【見出し】むら咲まつり南海王国「琉球の風」上天妃宮 かがり組踊 「執心鐘入」
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米軍基地のある市町村の振興策を検討するため「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(沖縄懇談会=座長・島田晴雄慶応大学教授)が梶山静六官房長官の私的諮問機関として設置(平成八年八月十九日)され、その後官邸から米軍基地問題の首相補佐官として懇談会の委員であった岡本行夫氏が任命され、内閣主導による沖縄振興策が始動しました。 沖縄懇談会では昨年の九月十四日・十五日、二十日・二十一日の二回に分けて県内の基地所在市町村の現地視察を実施する一方、県内十八市町村の首長、担当者との意見交換が行われました。 その意見・要望を基に沖縄懇談会では十一月十九日、基地を抱える県内市町村の振興策をまとめ、梶山静六官房長官に提言。その提言では、沖縄は本土復帰後も日米安全保障体制の下で実質的に過重な負担を担ってきた。その体制は日本が全体として国の安全の確保のために選択した基盤であるから、安全保障に関する量的質的負担は本来国民が等しく担うべきものである。その負担が沖縄に集中している実情に鑑み、困難な問題の改善のためには国全体として特別の配慮が講ぜられるべきであると指摘し、同懇談会では基地所在市町村について、基地の存在による閉塞感を緩和するため、 ①市町村の経済を活性化し、閉塞感を緩和し、なかんずく若い世代に夢を与えられるもの。 ②継続的な雇用機会を創出し経済の自立につながるもの。 ③長期的な活性化につなげられる「人づくり」を目指すもの。 ④近隣市町村も含めた広域的な経済振興や環境保全に役立つもの。 と基準を設定し、その目的を達成(プロジェクトを実施)するためには相当期間にわたる新しい枠組みが必要と結論づけています。 その提言(振興課題)を国策に反映させるため、岡本行夫首相補佐官一行が来県し、五月一日に本村役場を訪れました。 訪れた一行は、岡本行夫首相補佐官をはじめ内閣官房内閣内政審議室の鹿取克章内閣審議官、佐藤勉内閣審議官、外務省沖縄事務所の松永大介総合調整官の四氏で、今回の来村は、読谷の青年達と読谷飛行場の跡地利用について語り合い懇談することが主な目的。懇談会はその日の夕、役場(大会議室)にて行われました。 会場には村長や助役、収入役、役場関係職員に花卉や紅芋生産に関わる農業青年に加え、陶芸活動をしている若い窯元らが出席し、活発に意見交換が行われました。 懇談会では、山内村長が歓迎の言葉を述べた後、「岡本補佐官は読谷飛行場問題の新しい時代を切り開いてくれる人であり、青年の夢と日頃の思いを伝えて頂きたい」と呼び掛け、また岡本補佐官は「沖縄の中でも戦争の傷跡を負っている読谷だが、読谷には新しい息吹が聞こえ、沖縄の未来が見える思いがする」と述べた上で、「(私は)若い公務員の人たちには常に新しい前例をつくれ(どうしたら出来るかという発想で)と伝えている。今日は皆さん方のいろいろな問題や方法を聞かせてほしい」と述べました。
これに応え出席した代表らが次々に意見を述べました。 【池原昌富さん=楚辺】 「花栽培をしているが、軍用地内(トリイ通信)であるため時間上も制約があり、また土地改良ができず、灌水設備もないため生産が低下している。読谷飛行場は花卉栽培に最適と思う」 【池原昌和さん=楚辺】 「基地内では思うような農業ができず、西部連道の土地改良区の借地で農業をしている。一括して農業ができるよう一日も早く読谷飛行場を返してほしい」 【池原鈴夫さん=楚辺】 「台風などに耐えるような施設がなく、安心して農業ができ、使用できる土地がほしい」 【比嘉盛喜さん=大木】 「小規模のビニールハウスで野菜類を栽培しているため年間所得が少ない。規模拡大をしたいが土地がなく、もっと広いところで農業をやりたい」 【松田正巳さん旺伊良皆】 「土地改良をされてない小規模の土地で農業をしているため効率が悪い。読谷飛行場が返還されればそこで思いっきり農業をやりたい。夢は親父(所有権回復地主会員)が生きている間に、そこで農業青年が総合的にまとまって農業している姿を見せたい」との要望が提起されました。 これに、岡本補佐官は「読谷飛行場は二〇〇〇年までには返還されると期待を持っている。基地返還後の跡地利用に熱意を持っていることが理解できた。農業は産業の根元であり、農業に新しい付加価値を付けられるよう、出来るかぎりの努力をすることが我々の責務である」と応えました。 引き続き、残波ゴルフクラブの与久田満総務課長と読谷山焼北窯の松田共司の両氏が、返還軍用地における本村の跡地利用の事例報告を行い、懇談会を閉じました。 懇談会の終了後は会場を役場庁舎前テラスに移し、岡本補佐官一行と共に、更なる意見・情報が交わされ、和やかに懇親が深められました。 復帰の内実を問う「5・15平和行進」が十三日に県内三ケ所から一斉にスタートしました。 本土復帰満二十五年となる十五日までの三日間、行進団は沖縄本島を練り歩き、基地のない平和女沖縄の実現を訴えました。 平和行進団は、東コースが名護から宜野座、金武、具志川、沖縄、北中城を経て普天間へ。西コースは名護から恩納、読谷、嘉手納、北谷を歩き普天間へ。また南コースは那覇から糸満、具志頭、大里、与那原、浦添を行進して普天間へ向かうコースで行われました。 本村を通過する西コースには本土参加者が約四百人、県内から約三百人が参加。村内ホテルで宿泊した行進団は十五日午前、ホテルを出発して楚辺通信所(象のオリ)に向かい、ゲート前で怒りのシュプレヒコールを展開して軍事基地の撤去を訴えました。
プロフィール 中世期から続く古い集落である。戦後、米軍占領下で居住許可地域となり、多くの村民が帰村し共に居住することとなった。旧集落を貫いて軍道(現県道6号線)が既にあり、役場にも近く商店街や銀行、農協等が立地し、競谷村の中心的な通りとなった。西側の農地部分は長らく軍用地であったが、返還後土地改良事業により基盤が整備された。なお海岸線にリゾート開発が進行しており、関連でスタジオパークが開設した。行政区加入人口は一千六百九十五人(四百五世帯)で、村内では規模の大きな地区である。 地区づくりの目標 高志保は戦後、最初に帰村が始まったところである。これまで他字の人々の居住も受け入れながら読谷村の中心地としてその役割を担ってきた。今後は、懸案であった農地整備と調和して、現代の「新メンダカリ建設」といえるような住宅地の整備を軸に、ユイマールによる高齢者の相互扶助、コミュニティーの再構築をとおして、新たな時代をめざしたまちづくりを推進する。 高志保「花通り」づくり 高志保通りには、地酒の「まるたか」「残波」の酒造所があり、残波岬へのメインルートでもある。さらに高志保は読谷山花織の復興の地でもあり、これまでのカラー舗装に加え、村花であるブーゲンビレアの連続植栽や看板デザインの統一など、さらに長期的には建物の色調統一、立て替え時の建物セットバック等による質の高い商店街の建設をめざし、高志保「花通り」づくりを推進する。 与那嶺貞 昭和三十九年読谷山花織の復興に成功。昭和五十年沖縄県指定無形文化財技能保持者となる。当時の池原昌徳村長の強力な後押しを得て花織の復興に着手、沖縄県女子工芸学校で学んだ技能を駆使し、独由で地機(じ一ばた)から高機(たかはた)への切り替えに成功、複雑な文様の技法化と共に今日の花織の礎を築く。
読谷村漁業協同組合(古堅宗達組合長)では五月十五日午前、アオリイカ(白イ力)の漁獲高向上を目指し、産卵礁を設置しました。 これは、本村の豊富な漁場として大型定置網が設置されているイナンビシ海域(楚辺海岸南方約2㎞の珊瑚礁)の珊瑚が、比謝川から流れてくる汚染水などで死滅しているため、高値で取引されるイカの産卵礁を人工的に作り、水揚げ高を増やそうと設置されたもの。 この日に設置された産卵礁は全部で百束で、産卵礁は約三メートル程に切った想思樹(ソーシジュ)の木を三本ずつに束ね、その束に五十㌔のアンカー(砂袋)を結びつけ、水深10~15㍍の海中に10㍍間隔に沈められました。 古堅組合長や漁業関係者らによると「アオリイカの産卵時期は二月から五月頃、うまくいけば十月頃には約30センチ位に成長するので漁獲できると思う。時期をみて産卵状況の確認調査を実施し、その効果を見てみたい」と語りました。 なお、同漁協によるアオリイカの昨年(平成八年)の水揚げ高は約二・四トンと少なく、今回の産卵礁の設置に伴い、漁師や関係者らはアオリイカの大幅な漁獲量に大きな期待を寄せています。 「日本メキシコ移住百年祭」を祝う記念行事が五月九・十日(現地時間)の両日、メキシコシティーで開催され、その百年祭に沖縄から琉球舞踊公演団(照屋寛孝団長・メンバー二十七人)が出演。公演では琉舞や棒術、獅子舞、エイサーなど沖縄の民俗芸能が披露されることになりました。 一行は四月七日の午前に空路メキシコへ向けて出発しましたが、そのメンバーには本村の座喜味棒(小橋川修さん、真栄田靖さん)が加わっています。 公演団の出発する前日(六日)、座喜味区では公演への出演報告のため、仲宗根憲栄区長や同区の屋我平栄座喜味棒保存会長はじめ、小橋川さん、真栄田さんらが役場を訪れました。 その席上、海外に雄飛する座喜味区伝統の棒術に山内村長も感動し、「文化は未来永劫に続くものであり、座喜味棒はその中心的役割を果たしている。公演団に参加できたと言うのは異例の抜擢であり、読谷村の誇りだ。自信と誇りをもって頑張ってほしい」と激励。これに二人は「出演者は全ての人たちがプロで、二人だけが素人だが、読谷の名に恥じないような演技を披露したい」と応えました。
読谷村の社会教育の振興を図るため、本村には社会教育指導員(非常勤)が設置されていますが、去る五月七日に津波古菊江さん(大湾)と棚原百合子さん(渡慶次)が指導員として委嘱されました。 指導員は、①社会教育に関する各種学級、講座の直接指導又は学習相談、②青少年教育、③社会教育関係団体の指導助言に関することを職務内容とし、教育一般に関して豊かな識見を有し、かつ、杜会教育に関する指導技術を有する者のうちから、教育委員会が委嘱しています。 読谷村教育委員会主催の各種スポーツ行事の企画と運営に参加し、村内におけるスポーツの振興と村民の体力向上を図り、社会体育の健全なる発展をめざし、資質の向上を図ることを目的に「読谷村体育指導委員協議会」が設置されています。 その協議会の総会が四月二十三日に開かれ平成九年度の体育指導委員(十三人)が選任されましたので紹介いたします。 【読谷村体育指導委員】 ・安次嶺米子(古堅) ・比嘉隆雄(楚辺) ・島袋秀光(座喜味) ・山内明秀(都屋) ・平良妙子(喜名) ・池原盛喜(楚辺) ・上地正秀(瀬名波) ・高昌和(大添) ・池原康司(古堅) ・国吉好美(高志保) ・喜友名健(波平) ・伊波健(伊良皆) ・与那覇栄子(渡慶次) 読谷村身体障害者ホームヘルパーに、五月一日付けで具志真佐美さん(楚辺一四〇八番地)。十四日付けで新垣笑さん(波平二九番地)のお二人が委嘱を受けました。 その委嘱状の交付式は具志さんが二日に、また新垣さんが十四日に役場村長室にて行われ、山内村長から委嘱状が手渡されました。村民の温かい激励をお願い致します。 四月二十二日はアースデー(地球の日)。 この日環境汚染などが進む地球を見なおし地球環境を守ろうと、世界的に植樹などの市民運動が展開されています。 この日、本村では在沖米陸軍・トリイ通信施設のデビッドL・マリズゥスキー中佐(副司令官)が落成の祝いを兼ねて新庁舎を訪れ、役場中庭に記念植樹を行いました。
野村流音楽協会読谷支部ではこの程「創立三十周年記念誌」を発刊しました。 創立三十周年を迎えた読谷支部は、戦後まもない頃に三線音楽愛好者が集まった比謝川支部・読谷芸能協会の二つの団体が発展的に解消したことにより一九六五年(昭和四十年)五月に設立されました。 同支部では一九九五年(平成七年)に三十周年の記念すべき年を迎えたことから、その節目にあたり「創立三十周年記念事業実行委員会」(照屋貞正委員長)を設置し、記念式典・公演、記念誌発刊への取り組みが行われました。 その事業の一環としての「式典・公演」は平成七年三月二十六日に挙行され、以後、記念誌の編集作業が精力的に進められ、この度の発刊へと至りました。 尚、記念事業の終了に伴い、同支部では福祉協議会に寄付をしました。 村では平成八年度より「読谷村小口資金融資制度」を実施しています。 この制度は、村内で事業を営む小規模企業者の健全な育成を推進し、経営的自立とその振興を図ることを目的としたものです。 事業資金の融資を希望される企業者は次にご相談ください。 【融資の申込・問い合わせ先】 ■読谷村役場商工水産課 ℡982-9216 ※表「融資の内容」 (注)運転資金…商品の仕入、原料購入資金等 設備資金…店舗、工場の新増築、改築、機械、車輛購入資金等 転業資金…業種を転換する場合の商品仕入や設備投資等 治安維持に活躍する警察官の姿及び県民の立場にたった警察活動の実態を、地域住民に正しく知らせようと"ふれ愛・ソフト・ひらかれた警察"を開催テーマに、「嘉手納警察署文化祭」(主催・金城健嘉手納警察署長)が次の日程で開催されます。 文化祭には、職員や家族の絵画、書道、写真、手芸品をはじめ、我が家の宝物・秘蔵品、骨董品などの品々が多彩に展示されます。 多くの村民の皆さんがお気軽に嘉手納署に立ち寄って、文化祭をご観覧ください。 【開催日程】 ▼6月26日(木)~28日(土) 午前10時から午後6時まで 【開催場所】 ▼嘉手納警察署2階会議室 「クルマの不正改造は法律で禁止されています」 運輸省では、道路交通に危険を及ぼす等深刻な社会的な問題となっている暴走族及び過積載を目的とした不正改造車を排除するため、平成2年度から「不正改造車を排除する運動」を全国的に展開してきたところです。 しかしながら、ダンプのさし枠の取付、車体外へのタイヤの突出等不正に改造した車両の運行が後を絶たない状況にあります。 このため、道路交通の安全の確保と公害の防止を図るため、平成9年度においても6月1日から6月30日までの一ヶ月間にわたって「不正改造車を排除する運動」を官民一体となって、全国的に展開します。 この機会にぜひ不正改造の防止にご理解を頂きまして、不正改造を行わないようご協力お願いします。
"地域特産品の開発と販路拡大はもとより、村内商工業者の活力を内外に広くアピールし、商工業の振興と地域経済の活性化を図ろう"と「ユンタンザ産業フェア・むら咲まつり」(同実行委員会主催)が四月二十六・七日の両日、南海王国「琉球の風」内で催され、大勢の観光客や家族連れの人々で賑わいました。 今年で第十回目の節目を迎えた「むら咲まつり」は、第一回から七回までは「ユンタンザ物産展」として残波岬いこいの広場を会場に開催されてきましたが、第八回からはこれまでの物産中心のまつりから更に規模・内容を拡大し、地域産業の振興を図ることを目的として「ユンタンザ産業フェア・むら咲まつり」に名称を改め、村運動広場や多目的広場前駐車場で開催されてきました。 十回目の今年は、将来読谷村の基幹産業として期待される観光リゾートの振興を視野に入れた施設の有効活用と村内産業の育成、発展、拡大についてビジネスチャンスを創出すべく、文字どおり"むらを咲かせる産業フェア"として例年より更に趣向を凝らし、南海王国「琉球の風」に会場を移して多彩なイベントが展開されました。 琉球の風ゲート前でのオープニングセレモニー(テープカット)で華々しくむら咲まつりがオープンし、まつり広場には本村特産品の紅いもをはじめ、地場産業を紹介した出店四十店余が軒を並べる中、特設ステージでは子供達の琉球舞踊や古堅中学校吹奏楽部の楽器演奏、村芝居、民謡ショーなどを披露。また上天妃宮では県立芸術大学生らによる組踊「執心鐘入」が演じられ、訪れた人々を魅了しました。
二日目は、子供達を対象にしたミニ四駆大会、スーパーカイトショーなどの楽しいイベントに加え、天使館広場で行われた調理師による「氷刻コンテスト」では、大勢の人々が、その鮮やかな手さばきに見惚れていました。 ステージでは、笑築過激団による歌謡ショーやコント、琉球国祭り太鼓の演技、カラオケ大会などが繰り広げられる一方、商工会謝恩福引き抽選会では多くの方々が豪華景品を射止めて喜び、今年のむら咲まつりは多彩なプログラムと村内外から訪れた数千人の人々とで、両日とも賑わいました。 なお、まつり初日に行われた"むら咲シンポジウム"では「読谷村の観光振興の現状と課題」をテーマに、沖縄コンベンションビューローの洲鎌孝事務局長の基調講演に続き、大城勝哲読谷村商工会会長や松田昌彦㈱ユンタンザ杜長、山内源徳読谷村役場企画分権推進課長、忍田昌一日航アリビラ常務がパネリストとなって、それぞれの立場からの現状報告や今後の課題や可能性についての議論、提言が行われました。
中高齢者陸上競技の普及発展に寄与することを目的とし、長寿県にふさわしい生涯スポーツの祭典として第11回「沖縄マスターズ残波岬駅伝大会」(主催=沖縄マスターズ陸上競技連盟・読谷村)が四月二十七日に開催され、マスターズの部で中頭チームが二連覇を飾り、ランナーズの部は浦添ピンキリランナーズが四年連続優勝を果たしました。 沖縄マスターズ残波岬駅伝大会は、残波岬いこいの広場前を出発・中継点に岬公園内を周回するコースで実施され、マスターズの部、ランナーズの部とも9区間39㎞で健脚が競われました。 今大会にはマスターズの部に10チーム、ランナーズの部に33チームが出場。地元勢ではマスターズの部に中頭マスターズ(島袋辰彦監督)に本村出身者が十二人中、七人。またランナーズの部に楚辺走ろう会(我謝孟正監督)とユンタンザヨンナーズ(玉城義雄監督)がエントリーし、大会を大きく盛り上げました。 競技は午前9時丁度に、山内村長のピストルの合図で両部門のランナーが一斉にスタート。マスターズの部では第1区で那覇、第2区宜野湾、第3区宮古が首位でタスキをリレーしましたが、第4区で中頭の波平栄市選手が区間賞の走りで一位でタスキをつなぎ、以後第5区からアンカーまで危なげないレースを展開し、2時間24分17秒で大会二連覇を飾りました。 またランナーの部は、浦添ピンキリランナーズが前評判どおりの強さを発揮。第3区で首位を明け渡したものの安定した走りで首位を独走し、2時間23分56秒で四連覇を達成しました。 なお、マスターズの部及びランナーズの部の成績は別表の通りで、区間賞(マスターズの部のみ)は次の方々が獲得しました。 【区間記録(個人賞)】 ▼第1区[3㎞] 下地純子(11分13秒=那覇) ▼第2区[3㎞] 根間寛裕(11分27秒=宮古) ▼第3区[6㎞] 前西政和(20分15秒=浦添) ▼第4区[6㎞] 波平栄市(21分32秒=中頭) ▼第5区[3㎞] 与儀幸子(12分10秒=中頭) ▼第6区[6㎞] 上地重則(20分48秒=名護) ▼第7区[3㎞] 津波敏師(10分54秒=名護) ▼第8区[3㎞] 桃原かをる(11分49秒=宜野湾〕 ▼第9区[6㎞] 平田清健(18分58秒=中頭)