第17代ミス沖縄に輝く(クリーングリーングレイシャス)砂辺麻衣子さん(大木出身)
〔写真〕第17代 ミス沖縄に輝く グリーングリーングレイシャス 砂辺麻衣子さん(大木出身)
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〔写真〕第17代 ミス沖縄に輝く グリーングリーングレイシャス 砂辺麻衣子さん(大木出身)
〔写真〕「緑化功労で建設大臣賞に次いで総理大臣表彰に輝いた島袋正栄氏が役場を訪れ、素晴らしい受賞を報告」、「村監査委員として活躍して来られた奥原実氏と新監査委員に選任された喜友名行雄氏(左側より)」、「座喜味城から村内を視察する前沖縄開発庁長官ら」 地域の環境を美化しようと一九八八年(昭和六三年)から、児童公園や座喜味城跡公園に接する村道沿いに四季折々の花を植え、毎日、花の手入れや除草、清掃を行っている島袋正栄氏(67歳=座喜味四六三番地)がこの程、その功績が高く評価され、『緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰』に輝きました。 この表彰は、緑化推進運動の実施について顕著な功績のあった個人又は団体を称えることを目的に、昭和五十九年から実施されているもので、今年度は全国で4個人、8団体、5学校、7地方公共団体が表彰に輝きました。 表彰式は七月十一日に内閣総理大臣官邸で行われ、その栄えある席上では、受賞者を代表して島袋正栄氏が謝辞を述べました。 八月十二日午前、総理大臣表彰に輝いた島袋氏が役場を訪れ受賞を報告。 これに当真助役が「素晴らしい受賞おめでとうございます。今後とも健康に気をつけて頑張ってください」と祝福。島袋氏は「受賞できたのは村内外の方々のお力添えのお陰。これを励みに今後も頑張りたい」と応えました。 長年にわたる島袋氏の地道な活動により、地域の子供や住民の間に自然環境の保護、美化活動に対しての気運が高まり、地域の美観の向上に大きな効果を上げています。 その功績が国や県の関係機関の評価を受け、同氏は一九九三年十月には沖縄県の都市緑化の推進及び都市公園の保全等の功績で「緑化表彰」を受賞。また、一九九六年には「建設大臣表彰」に輝いています。 読谷村監査委員に喜友名行雄氏(61歳・波平五四の九)が選任され、八月一日に辞令が交付されました。 また、これまでご活躍なされました前監査委員の奥原実氏には記念品が贈られ、山内村長が同氏の功績に感謝の言葉を述べました。 新監査委員に選任された喜友名氏は、昭和三十四年三月に琉球大学文理学部数学科を卒業後、恩納中学校の教諭を皮切りに、読谷、嘉手納、古堅中学校などを歴任。平成二年から四年までの間は本村教育委員会指導主事として活躍し、読谷中学校の教頭を経て退職(平成七年三月)。この度、奥原氏の勇退に伴い本村監査委員に選任されました。 七月十六日~十八日の日程で、岡部三郎自民党沖縄振興開発委員長(前沖縄開発庁長官)や瓦力安全保障調査会会長(元防衛庁長官)らが来県し、十八日午前に本村(座喜味城)を訪ねました。 本村では、当真助役や関係部課長はじめ儀保輝和議会議長や当山真市基地関係調査特別委員会委員長らが一行を出迎え、基地問題の早期解決や読谷飛行場転用計画の推進などへの要請を行いました。
〔写真〕「交通安全指導員に委嘱された松田氏、比嘉氏、長浜さん、知花さん(前列左から)」、「ポスター・標語で表彰され喜びいっぱいの児童生徒たち」、今年は5団体にノーベル基金が交付されました」 嘉手納署管内の「少年の深夜はいかい防止ポスター・標語コンクール」(金城健嘉手納署長主催)がこの程開かれ、その入選者表彰式が八月六日に嘉手納署で行われました。 入選者は次のとおり。 【ポスターの部】 ▼最優秀 與那覇友紀(渡慶次小四年) ▼優良 仲宗根綾子(渡慶次小四年) 興古田愛梨(渡慶次小四年) 【標語の部】 ▼最優秀 當山秋乃(読谷中二年) 「行かないよ」 断る気持ちを 忘れずに ▼優秀 永吉紀子(嘉手納中一年) ▼優良 比嘉恵(古堅中三年) ▼佳作 伊波裕(古堅中一年) 新里千夏(読谷中二年) 読谷村の地域特性(歴史・文化・産業等)を活かした自主的・主体的・創造的な地域づくりを目指し、本村では「読谷村ノーベル平和賞を夢みる村民基金助成事業」を行い、村内に居住する個人や団体等への助成金を交付していますが、平成九年度の交付式は七月十八日に行われ、五団体に総額一九七万五千円が交付されました。 交付された団体及び助成金額は、次の通りです。 〔交付団体〕琉球いも生産部会 読谷村交通安全母の会 読谷村芸能交流団 波平区 楚辺芸能振興会 ※表のため原本参照。 地域の高齢者の交通事故防止を図るために、県警察本部では本年度から「シルバー交通安全指導員」を設置しましたが、この程、嘉手納署管内で八人(読谷村五人、嘉手納町三人)の指導員に委嘱状が交付されました。 【指導員】(敬称略) 比嘉房雄(座喜味六一) 松田善康(楚辺二一一一の二) 大城富(渡慶次六四) 知花静子(波平三四〇) 長浜清子(大木一六) 読谷村海外移住者子弟研修生受入事業協力会(当真嗣清会長=助役)の「一九九七年度・定期総会」が六月六日午後、役場庁議室にて開かれ、九六年度の事業報告や決算、九七年度の予算が承認されました。協力会は、海外移住者子弟研修生受入事業により来沖する研修生が、初期の目的を達成することができるよう協力するとともに、国際交流思想の高揚並びにこれら移住国と読谷村の友好親善に資することを目的に設置されています。 これまでに受け入れした研修生は第一期生から四期生までに五人が来村し、機械技術やコンピュータ技術を習得する一方で、沖縄の文化や伝統芸能等を学んで帰国しました。 協力会の総会では、本来なら新しい研修生を紹介し、激励することになっていますが、今年は未だ研修生が決まってなく、寂しい総会となりました。
本村では、平成7年3月に村内23区全ての「読谷村字別構想」を策定しました。 これは、字というコミュニティーを出発点として、個性的で自立的な「21世紀をめざした村づくり」をめざすもので、字別構想は、①地区の特性と課題、②地区づくりの目標、③地区づくりの施策、④推進事業の四項目にまとめられました。 地区づくりの目標では、各字毎にユニークなキャッチフレーズが付けられており、「広報よみたん」では、その特色ある構想(村勢要覧に掲載)をシリー ズで随時紹介します。 〔写真〕「EAST GATE OF YOMITA」「組踊 「護佐丸」から」、「集落内をねりあるくエイサー」、「喜名移転先地」 プロフィール 街道筋に立地した古い集落であり、那覇から山原への交通要衝地として喜名番所が置かれた。その後、間切役場(一八九七年)、読谷山役場(一九〇八年)に改められた。戦前までは役場として使用された村の中心地であった。戦後は軍用地に接収されたため国道58号西側の現在のところに移転し、今日に至っている。なお古窯「喜名焼」発祥の地でもある。行政区加入人口は二千三十二人(四百八十世帯)で、村内では規模の大きい地区である。 地区づくりの目標 喜名焼が古くから伝わったこと、また琉球王朝時代には交通の要所として栄えてきたことなど、喜名の歴史は村でも特長がある。ペリー提督一行がこの地を訪れたときも村人たちは温かく迎えた。また喜名小学校は本村教育発祥の地であり、その”進取の気性”は現代に受け継がれている。先人たちの遺産を新たな”喜名づくり””人づくり”へと始動させる。 新喜名番所づくり 現在の国道西側緑地帯を将来返還が予想される東側の軍用地跡地利用と関連付けながら東西をあわせた有効利用を進める。そこは喜名の街を守る環境緑地帯、人々のレクリエーション及び広域交通の休憩所の各機能を持つものとし、さらに読谷村の東の玄関口、現代の”新喜名番所”として整備を進める。 変わりゆく喜名 時代の呼吸を常にいち早く感じ続けた喜名。それは喜名人を誇りうる理由である。そんな喜名人気質を蘇らせようと今、喜名は変わりつつある。人づくり、暮らし、古しまの再建構想、新喜名番所づくりなど、区民が多様な活動を通して新しいまちづくりを始めた。その先駆が「喜名一番委員会」(仮称)の組織化であり、具体的に推進していく。
〔写真〕「久米島で本場のエイサーを披露する伊良皆青年会。勇壮なエイサーは久米島の人々に感動を与えました」、「久米島での文化交流(エイサー)に感動・感激しその報告に役場を訪れた伊良皆青年会の皆さん」、「残波岬で行われたゲートボール大会」、「嘉手納町で開かれたゲートボール大会」 去る七月二十六日・二十七日に開かれた久米島の「第17回具志川村まつり」に、本村の伊良皆青年会(池原健太会長)がエイサー出演し、好評を博しました。 これは、文化交流の一環として具志川村からの招待によるもので、一行は二十六日、岳原宜正読谷村文化協会長を団長に、地謡・青年エイサー隊の総勢三十三人が船(フェリー)で久米島に向かいました。途中、フェリーが寄港する渡名喜島では一時下船して島の人々にエイサーを披露する一方、久米島では老人ホームの慰問をはじめ、まつりパレードや地元の球美若獅子多太鼓との共演をし、人々に本村の伝統芸能・エイサーの魅力を伝えました。 七月三十日午前、岳原会長や新垣正春伊良皆区長、池原青年会長らが連れ立って役場を訪れ、具志川村まつりへの出演経過を報告。岳原会長は「村民が本場のエイサーを見てとても感激し、涙の別れがある程に感動の旅であった」と語り、また、池原青年会長は「多くの村民が私達を歓迎していただき、文化交流を通して物凄い感動を抱くことができました。これを励みに字行事にも積極的に関わっていきたい」と話し、村や関係者にお礼の言葉を述べました。 これに、報告を受けた当真助役は「読谷を代表する青年がこのように頑張っていることは本村の誇りだ。後輩の模範になるよう今後も頑張ってほしい」と激励しました。 第20回読老連ゲートボール大会が六月二十六日、残波岬いこいの広場グラウンドで六十チーム・五五〇人が参加して開催されました。 大会は、予選リーグはスムーズに運営されましたが、午後からは台風の影響のため、決勝トーナメントの二十チームは順延されました。 その決勝トーナメントは七月十一日午後に行われ、楚辺Eチームが優勝を飾り、二位・波平Cチーム、三位・楚辺Hチーム、四位・楚辺Aチームの順位となりました。 なお、85歳以上の出場選手は二十五人の方々で、出場祈念のメダルと賞状が贈られました。 第14回交通安全親善ゲートボール大会が八月十二日に嘉手納町陸上競技場で開かれ、嘉手納町と読谷村とで四十八チームが出場しました。 決勝トーナメントには十六チーム(読谷村十五、嘉手納町一チーム)が勝ち残り、その結果楚辺Cチームが優勝し、二位・楚辺Bチーム、三位・伊良皆Aチーム、四位・楚辺Aチームの順位となりました。
〔写真〕「婦人の主張大会には6人の弁士が堂々と主張を展開し、会場に詰め掛けた大勢の聴衆に感銘を与えました」 婦人の訴えの中から生活に潤いを見出だし、社会的視野を広げよう―――と、平成九年度「第30回読谷村婦人の主張大会」(読谷村婦人会・松田キク会長主催)が七月二十六日午後、村中央公民館ホールにて開かれました。 会場には村議会議員や教育委員関係者を含め、約二百人余の各字婦人会員らが詰め掛ける中、大会は松田会長のあいさつに続き、当真助役や伊波教育長の激励の言葉を受けて始まり、登壇した六名の婦人は、それぞれのテーマに添って声高らかに主張を展開。厳選なる審査(内容、音声、態度)の結果、「母として慟く女性として」を演題に発表した天久弘美さん(波平婦人会)が最優秀賞に選ばれ、「中部地区婦人の主張大会」への本村代表に決まりました。 【発表者と演題】 ◆最優秀賞 ・天久弘美(波平) 「母として働く女性として」 ◆優秀賞 ・仲村渠むつみ(渡慶次) 「子供会の役員を引き受けて」 □松田明美(喜名) 「私の大変身」 □上地美智子(儀間) 「学ぶ楽しさ」 ・比嘉安子(高志保) 「夢は必ずかなう」 □伊礼正枝(瀬名波) 「母ちゃん がんばるぞ」 家族そろって食事をする夕食のひととき、それが私にとって楽しく幸せを感じるときです。 一人びとりがその日を振り返り健康で一日を過ごせたことに感謝をし、語り合う、私達共働きの夫婦にとって貴重なコミュニケーションの時間でもあります。 私は幼い頃から憶れでバスガイドという仕事につき早二十年が経ちます。その間に結婚をし、そして二人の男の子を出産。現在高校一年生と小学校五年生で、そろそろ自立できる年頃になりました。その間には、数知れない犠牲をはらってきましたし、私自身も幾度となくくじけそうになったものです。 子供達が小さかった頃のことです。どの親も経験することでございましょうが、私が仕事に出かける準備をすると「お母さん行かないで、元気も一緒に行く」とスカートにまとわりついたものです。泣いてしがみつく息子を、姑にお願いして職場へと急ぐのでした。 泣きじゃくり、追っ掛けてくる我が子を思う時、「私はいったい何のために働いているのだろう。金を稼ぐため、貧しくても幼い我が子に母親として接することが大事ではないか」と、何度か自問自答を繰り返しながら職場へと向かったものです。それでも、職場へ着くと、母親の顔からプロのバスガイドの顔に変身し、バスヘと乗り込むのでした。 お客様には気持ちを悟られないように一生懸命、笑顔で振る舞います。子供が急に熱を出しても母親として側に居てやれない、休めない職場の現状です。 バスガイドとして案内をしながらも、我が子が熱にうなされ苦しんでいる様子が目にちらつき、母親としての虚しさからついほろりと涙することもありました。 それを払い除けるように笑顔をつくり、声を高々と案内したものでした。 職場の先輩からは「皆そんな思いをして子供を育てていくのよ、今そんな弱音をはいていては仕事はおろか子育てでもつまづいてしまいますよ。さあ、へこたれず頑張りなさい。」と励まされることも多々ありました。 現在、県内には二十二万二千人の女性労働者がいて、子育てをしながら働いている婦人もたくさんいます。 子供を両親に預け、仕事を続けることができた私は恵まれた方で、身近に子供を預かる人がいなければ、保育所に預けなければなりません。しかし、なかなか条件が合わないこともあって辞めていく人も少なくはありません。主人が大変理解を示してくれて、私が早朝出勤の時にはなれない手つきでオムツを変えたり、ミルクをあげたり、いろいろと面倒をみてくれました。 そういった苦労話も今では懐かしい思い出話になりました。 その子供達も今では自立心の強い子に成長し、長男の通う読谷中学校が昨年、全国中学校ソフトボール大会で三位に入賞しました。それが自信となり、高校でもソフトボール部に入り、忙しく充実した日々を過ごしています。 次男は「少年野球チームに入り、将来はプロ野球選手になって大きな家を作ってあげるネ」と目を輝かせて話してくれます。 それぞれ夢をもって生き生きとした子供達の姿を見て、思いやりのある子に育って本当によかったと、それもひとえに主人の理解と姑の協力のおかげだと常に感謝の気持ちでいっぱいです。 仕事とはいえ、週一回は泊まりで家を空けることもあります。その時には、家のことは主人と長男が面倒を見ている関係上、その埋め合わせといってはなんですが、PTAの役員を八カ年続けて参りました。 最初のうちは、子供が小さいからとか、仕事が忙しいという理由で断ってきましたが「役員をすると子供が変わりますよ。子供の為にもお願いします」という担任の先生からの一本の電話で、〝子供が変わる〟そして良い方向への変化を期待して、断るにも断りきれず引き受けたのがきっかけでした。それまでは、家庭と職場だけの行き来で地域社会の活動に参加することはほとんどありませんでした。 しかし今では、それがきっかけとなり、婦人会の役員をし、そして私のような未熟なものが、この名誉ある婦人の主張大会に二度出させて頂きました。それも二十年間ガイドを続けてきた自信と役員をとおして多くの人との出会い、巡り会いの中で知らず知らずのうちに成長させて頂いたと感謝をしています。 男女雇用機会均等法が施行され、社会進出をめざす女性が増えています。 私はこれまでひとつの仕事としてバスガイドに従事してきました。この仕事が好きですし、私に適していると思います。もちろん生きていく上で、生活の糧としてもこの仕事を続けようと思っています。私の経験からしてガイドは入社して一~ニ年は訓練したもの覚えたものを口にするのが精一杯で無我夢中なのです。しかし、三~四年と経験を重ねるごとに一層の磨きがかかり、内容的にもより充実したものとなるのです。 今本当に子育ても落ち着き仕事をするのに心身共により良い条件です。その間、沖縄の風俗、習慣も身につき、それだけあらゆる面からの視野も広がり質の高いガイドができる年齢でもあると実感しています。 何より安全に気を配りながら、和やかに案内できるようになるのも、やはり経験を重ねて必然的に身につくものだと思います。 私達の職場でも三十五才定年から六十オに定年が引き上げられ、もっともっとガイドを続けることができます。 今、女性の地位が社会的に認めれている中で、私も家庭と仕事を両立させ、人間的にもっと大きく成長していきたいと思います。
〔写真〕「男女共同参画型社会を築こうと県女性総合センターの狩俣氏が招かれ講演会が催されました」 男女共同参画型社会の実現に向け、本村(企画・分権推進課・女性政策担当係)ではこれまでに「講演会」や「女性の歩みパネル展」、広報紙「あやとり」などを発刊し、女性行政を展開しています。 男女雇用機会均等推進月問の六月二十六日には、狩俣信子沖縄県女性総合センター館長を講師に招き、「仕事と家庭」をテーマとした講演会を催しました。 会場の村総合福祉センターには大勢の聴衆が詰め掛け、講師の話に熱心に聞き入りました。 ※6頁と7頁見開きのため、全文の一部は6頁参照
〔写真〕「ラグビー大会で優勝した渡慶次チーム」、「バレーポール男子の部で優勝した大湾チーム」、「バレーポール女子の部優勝の座喜味チーム」、「グラウンドを駆け回る少年ラガー」 読体協の夏季スポーツを締めくくる各種競技大会(バレーポール男女、男子バスケットボール、ソフトテニス、柔道、剣道、相撲)は七月十三日に競技が行われ、各試合の結果は次の通りとなりました。 【バレーポール】 [男子の部] 優勝=大湾 2位=渡慶次 3位=宇座 女子の部] 優勝=座喜味 2位=大湾 3位=宇座 【バスケットポール男子】 優勝=波平 2位=座喜味 3位=大木 【ソフトテニス】 優勝=喜名 2位=大木 3位=楚辺 【柔道】 優勝=高志保 2位=宇座 3位=波平 【剣道】 優勝=渡慶次 2位=瀬名波 3位=高志保 【相撲】 優勝=高志保 2位=喜名 3位=渡慶次 四月から七月にかけて開催されました。読体協の夏季スポーツ大会の中問成績は次の通りとなりました。 九月二十八日開催予定の第50回「陸上競技大会」には、各字とも総力を結集して頑張ましょう。 第32回読体協「夏季大会成績」 ※表のため原本参照。 夏休み!暑さに負けず、協調心と忍耐力を養成しようと、「少年ラグビースクール」 (読谷村教育委員会主催)が七月二十九日~八月二十一日の日程(火・金の八回)で行われました。 初日の開校式には、日本ラグビーフットボール協会コーチ委員の吉田純司氏が「読谷村をチビッ子ラグビーから社会人チームまで一貫した普及・指導のモデル地域にしたい」と福岡県から駆けつけ、熱心に指導されました。 昨年結成された喜名小学校ラグビースクールを中心に、二十人余の小学生が元気に楕円球のボールを追いかけました。喜名から参加した又吉君は「暑いけど、自由に走り回れて楽しい」と息を弾ませながら話しました。主任コーチの楚南兼俊氏(宜野湾高校教論)は「今後とも一年を通じて活動を継続し、将来は沖縄を代表するラガーマンを育成したい」と抱負を語りました。
〔写真〕「少年柔道大会で9回目の優勝を遂げた嘉手納署チーム(読谷少年柔道クラプ)が優勝報告」、「世界の元プロサッカー選手(前列左から)ベルント・ニッケル氏ゲルト・ミュラー氏ヘルムート・ハーラー氏」、「世界一流選手から技術指導を受ける少年サッカークラブの子ども達」 第10回「沖縄県警察署少年柔道剣道大会」(財・沖縄県防犯協会連合会、沖縄県少年補導員会連絡協議会主催)が七月二十三日、沖縄県総合運動公園体育館にて開かれ、同大会で嘉手納署チーム(読谷少年柔道クラプ)が見事に七連勝を飾り、V9を達成しました。 同大会(柔道の部)は県内警察署管内の小・中学生で編成された団体戦(五人)で競われ、嘉手納署チームは本部署に5-0、糸満署に3-1、沖縄署に4ー0と勝ち進み、那覇署との決勝戦では1-1で代表戦に勝敗が委ねられました。その代表戦では知花佑介選手が一本勝ちを納めて優勝し、同大会通算九回目の優勝を成し遂げ、県代表として全国大会(八月六日・東京の警視庁武道館で開催)への出場権を手にしました。 七月二十四日午後、金城健嘉手納警察署長や小度一成嘉手納地区防犯協会会長、山内馨コーチらが役場を訪れ、優勝報告。その素晴らしい実績に、当真助役や伊波教育長が祝福の言葉を述べると共に、「全国大会でも大いに頑張ってほしい」と激励しました。 【嘉手納署チーム選手名】 ◆小学生 仲宗根泰輝(渡慶次小五年) 新垣直也(渡慶次小六年) 神谷智彦(渡慶次小六年) 山内ひとみ(古堅小六年) ◆中学生 知花真一郎(読谷中一年) 知花佑介(読谷中二年) 宮城良明(読谷中二年) 青少年の育成と地域社会との交流を目的とし、ドイツの元プロサッカー選手及びコーチより技術指導をしてもらい技術の向上と指導者の育成を図ろうと七月二十八日午後、「サッカーコミュニケーショソ97」(読谷村主催)が残波岬いこいの広場グラウンドにて行われました。 本村を訪れた元プロサッカー選手は、元西ドイツナショナルチームのゲルト・ミューラー氏及びヘルムート・ハーラー氏、元ミュンヘンオリソピック代表のベルント・ニッケル氏の三人。(日本人アシスタント数名が同行) 一行はこの日、役場を表敬訪問し、職員らの歓迎を受けた後、少年サッカー教室の技術指導へと移動。残波岬いこいの広場には村内の小学生サッカーチーム(四チーム・約九十人)が参加し、世界のスーパースターから直接、ドリプルやパスワーク、シュートやヘディングなどの高度なテクニックを教わりました。 また実技指導(約一時間半)終了後は、参加した子ども達が三氏を囲んでサインを求める一方、全員に三氏のプロマイドがプレゼントされ、喜ばれました。
〔写真〕「沖縄三協アルミ社が創立25周年を記念して100万円を寄付しました」、「県産品優先使用でキャンペーン団が来村」、「建築士会中部から10万円が寄付されました」 沖縄三協アルミ株式会社(伊良皆―一五番地)が会社設立二十五周年を迎えたことから、同社では村社会福祉協議会に百万円を寄付しました。 寄付に当たっては、七月二十五日午後、宮下準一代表取締役社長と比嘉源勝常務取締役が役場を訪れ、「会社設立二十五周年記念を迎えた私達の気持ちとして、福祉に役立ててください」と当真助役に寄付金を託しました。 これに、当真助役は「沖縄三協アルミ社は地域に溶け込み、国道沿いに花壇を設けて花を植え、役職員らが一体とって美しい環境づくりに頑張っておられることを嬉しく思うと同時にいつも感謝している。二十五周年の記念に多額の寄付をして頂き心から感謝します」と語り、また同席した新垣喜一社会福祉協議会常務理事も「多額の寄付は福祉のために有効に活用させて頂きます」とお礼を述べましこ。 【沖縄三協アルミ株式会社】 昭和四十七年七月二十八日に、資本金四千万円で本村伊良皆(国道五八号線沿い)に設立。現在の従業員は五十三人。同社は平成四年七月にも二十周年記念として村社会福祉に百万円の寄付がありました。 県産品奨励運動の一環として七月十日午後、「県産品の優先使用の要請キャソペーン」(主催・社団法人沖縄県工業連合会、沖縄県JIS協会、沖縄県酒造組合連合会、沖縄県商工会連合会、沖縄県商工会議所連合会)が、読谷村及び読谷村議会に対して行われました。 県産品奨励運動は、県産品の需要創出による景気の維持・拡大を図り、経済の活性化を促進し、雇用の場の創出を図ることを目的として毎年、業界や消費者、行政等が一体となって推進されています。 本村には、二十一業界を代表するキャソペーソ団が訪れ、当真嗣清助役や儀保輝和村議会議長に対し、「要請書」を手渡しました。 これに、当真助役や儀保議長が「県産品の優先使用の趣旨に賛同し、村の施策に活かしたい」。「地域づくりのため地域にこだわり、沖縄の地域にこだわって、議会としても一緒に頑張っていきたい」と応え、また、同席した読谷村婦人会の役員らは、主婦の立場から意見を述べ、「いつでも、どこでも供給でき、手軽な値段で手に届くような品物を作ってほしい」との要望がなされました。