【見出し】読谷村行政の51年余の使命を閉じる 読谷村役場の沿革
1代目 読谷山村役場時代 喜名の一番地、現在、村教育委員会による文化財指定地で、昔、喜名番所があり読谷山間切役場となる。その後、沖縄戦まで読谷山村役場がそこにあった。 2代目 読谷村役所(役場)時代 戦前の敷地が米軍基地に接収された為に、戦後、波平37番地に役所を建て郷土の再建・復興の拠点(1946年から1997年3月)とした。
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1代目 読谷山村役場時代 喜名の一番地、現在、村教育委員会による文化財指定地で、昔、喜名番所があり読谷山間切役場となる。その後、沖縄戦まで読谷山村役場がそこにあった。 2代目 読谷村役所(役場)時代 戦前の敷地が米軍基地に接収された為に、戦後、波平37番地に役所を建て郷土の再建・復興の拠点(1946年から1997年3月)とした。
一九九八年から二〇〇六年を目標年次に、本村では「読谷村第三次基本構想」の計画・立案に着手しました。 この第三次基本構想は、復帰後二十余年のむらづくりの成果を引き継ぐと共に、これから始まろうとする新しきものに備えるべく理念、主体、方法についての視点に立って考えようというものです。 読谷村ではこれまで、基本構想に「人間性豊かな環境・文化村」を掲げ、「住民主体」「地域ぐるみ」「風土調和」の三原則を目標にむらづくりを推進。その発想は時代に先行し、むらづくりの過程そのものが時代の推移に符号してきたと言われています。 21世紀からはいよいよその文化・環境の中味が問われる時代に入り、新たな理念が必要となります。 そこで「第三次読谷村総合計画基本構想」では第一次~第二次基本構想を総括しつつ、実り多かった文化むらづくりの次世代への継承などの検討を通して、若者の感性を動員し、新たな理念、標語を検討し、住民の参画と対話を重視するフォーラムツアー(公開討論会)の手法が取り入れられました。 基本構想の策定には、 Ⅰ環境 Ⅱ学習・文化 Ⅲ産業 Ⅳ暮らし Ⅴ土地利用 Ⅵ行政運営 の六部門のテーマが設定され、精力的にフォーラムが開催されてきています。 フォーラムは、昨年の十一月二十二日に開かれた産業部門「地域からの仕事づくり」を皮切りに、学習・文化部門「読谷ルネッサンス~21世紀の文化村づくり~」(二月十八日、読谷村立美術館)、環境と土地利用部門「我が村における景観形成~ワークショップ~」(二月二十五日、読谷村漁協会館)が開かれました。 同日(二十五日)のフォーラムでは三人のパネラーが招かれ、事例報告が行われました。姜榮祚東亜大学都市造景学部副教授が「韓国の済州道における観光開発と環境保全」を、上勢頭芳徳喜宝院蒐集館・博物館学芸員が「うつぐみの島・竹富集落の景観保全の取り組み」を、北村英子画家が「私の見てきた沖縄・読谷の風景」をテーマに報告。その中で姜副教授は「韓国(済州道)では国が政策的に観光開発計画を立案してきた。残念なのは、自然景観を無視した建物の立地が反省点となっている。山や川(谷、滝)海岸などの自然景観を重視し、自然景観を無視した計画には建築制限で厳しく規制し、あらゆる法律で保全すべきところはしっかりと保全すること」と強調。上勢頭氏は「竹富島では町並み保存会を設立して土地を売らない運動を展開し、赤瓦の屋根、海岸の白い砂浜、石積み塀の三点セットで景観保全に努めている。地域の風土にあった建築文化は観光資源となっており、竹富島の経済はまさに文化が救っている。現在は島に環状線をつくり集落内に車を入れない運動や景観の視点から電線の地下埋設運動に取り組み、弱者(子どもやお年寄り)にやさしい街づくりを目指している」と唱え、また、北村さんは「私は常に沖縄の美しい草花で訪れる人々を『ようこそ』という気持ちで歓迎している。沖縄の草花は本土では一年草でも沖縄ではこぼれ種でも年中花が咲き、多年草で大金もかからない。自然を目で育てることをして頂きたい。それが青少年の健全育成にもつながるものと思う」と話した上で、「読谷の村花はブーゲンビレアであるが、それを意識した住民はどれぐらいいるだろうか。外部の人からはあこがれの花であり、読谷村への玄関口や公共の場所などにブーゲンビレアを植えたらどうだろう。また、村外から訪れる人には読谷村内がわからない。村内の入りロに車が停まれるような場所を確保し、やちむんの里にふさわしい陶板で作ったユニークな案内版や、不用になった陶器片をデザイン化して公共の道路整備や特色ある生活道路づくりをしたらどうだろうか。そうしたら歩くだけで楽しい道路になると思う。手の届くところがら喜びあふれる地域づくりをしてほしい」と提案しました。 その後は、パネルディスカッション(意見交換)へと移り、フロアーからも多くの意見が交わされ、フォーラムを閉じました。 ☆つづく☆
屋良先生のご冥福をお祈り申し上げます 本村の瀬名波出身で、本村初の名誉村民顕彰(一九八九年八月)に輝いた元県知事・屋良朝苗氏が二月十四日午前八時四十七分、那覇市内の赤十字病院で心不全のため逝去(享年94歳)されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 屋良先生の訃報に接し、記者会見の席上、本村の山内徳信村長は「屋良先生は、戦後の沖縄の教育復興・再建に頑張ってこられ、県民の生命・財産を守り、青少年に夢と希望を与えてこられた。初の公選主席に当選して日本復帰を勝ちとり、また初代県知事として二十七年間の異民族支配に終止符をうった歴史的な人物。屋良先生の功績は偉大で県民の父であり、輝く星であった。沖縄の人々のために骨身をけずってきた屋良先生の死去の報せに深い悲しみを感じている」と語り、哀悼の意を表明しました。 また、読谷村議会(儀保輝和議会議長)では二月十七日に開会した三月定例議会の冒頭で、故・屋良氏のご冥福を祈って、全議員と村執行部が黙薦をささげました。 ---略歴--- 1902年(明治35)12月13日生 ▼読谷村瀬名波区出身 沖縄師範、広島高等師範卒業後、県立一高女、女子師範、県立二中、台南二中の教諭などを歴任し、戦後は知念高等学校長(1947年)。 1950年 ・沖縄群島政府文教部長 1952年 ・沖縄教職員会長 1953年 ・沖縄祖国復帰期成会長 ・沖縄戦災校舎復興期成会長 1968年 ・琉球政府行政主席 1972年~76年 ・沖縄県知事 【主な表彰】 ・県功労章 ・沖縄タイムス賞 ・琉球新報賞 ・読谷村名誉村民章 ・勲二等旭日重光章 役場税務課では地方税法(第四一五条第一項)の規定により、平成九年度「固定資産課税台帳」を関係者の縦覧に供します。 閲覧をご希望の方は、次の期間に縦覧してください。 【縦覧期間】 ▼4月1日~4月20日まで(土・日曜日を除く) ▼午前8時30分~午後5時 ※関係者とは 村内に土地、家屋、償却資産を有する者、又はその代理人及び納税管理人です。 所有者及び納税管理人は印鑑を、代理人は委任状と代理人の印鑑をご持参下さい。 【縦覧場所及び問い合わせ先】 ■読谷村役場(税務課) ℡982-9206
プロフィール 『おもろさうし」に"とけす"と謡われた古い集落である。戦後は旧集落に復帰し、各種の伝統芸能がよく継承されてきた。集落形態もよく保たれており隣接の儀間と一体的な道路網となっているのが特徴である。土地改良事業、農村碁盤整備事業が実施され、農業碁盤、農村環境が格段に改善された。近年は南側に住宅地が拡大しつつある。行政区加入人口は一千四百九十九人(三百六十三世帯)で、村内では規模の大きい地区である。 地区づくりの目標 「ソフトな地域社会づくり」の時代に先駆けて独自のいろいろな取り組みがなされている。今後は共同体的な地域性と歴史性、よくまとまったコミュニティーを活かし、伝統的な芸能・文化の継承と発展を中心に、次世代づくりとあわせて、新しい農業への挑戦、美しい集落づくり等で個性的な渡慶次の未来づくりを進める。 芸能文化の創造と世代結び 伝統芸能の継景、発展にはその担い手の育成が重要である。小学生から高校生まで参加する"渡慶次獅子舞クラブ"が活躍し成果をあげている。今後も獅子舞や組踊等の伝統芸能、イサヘイヨー等の村芝居的な演劇、さらに途絶えている芸能の復活を軸に成年、青年、子ども達等の各々の取り組みを奨励し、各世代を結ぶ文化づくりと人づくりに努める。 1992年に約60年ぶりに復活した渡慶次大綱ひき。渡慶次祭りの中で行われる。東が勝つと「五穀豊穣」西が勝つと「無病息災」といわれる。村人の情熱とエネルギーがぶつかる。 組踊「大川敵討・村原」から
犯罪や交通事故のない安全で明るい快適な地域杜会を実現することは、県民すべての切実な願いであります。 しかし、近年の社会環境の変化や生活時間帯の深夜への延長などにより、犯罪の被害者となりやすい女性や高齢者の夜間外出の機会が増えていく中で、県内でも夜間における路上犯罪は増加傾向を示しており、犯罪の約67%が防犯灯が設置されてない暗い場所で発生するなど、夜間の明るい環境づくりが求められています。 このようなことから、県防犯協会連合会では、「ライトアップ推進事業対策委員会」を設置し、防犯灯を市町村に寄贈するための募金活動(ライトアップ作戦)を昨年の十一月一日から全県下で実施しています。 犯罪のない社会をめざす本村としても、この趣旨に賛同し支援することを目的に、各行政区や団体などへ協力を呼び掛けているところであります。 読谷中が約10万円・古堅中が14万円余 この運動に対して読谷中学校(当山昇進校長)ではライトアップ作戦に賛同し、生徒会が中心となり一人百円を目安に各クラス単位で募金活動を展開。生徒や教職員から寄せられた九万九千七百六十三円は同校の全体朝会(二月十二日午前)の場で贈呈。また古堅中学校(岸本広之校長)でも同様にして募金活動が行われ、十四万五千二百六十一円を徴収。集まった善意の募金は三月五日に寄付。両校の募金は、それぞれに小渡一史嘉手納地区防犯協会長に手渡されました。 東恩納さん50万円 また、三月三日の午後には東恩納依徳氏(楚辺一〇九九番地)が五十万円を寄付。その贈呈式が役場村長室にて行われ、小渡会長に寄付金が手渡されました。これに小渡会長は「推進事業に対して読谷地域の各字や団体の募金活動の協力、大口募金に感謝したい。資金はライトアップの費用に充て、防犯に役立てたい」とお礼を述べました。 みんなで協力を 事件・事故のない安全で明るい快適た地域杜会の実現は県民、村民の一致した切実な願いです。 嘉手納地区防犯協会が取り組んでいる「ライトアップ作戦」では、嘉手納署管内への防犯灯三〇〇基が設置される予定で、そのうち二五〇基が読谷村域に、五〇基が嘉手納町域に割り当てられます。総費用一二〇〇万円の内、六二五万円が県防犯協会の負担で、残りの五七五万円は両町村でまかなうことになっています。 このため、本村でも各字行政区や各種団体へ援助資金造成のための募金へのご協力を呼び掛けています。 在宅で寝たきりのお年寄りや障害者を介護している方々を対象に、「第三回読谷村在宅介護者の集い」(役場厚生課、環境保健課、読谷村社会福祉協議会主催)が二月二十日午後、村総合福祉センターで開かれました。 会場には、介護老をはじめ読谷村民生委員・児童委員、村やコザ保健所の保健婦らが集う中、楽しいレクリエーションで心身をリフレッシュすると共に、グループ別懇談会ではお互いの体験を通して、日頃の悩みを語り合い、交流を深めました。 また、この日は金武町介護者の会(希望の会)代表者の真野健治氏が『介護体験を通して』を演題とした講演が行われ、「一人で悩まず同じ境遇を持つ者どうしが連携を深め、見聞を広めてほしい」と呼び掛けました。
二月十日から三月十日までの日程で、プロ野球球団・中日ドラゴンズ(二軍)が読谷平和の森球場で春季キャンプを開きました。 その初日には山内村長ら関係者らが平和の森球場で中日ドラゴンズの監督・選手らを迎え歓迎セレモニーが行われました。 球場には『熱く燃えろドラゴンズ』の横断幕が掲げられる中、山内村長が「三万村民を代表して熱烈歓迎します。中日ドラゴンズが読谷キャンプで優秀な成果を納めて頂くよう希望します」とあいさつ。これに、ドラゴンズの正岡真二二軍監督は「読谷でキャンプを張れることを、選手もやる気に燃え喜んでいる。精一杯頑張りますので声援してください」と応えました。 なお、中日ドラゴンズの星野仙一一軍監督や正岡二軍監督らは、三月六日に役場新庁舎への記念植樹を行ったのをはじめ、九日に行われた「第五回読谷村植樹祭」には、十人余の選手らが参加し、村民と共に植樹作業に汗を流しました。 青少年がスポーツに親しみ、スポーツを通して村内の児童生徒の交流を図るとともに、心身の成果と競技力の向上並びに青少年スポーツの底辺拡大に寄与することを目的に、「第一回読谷村ミニバスケットボール大会」(村教育委員会主催)が二月八日、古堅南小学校体育館で開催されました。 大会には村内五小学校から男子lOチーム、女子6チームが出場し、リーグ戦方式(交流試合)で行われ、各ブロックでハツラツとしたプレーを展開。さすがに部活動をしている古堅南小学校や渡慶次小学校チームは競技レベルも高く、随所に小学生とは思えないほどの腕前を発揮。また、今回初めて行われた大会には競技ルールもよく知らない最年少のチビッ子選手チーム(読谷小二年生)も出場。ボールを追い求めて一生懸命にコート駆け回るチビッ子の姿に、館内は多くの観衆の声援と歓声に包まれ賑わいました。 同大会には、古堅中学校男子バスケットボール部の生徒が競技審判として活躍する一方、古堅南小学校父母会の皆さん方による大会役員への差し入れなども行われ、関係者らを喜ばせました。 なお、試合結果は次の通りとなりました。 【男子の部】 ▼Aブロック優勝 古堅南小学校Aチーム ▼Bブロック優勝 古堅南小学校Bチーム ▼Cブロック優勝 渡慶次小学校Bチーム 【女子の部】 ▼Aブロック優勝 渡慶次小学校Aチーム ▼Bブロック優勝 渡慶次小学校Bチーム
「きっと出会える人・夢・愛」をキャッチフレーズに、第五回記念「'97おきなわマラソン」(沖縄陸上競技協会、中部広域市町村圏事務組合など主催)が二月十六日に開かれ、大勢のランナーが中部路に健脚を競いました。 今年で第五回の記念大会を迎えた「おきなわマラソン」は、県総合運動公園を発着する42・195㌔のコースで、日本陸連が公認する県内唯一の競技マラソンとして県内外からも関心の高い大会。同大会は市民マラソン部門に高校10㌔を併設して行われていますが、今大会は記念大会とあって、市民マラソン部門の充実を図るため、四人一組のチームの平均タイムで順位を競う「チームエントリー制」が初めて導入されました。 大会当日は、寒風吹きつける小雨混じりの厳しいコンディションとなりましたが、参加した六千人余のジョガーたちは沿道の声援を背に受け、ゴールをめざして走り抜きました。 本村の実行委員会(当真嗣清本部長=助役)は、村婦人会や読青協の役員らが30キロの中継地点(給水、救護)に陣取り、給水サービスをはじめ疲れきったジョガーらに、大きな声援を送りました。 同大会には、読谷村からも大勢の村民が出場。波平栄市さん(54歳=長浜区)が2時間53分58秒で快走し、市民ランナー50代男子の部で見事に優勝。また、チームエントリー制では、楚辺走ろう会(我謝孟正会長)のメンバー(山内久美、池原弘光、比嘉豊太、高昌和)が平均タイム3時間32分29秒の記録を出し、堂々2位の成績に輝きました。 楚辺走ろう会は、チームワークと固い絆で第一回大会から連続で出場。今大会でも二十歳から六十二歳までの男女三十四人が出場し、第五回大会まで全員完走という立派な記録を成し遂げました。 村民の体力・健康贈進及びジョギング愛好者の底辺拡大を図ることを目的に、「第五回読谷村クロスカントリートリムマラソン大会」(村教育委員会主催)が二月二十三日に村運動広場を発着点に開かれ、参加した多くの児童生徒らがそれぞれの競技部門で健脚を競いました。 部門別の成績は次の通り、 【リレーの部1人2㎞】 1位:古堅南小Aチーム 2位:古堅南小Bチーム 3位:古堅南クラブA 【トリムの部4・6㎞】 1位:渡具知めぐみ 2位:高良玲子 3位一天久美津枝 【トリムの部2・3㎞】 1位:我謝彩乃 2位:比嘉朝巳 3位:桑江翔太
平成八年十二月二十日、読谷村行政事務改善委員会(当真嗣清委員長)が山内村長に「読谷村行政事務改善の答申」を行いました。 読谷村の21世紀の村づくりに対処する新機構改革の諮問を受け、事務改善委員会では平成七年八月三十日に第一回事務改善委員会を開き、委員十四人を委嘱すると共に、同年の十二月二十日にはワーキンググループ(作業部会)を発足させ、三十四人の委員を委嘱しました。 ワーキンググループは、 ①総務班 ②民生班 ③建設経済班 ④教育班 の四部会に配置され、ワーキンググループによる各課ヒヤリング等や事務改善の検討、報告書の作成準備が精力的に開始されました(平成八年一月~三月)。 各部会の報告書の提出を受け、委員会では部課長会議(四月二十三日)で「機構改革に関する意見聴取」を行う一方、会議に会議を重ねて答申をまとめ、十二月二十日に山内村長に提出。この答申を受け、山内村長は「今や機構改革は時代の要請である。答申の実現のために村として頑張っていきたい。委員の皆さん方の努力に感謝します」と述べました。 そして、提出された答申書は十二月二十四日の庁議で「読谷村の事務改善の方向」として決定されると共に、同日の部課長会で内容説明が行われ、決定通知されました。 平成九年四月一日以降の役場新機構の課名は次の通りとなります。 [※かっこ内は旧課の名称] 【新庁舎の代表電話番号】 ℡982-9200 ■総務企画部[総務部] ▼総務課 ▼企画・分権推進課 [企画課] ▼税務課 ■生活福祉部[民生部] ▼住民課 ▼福祉課(厚生課) ▼健康共生課[環境保健課] ▼保険年金課 ■建設経済部 ▼農業推進課[経済振興課] ▼商工水産課[※新設] ▼土木建設課[建設課] ▼都市計画課[※新設] ▼読谷飛行場転用推進課 [読谷飛行場転用対策課] ■農業委員会 ■水道課 ■議会事務局 ■選挙管理委員会 ■教育委員会 ▼教育総務課 ▼学校教育課[※新設] ▼生涯学習課[社会教育課] ▼青少年センター ■出納室 ※なお、読谷村消防本部や読谷村診療所、残波岬いこいの広場、教育委員会に属する文化振興課(村史編集室を組み入れる)や民俗資料館、美術館、中央公民館などは従来通りの電話番号となります。
※図 2階 3階 読谷村機構図〔村長部局〕 ※表 「役場の電話番号」
※図 読谷村機構図〔教育長部局〕 本村の自治の殿堂・役場新庁舎建設の「起工式」が一九九五年十月十六日に挙行されて以来、建設工事は順調に進捗し、翌一九九六年七月二十六日には「上棟祭」が行われました。 そして、新庁舎の内部工事も完了したことから、去る二月十四日午後には村長はじめ役場関係課職員、多数の工事関係者らが出席する中、新庁舎三階・大会議室において「新庁舎引き渡し式」が行われ、設計図などの膨大な書類関係や新庁舎の鍵などが、それぞれの関係業者から読谷村へと引き継がれました。 この席上、山内村長は「民主主義の殿堂・役場新庁舎の成果品が受領できたことに、これ以上の喜びはありません。歴史的な大事業を立派に成し遂げて下さった全ての関係業者に厚く感謝いたします」とお礼の言葉を述べました。 読谷村環境保健課とSFDなごみの会(喜屋武京子指導員)では二月十九日午前、役場中庭において食用廃油を利用した石けんづくりの公開実験を行いました。 これは、食用廃油を有効利用し、海や河川の汚濁の防止など環境浄化に努め、石けんづくりを通して暮らしの在り方を見直そうと試みられたもの。 公開実験には、沖縄工業高校工業化学科(上原朝光教諭他生徒の皆さん)が製作した給湯付き石けん製造機とSFDなごみの会が使用しているミニプラントを利用した廃油石けんづくりが並行して行われました。 給湯付き石けん製造機は、二十リットルの廃油を燃やしてドラム缶十四本分のお湯(七十度)を沸かし、同時に石けんをつくることも可能と言う。またミニプラントは廃油二十リットルでカセイソーダ三・五キロ、水十リットル、ソーダ灰十キロに対してプロパンガス四キロを使用。なごみの会では村内三ケ所の給食調理場から三カ月一トンの廃油を調達しているものの、現状の作業(週二回)では処理不可能。このことに関して、なごみの会の喜屋武指導員は「給湯付き石けん製造機は能力も高くて効率的。工業化学科で開発した製造機が廃油を燃料にしている点、給油付きである点を生かして廃油利用の需要拡大を図り、製造機を導入して環境にやさしい街づくりをめざしたい」と語りました。