月一日に本村を訪れました。 限られた日程の中、本村では村内を一望できる座喜味城跡において岡部長官を出迎え、山内村長が読谷村内の基地の状況や返還軍用地跡地利用の状況などを詳しく説明し、読谷飛行場の早期全面返還や跡地利用計画への協力を求めました。
二十一世紀へ向けた遠大な「自然とのふれあいネットワーク」づくりを目標に、本村では"比謝川沿岸整備計画"(リーディング・プロジェクト事業)を推進し、昨年の十一月から修景工事や石積み擁壁、展望棟、園路などを建設して泊城公園の整備を行っていますが、去る四月十五日には渡具知海岸沿いで第二期工事の起工式が挙行され、工事の安全祈願が行われました。 起工式には村議会議員や役場建設課職員、請負業者ら関係者約六十人が出席する中、山内村長や城間勇村議、宇根良喜・宇根産業社長ら三氏によって鍬入れ式が行われたのに続き、会場を渡具知公民館に移して第二期工事の着工を祝いました。 今回整備される泊城公園の第二期工事は、九〇〇〇㎡(○・九㌶)で、石張り舗装の園路(延長四二四㍍)をはじめ、植栽については琉球松やアダン、ソテツ等を中心にした修景工事を行い、園内には展望東屋二棟や街灯などが設備されます。工期は九月十六日までの間で、工事費は約一億八百万円。 個々の技術の向上と相互の親睦を図り、世代間の連帯感の高揚及び健康増進、併せてゴルフ人口の底辺拡大を目的として「第二回読谷村字対抗ゴルフ大会」(同実行委員会・安田慶造委員長主催)が四月二十九日、残波ゴルフクラブ(山内義次杜長)で行われました。 競技はショットガン方式(各ホールで同時スタート)の団体戦で行われ、チームは十代+女性+六十代以上の「年齢別の部4名」「一般の部12名」の一チーム16人で編成。今大会には村内十九字から三〇四人の選手が参加し、各ホール(18ホール・パー58)で和やかに競技が展開されました。 字代表として出場した選手らは「調子は上々で、楽しくプレーしている」との声がある一方で、「自分のスコアーじゃない。OBが気になり相当のプレッシャーになっている」とため息混じりでプレーする選手など、その表情も様々。これに、同ゴルフクラブの松田昌彦専務は「各字とも練習ラウンドに参加するなど盛り 上がりも良い。これまで高価と思われていたゴルフそのものが大衆ゴルフ化になっている。自然との遊びの中から、人との調和や忍耐、我慢をするゴルフは自分との闘いのスポーツだ。これからのニーズに応えるスポーツになるだろう」と語りました。 競技の結果は、伊良皆チームが優勝を飾り、昨年度優勝の喜名チームが二位、波平チームが三位の成績となりました。 なお、同大会の成績については、年齢別のグロス計と一般の部12人のうち、成績上位8人のグロス計との合計スコアーで採点されます。
いつまでも若さと気力を持ち続け、中高齢者陸上競技の普及発展に寄与することを目的に、「沖縄マスターズ残波岬駅伝大会」(主催・沖縄マスターズ陸上競技連盟、読谷村)が四月二十八日に開かれ、マスターズの部で中頭チームが念願の初優勝を飾り、ランナーズの部は浦添ピンキリランナーズが三連覇を遂げました。 "ドラマが走る・感動が踊る"をキャッチフレーズに開催される市郡対抗の「マスターズ駅伝大会」は今年で第十回目を迎え、また、「沖縄ランナーズクラブ対抗残波岬駅伝」は、正式種目として取り組まれてから第三回目を迎えました。(一九九二年からランナーズの部を新設) 大会には県内各地からマスターズの部に9チーム、ランナーズの部に31チームが出場し、両部門とも9区間39キロに健脚が競われ、マスターズの部では地元・中頭チーム(島袋辰彦監督)の一区・饒平名俊江選手が快調な走りで一位でタスキ。二区では三位に後退したものの、三区の宇良宗光選手が再びトップに踊りでて四区の波平栄市選手につなぎ、以後、中頭チームは終始首位を独走して2時間25分37秒の好タイムを記録し、念願の初優勝に輝きました。 また、ランナーズの部では浦添ピソキリランナーズが底力を見せ、2時間27分43秒のタイムで三連覇を達成しました。 今回の第十回記念大会で優勝を飾った中頭チームには、島袋監督を含め本村出身の饒平名、宇良、波平選手が出場し、3人が揃って区間賞の走りを見せて大活躍。中頭の初優勝に大きく貢献しました。 なお、本大会のランナーズの部には毎回、楚辺走ろう会(我謝孟正会長)のメンバーがエントリーし、地元で開催されるマスターズ駅伝大会を盛り上げています。 【マスターズの部・区間賞】 ▼1区(3㌔)30才以上 饒平名俊江・11分12秒(中頭) ▼2区(3㌔)60才以上 大川正輝・10分50秒(宜野湾) ▼3区(6㌔)40才以上 宇良宗光・20分31秒(中頭) ▼4区(6㌔)50才以上 波平栄市・21分44秒 ▼5区(3㌔)45才以上 花城洋子・12分39秒(宜野湾) ▼6区(6㌔)45才以上 上地重則・20分26秒(名護A) ▼7区(3㌔)55才以上 平良耕次郎・11分15分(宮古) ▼8区(3㌔)40才以上 友利ヨシ子・11分35分(宮古) ▼9区(6㌔)35才以上 平田清健・19分0秒(中頭) ●マスターズの部成績 中頭マスターズ 宮古マスターズ 浦添市マスターズ ●ランナーズの部成績 浦添ピンキリランナーズ 石川ありんこランナーズ 奥武山陸友会 ●読谷村からの出場チーム 楚辺走ろう会A 楚辺走ろう会B
本村では、『尊農敬民の思想は人間社会の基本でなければならない』(山内村長)と、農民への熱い思いを抱き豊かな農村社会の建設をめざして二十年の歳月をかけて進めてきた長浜ダムを完成させ、その完成を記念して「尊農敬民之碑」を建立しました。 「尊農敬民之碑」は長浜ダムの上流沿いに建立。その除幕式は四月二十四日午後、同地にて挙行されました。 式には県や村の関係者ら約六十人が出席する中、碑の除幕が行われ、引き続き山内村長があいさつ。山内村長は、長浜ダムの建設から散水式までの経緯を述べた後、「夢を込めた立派な記念碑が建立できたことに感動している。終生忘れられない意義ある除幕式であった」と語り、関係者らにお礼を述べました。 また、古波津忠弘中部農林事務所長は「読谷村政の熱き思いが形として表れていることに感激している。喜びを一緒に噛み締めたい。今後とも胸を張って頑張って頂きたい」とあいさつ。安田慶文長浜川土地改良区理事長は「立派なダムができ、管理が重大な使命だと痛感している。受益者として立派な運営をしていきたい」と祝辞を述べました。その後は懇親会へと移りそれぞれの関係者らが思い出話に花を咲かせました。 なお、記念碑には山内村長が進めてきた農政への想いが、碑文に刻まれています。 【尊農敬民之碑】の碑文 村農敬民の思想は人間社会の基本でなければならない しかし、歴史上最も暗く、重い犠牲を強いられてきたのは農民であった。「貧窮問答歌」「慶安の御触書」はそれを物語っている 沖縄県民は長い異民族支配を絶ち、日本国憲法の下へ復帰した 農民への熱い思いを抱く読谷村は、県を動かし、国をも動かし豊かな農村社会の建設をめざし、この地に長浜ダムを計画した 農民は豊かで幸せにならねばならない 大地の恵みである農業は人間生活の母である 大地を耕す農民は人間杜会の父である 豊かな農業、明るい農民生活 歓喜にみちた農民、幸せな農村社会の未来を夢見て 地域住民と共に力を合わせ長浜ダムは建設された 農民が逞しく生きる社会でなければいけない 農業は人類の命を支える産業である それ故、農民としての誇りと自信の持てる社会を願い 亜熱帯の輝く太陽の光と熱をエネルギーに 亜熱帯の島に降り注ぐ雨と水を生命の源として蓄える 豊穣のダム、農民讃歌の長浜ダムは遂に完成した 一九九六年 読谷村長山内徳信
さとうきび農家の搬出完了を祝う「満産祝い」(JAゆいな農業協同組合読谷支所主催)が四月二十六日午後、村総合福祉センターで開かれ、多くのきび作農家が共々に喜びを分かち合うとともに、来期の増産を誓いました。 【優良農家を表彰】 祝賀会には山内村長はじめ、村議や区長会など多くの来賓が招かれる中、式典では目取真栄吉JAゆいな農協専務が「日本、沖縄の農業の展望は明るい気がする。その為にも農家の皆様が銘柄作物の生産に精一杯頑張ってもらいたい。農協としても生産農家に協力していく所存である」とあいさつ。続いて平成七・八年期の『搬出実績報告』が行われた後に表彰式が行われ、今期生産量一位の知花弘さん(波平=百六六㌧余)が組合長賞を受賞。また、昨年から導入された品質取引への移行に伴い、今回から新設された村長賞には池原ヨシさん(楚辺=一五・九度)が一位に輝き、表彰されました。 また、式では山内村長や儀保議会議長らが祝辞を述べたのに引き続き、全員でガンバロウを三唱して式典を終了。その後に行われた祝賀会では琉球古典音楽や琉球舞踊、民謡ショーなど多くの余興が披露され、農家の皆さん方が満産祝いの一時を楽しんでいました。 【品質向上が今後の課題】 なお、今期の『さとうきび搬出実績』(JAゆいな農協読谷支所資料)をみると、本村のさとうきび生産量は約一八、五九八㌧で、地区別では具志川市(二一、〇二三㌧)に次いで二位を占めているものの、その生産量も昨年期実績(二〇、六〇二㌧)よりは落ち込んでおり、また、品質においては平均糖度一三・三で、一位の与那城(一四・〇五)、勝連、金武、コザ、具志川、美里、嘉手納についで八位の順にあり、昨年期の一二・七よりは糖度は上向いていますが、地区別の平均値一三・六よりも下回っており、今後とも生産量と併せ、品質向上に向けた生産体制が課題として提起されています。その解決方策としては、専門家の立場から「読谷村での奨励品種F一七七(K1)等への変更が課題だ」と指摘しています。