Kiroro<Chiharu and Ayano>
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ハワイ読谷クラプ(テルマ・ラム・桃原会長)が今年で結成七十年を迎えることから、「読谷まつり」への参加と地元との交流・視察、親族との再会を目的に、同ハワイ村人会一行の83人が十月二十八日に来県し、古里・読谷を訪れました。 ハワイ在住の読谷村人会の皆さん方が多勢で古里を訪れたのは、一九八六年十月の一世~三世の80人が最初で、ニ度目は一九九四年十一月の「読谷まつり」の日程に合わせ、49人(一世~三世)が訪問。今回訪れた皆さん方は、一世~五世までの巾広い層の方々が来村しました。 村人会の一行は、十月二十三日にハワイ・ホノルル空港を発ち、九州観光(福岡~長崎~熊本~鹿児島)を経て二十八日に沖縄に到着。那覇空港到着ロピーでは、当真嗣清助役や村職員、親類や友人らが一行を出迎えて歓迎のセレモニーを行い、再会の喜びを分かち合いました。 一行は二十九日・三十日に那覇や南部を観光した後、三十一日午前に”ふるさと読谷“に入村。一行は直ちに役場庁舎を訪れ、新庁舎をバックに記念撮影した後、山内徳信村長からの歓迎の言葉や大勢の職員らの歓迎を受けました。 新庁舎見学の後、一行は仲宗根盛良保健年金課長と長浜功勇読谷飛行場転用推進課長の案内のもと、和洋菓子の店・ポルシェや沖ハム工場、ヤチムンの里などを見学した他、この日の夕方には残波岬いこいの広場(東屋)での「ハワイ読谷クラプ歓迎交流会」に望みました。 その交流会は、海外で活躍するユンタンザチュの労をねぎらおうと村主催で開かれたもので、そのため、この日の接待役には役場部課長らを総動員してコックに仕立て、手づくりの料理でハワイ村人会一行を迎えました。 交流会場にはハワイの方々の家族や親族、関係字の区長や友人・知人ら多くの人々が駆け付け大賑わい。満員に膨れあがった東屋内は、それぞれの関係者らがハワイの方々を囲み、再会と尽きない思い出話に花を咲かせ、また、その歓迎会の席では、ハワイ読谷クラプと読谷村との記念品交換やハワイの皆さん方によるフラダンス、地元からは沖縄民謡などの余輿が披露され、楽しく宴会を盛り上げました。 翌朝(十一月一日)、村人会の一行は残波岬公園内の展望台を散策した後、村歴史民俗資料館や美術館、座喜味城を見学。そこで年輩者の方々は沖縄の歴史・文化にふれ、遠い昔の沖縄の姿(生活)に思いを馳せていました。 一行はその後、南海王国「琉球の風」や「チビチリガマ」「波平花織工房」「赤犬子宮」に足を運び、午後三時過ぎに読谷まつり会楊に合流。 一行は二日間にわたって繰り広げられたロマン溢れる壮大な「読谷まつり」を観賞し、感動と思い出を胸に、四日に沖縄の地を飛び発ちました。
※460号2・3ページの見開きのため、全文は2ページにあり。
本村では、平成7年3月に村内23区全ての「読谷村字別構想」を策定しました。 これは、字というコミュニティーを出発点として、個性的で自立的な「21世紀をめざした村づくり」をめざすもので、字別構想は、①地区の特性と課題、②地区づくりの目標、③地区づくりの施策、④推進事業の四項目にまとめられました。 地区づくりの目標では、各字毎にユニークなキャッチフレーズが付けられており、「広報よみたん」では、その特色ある構想(村努要覧に掲載)をシリーズで随時紹介します。 プロフィール 古い文献によれば〝ねは村〟〝そべ村〟と記される古村で、三味線の始祖である赤犬子を祭っている。戦後、一旦帰村するが軍用地接収を受け、現在地に区画区分を行い集団移転した。近年は周辺に住宅が立地し、新住民が増えている。なお村内最初の公共下水道整備事業が実施されている。行政区加入人口は二千五百四十二人(六百八十六世帯)で、波平に次ぐ世帯数を持ち村内では特に規模の大きい地区である。 地区づくりの目標 楚辺は世帯数も多く、戦後の集団移転にみられるように、組織的実行力に富む集落である。また快活な社交性と赤犬子に象徴される唄と踊りの心は、積極的に伝統芸能を受け継ぐ原動力となり、国内外との交流を発展させてきた。一方、村内初の公共下水道の整備により、生活環境の改善ばかりでなく昔のような美しい海の回復も期待される。楚辺の海に面するユーパンタは〝世立ち〟のバンタの意味であるともいわれ、海の回復を契機にユーバンタの復活と居住環境の整備をはかるとともに、赤犬子が象徴する唄と踊りという、人の本源を大切にして世代を超えた文化・交流のむらづくりを進める。 赤犬子の里づくり 赤犬子の唄と踊りの心と楚辺の快活性は、伝統芸能の継承と国内外との交流の基本軸となった。この赤犬子をキーワードに文化交流の発展、海への親しみと健康づくり、道路等交通の改善、住宅地・駐車場の確保整備、環境・景観づくり、営農支援など総合的な楚辺プランの作成と多岐にわたるプロジェクトで〝赤犬子の里づくり〟を進める。 復活が待たれるユーバンタ ユーパンタはスピガニクと並んで最も重要な海浜環境資源である。ユーバンタの復活による地域活性化の拠点機能には計り知れないものがある。 海と親しむことによる健康づくりという視点も跨まえながら、海域の浄化、養浜、海岸林の植栽などの海岸環境のトータルな整備のなかで〝ユーバンタの復活〟を進める。
去る十一月二日午前、大添区(上江洲謙区長)悲願の公民館建設がいよいよ始まり、その起工式が同区敷地内で挙行されました。 大添区は、本村二十三番目の行政区として一九八五年(昭和六〇年)三月三十一日に誕生し、当時二百十九世帯でスタートしました。以来、歴史は浅いが区民の結束力と自立性で着々と伝統・文化を築いている。 そのような中、公民館建設区民からの要望に基づき、建設委員会(源河朝徳委員長)を発足させ、二十二階に及ぶ討議を展開。その中から具体的な方針・計画を導き出し、建設にあたっては九五年四月の区民定期総会の場で、住民主体の〝手づくり公民館〟にすることの基本方針を決定この日の起工式へとこぎつけました。 その具体的な実践方法としては建設実行委員会(二十人)を組織し、総務部・財政部・組織部・専門部・現場部・情宣部の六つの部を設置。その方法は独特で、建設業にあっては資材提供、設計業にあっては技術提供、区民にあっては労力の提供など、まさしく手づくりの公民館建設に向け、区民が一丸となって進められている。 これに関し、上江洲区長は「無い無いづくしの大添区だが、区民には知恵を出しあい自分たちの力で造ろうという意気込みがある」と語りました。 起工式では、多くの関係者が出席する中、工事の安全祈願や関係者代表による鍬入れ式、区民一人ひとりが代表であるという考え方から参加者全員による鍬入れで、起工式を祝いました。 【大添公民館建設の概要】 ▼建設場所 ・楚辺―二七九番地の三一 ▼敷地面積(七〇ニ・ニ六㎡) ▼建物面積(一六三・六二㎡) ・木造平屋建(スレート屋根) ▼建築費は総額四千万円で、村補助、借入金、自己資金で、残りは寄付金などで賄う予定。 「区の諸行事の活動に役立てて下さい」と十月二十八日午後、大木公民館(長浜宗英区長)に軽トラックが贈られ、区民を喜ばせました。 この軽トラック(スズキキャリートラック660cc=時価62万円)を寄贈した方は、同区の東恩納依徳さん(楚辺一〇九九番地)で、贈呈にあたっては区関係者らが出席する中、東恩納さんから長浜区長に車の鍵や登録証が手渡されました。 大木区ではこれまで、区の諸行事や老人会・婦人会団体などの行事の度ごとに、区民の方々の協力(車両の提供)を仰ぎながら諸行事に対応していたため不便をきたしていました。そのため、公民館専用の車両を購入しようと区で話し合っていたところに、これを伝え聞いた東恩納さんが「字の諸行事に役立つならば自分が車を贈呈しましょう」と今回の寄贈になったもの。 この善意に、長浜区長はじめ区関係役員らは「東恩納さんにはこれまでにもステージの緞帳(幕)やテソト、テープルなどの寄贈をして頂いている。今回の軽トラックは諸行事に巾広く活用でき、とてたも助かります」とお礼の言葉を述べました。
三十五年の長きにわたり、犯罪のない明るい社会を目指して地域防犯活動に取り組んできた嘉手納地区防犯協会顧問の渡口彦信氏(71歳=古堅六五の一―)が十月九日、東京都港区の明治会館で行われた「全国地域安全運動中央大会」(全国防犯協会、警察庁主催)で、氏の功績が高く評価され、同大会の最高賞に当たる防犯功労栄誉金賞に輝きました。 この金賞受賞者は県内では渡口氏一人。 渡口氏は一九六二年(昭和三二年)以来、嘉手納署や地域とタイアップして防犯運動に携わり、犯罪の減少と組織拡充・強化に努め、その間、嘉手納・読谷地区防犯協会副会長を十年、会長二年を歴任し、一九九〇年からは顧問に就任し今日に至っています。 十月二十九日午前、栄えある受賞報告のため、氏が役場を訪ねました。役場では当真助役が渡口氏の快挙を讃え、これに渡口氏は「地域の皆様方や家庭の支えがなければこの受賞はできなかった。私を支えてくれた人々のおかげです」と受賞の喜びを語る一方、「暴力団関係や外人事件関連では苦労しました」と、その心境をあかしました。 また同氏は十月十八日、『都市に緑と公園を うまんちゅぬ肝美らさ 緑と花』をキャッチフレーズに、十月一日から三十一日までの間に行われた「都市緑化コンクール」で、沖縄県造園建設業協会長賞(優秀賞)を受賞し、二重の喜びを手にしました。 『自ら取り組む生徒会活動をめざして』(諸行事への参加の在り方を通して)をテーマに、十月二十二日午後、村中央公民館で、「読谷村中学校生徒会意見交換会」(主催・村教育委員会、読谷中学校、古堅中学校)が行われ、中学生自身が日頃学校生活で感じている事を話し合いました。 これは、生徒同士の人間関係が豊かで、楽しく、安全で充実した学校。そんな学校生活を創るため、個人として、生徒会としてどのような取り組みをすればよいかについて意見交換を行い、その実践化を図ることを目的に行われたもの。 会場には、村内両中学校の生徒会役員や学年委員会正副委員長をはじめ、校長や教頭、教論、PTA役員や教育関係者ら大勢の人々が集う中、交換会は生徒会自らで運営されました。 交換会は先ず、古堅中学校の4L運動と読谷中学校のあいさつ運動、花いっぱい運動などの提言(討議題)を受けて始められ、引き続き両中学校生徒会の活動状況の紹介と課題が報告されました。 その活動状況に対する質疑応答や意見交換では、参加した生徒の多くが活発に意見を発表。生徒会行事の持ち方や中学生としての行動の在り方(自分かってな行動する生徒や違反行為をする生徒、授業中に欠課をする生徒)などの問題に意見が集中。その中で、これらの問題に対する取り組み方に対し、クラス毎の話し合いやアソケート形式での呼び掛け、全校生徒が話し合える場づくりなどの方法が提起されました。
古堅小学校六学年PTA(比嘉絹子会長)では、小学生最後の思い出を残そうと学年行事に「ナイトウォーク」(十月十八日夕)を計画。その企画・実践にあたっては児童の最大限の安全確保を念頭にPTAで七班(救護・点呼、交通整理、接待、カメラ、ゲーム、伴走車)を編成して行われました。 出発を前に、ナイトウォーク参加者には全員に夜行テープを配布。ウォークは各組・各グループ別に編成して出発し、リーダーの指導の下に規律正しく隊列を組み、途中で点呼をとりながら目的地(座喜味城を往復)を目指しました。 座喜味城ではナイトハンティングや合唱、ジャンケンゲームなどの各種レクゲームに興じ、父母・教論らと共に六年生最後の楽しい思い出をつくりました。 比嘉会長から原稿が寄せられましたので、ご紹介いたします。 一生を終えて のちに残るのは われわれが集めたものでなく われわれが与えたものである (ジェラールシャソドリ) という言葉を巻頭言にかりて、ナイトウォーク(よみちの思い出)をテーマに行われました。小学校最後の学年行事、総勢二五〇名余の夜の大行進。 片道約三・五キロを往復。目的地の座喜味城にて夜の舞踏会ならぬお楽しみ会は、思い出の絵巻物語りとして残ることでしょう。 ゲームや大合唱は夜の月まで響きわたる盛り上がりで、大成功だったと思います。それは何回もの、本当に何回もの役員会をいとわず出席して下さった役員のかげの力でした。 特に今回は、夜の行事ということで父親が全面的に関わり、各リーダーの組織がしっかりと役割を発揮したことが良かったと思いました。もちろん反省も、いろんな声もいっばいありますが、それらのすべてをチャンプルー(混ぜ合わせる)にしても余りある大成功でした。 今回このナイトウォークのセレモニーに、校長先生をはじめ教頭先生も参加下さり、又教務主任の八重子先生は最後まで見守って下さり感謝でした。子供達、先生方、そしてお父さんお母さん、兄弟姉妹のみんなの愛で二十一世紀へ向けて〝ふれあい〟を行事で先取りしたと思います。一言ですべてを表現すれば「感謝」という言葉でつづりたい。 古堅小学校六学年 会長 比嘉絹子 十月二十五日・ニ十六日両日、ホテル日航アリビラの大駐車場において、〝読谷やちむんと北海道うまいもの市〟をテーマに第三回「アリビラバザール」(同ホテル主催、読谷村商工会・読谷村社会福祉協議会後援)が催され、バザールは両日ともそんな以外から訪れた大勢の人々で賑わいました。 今年で第三回目を迎えた同バザールも今や村内外に広く知れ渡り、回を重ねるごとに訪れる人々も増えている様子。バザールにはやちむんの陶器市をはじめ、ユンタンザショップやアリビラショップ北海道名産品の販売コーナーやゲームコーナーなどが設けられる中、特設ステージでは「渡慶次子供獅子舞」や「チャリティーオークション」などのプログラムも多彩に楽しいショーが繰り広げられ、訪れた多くの人々を楽しませました。
世界にも稀な音階をもつ琉球の音楽を確立させた偉大な先人-赤犬子-その業績をたどる音楽と踊りによる一大イベント、総勢500名あまりの村民によって繰り広げられる音と舞は圧巻。 優れた郷土の伝統文化を継承するとともに、新しい文化の創造と活力ある産業の発展を期し、あわせて村民意識の高揚、相互の融和と親睦を固り『人間性豊かな環境・文化村』づくりを目的に、「第23回読谷まつり」(同実行委員会主催)が十一月一日・ニ日に行われ、まつりには延べ10万人の人々が訪れ賑わいました。 毎年、十一月の第一土・日曜日に行われる本村の「読谷まつり」は、〝21世紀へはばたくよみたん 人間・文化・産業の花咲く村づくり〟をテーマに開催。初日は三線の始祖赤犬子を讃え、『赤犬子琉球古典音楽大演奏会』を、二日目は、読谷の若き勇者・泰期を讃える大ロマン創作『進貢船』をメインに、壮大なドラマが展開されました。 まつり初日は、村内十五団体で構成する実行委員会(山内徳信委員長=村長)の代表らによるオープニングセレモニーで開幕し、村内小・中学校七校の児童・生徒による生き生きとした「集団演技」や読谷高校ダソス部の華麗な「創作ダンス」などで演技がスタート。そして、琉球音楽の始祖・赤犬子大主を迎えたステージでは、総勢五百人の村人による「琉球古典音楽大演奏」や優雅で多彩な琉球舞踊が繰り広げられ、人々を魅了しました。 まつり二日目は、子ども会や老人会によるハツラツとした「団体演技」や小・中学生の「三線・筝演奏」「棒術」などが観衆の目を奪い、また今回のまつりには、歌手として全国デビューする本村出身の若い二人「キロロ」(12 ページ掲載)のライヴとハワイ村人会のフラダンスがステージを飾り、一際人気を集めました。 まつりのハイライトは、壮大な歴史ロマンおりなす創作「進貢船」。炎に導かれ、闇夜に巨大な進貢船の雄姿が登場するや、会楊はいよいよクライマックスを迎え、万人の観衆は歓喜と感動の世界に吸い込まれた。ステージでは泰期一行を迎える祝いの宴がはじまり、華やかな琉舞に太鼓や棒術、空手、古武道、民俗芸能などの豪華絢爛たるプログラムが次々に展開され、観る人々の心を激しく揺さぶりました。 また、JAゆいな農協読谷支所の大型テナソトや勤労者体育セソター、伝統工芸センターでは、農産物や手芸品などの多種多様なジャンルの作品が展示された他、村総合福祉センターでは「ヤングライヴ」と、楚辺区の組踊「忠臣護佐丸」が演じられました。 今年のまつりにはハワイ村人会一行83人をはじめ、県外の鳥取県淀江町から39人(餅つき隊19人・ソフトボール交流団20人)、和歌山県本宮町立の30人に加え、雇用促進事業団大会への参加者約二百人がた本村を訪れ、読谷まつりを満喫しました。
※460号8・9ページの見開きのため全文は7ページにあり。
本村では、村内で事業を営む小規模企業者の健全な育成を推進し、経済的自立とその振興を図ることを目的とした「読谷村小口資金融資制度」を実施しています。 融資をご希望の方は、読谷村役場商工水産課に申し込み手続きを行ってください。 【融資制度の概要】 この制度は、読谷村と沖縄県信用保証協会、金融機関及び商工会との相互協力によって、村内の小規模企業者に対して必要な事業資金(運転資金、設備資金、転業資金)の融資を図るために設けられた制度です。 【融資の対象及び要件】 この制度の融資を受けるには次の要件が必要です。 ①村内に住所を有し、継続して一年以上同一事業を営んでいる者及び村内に住所を有しなくても村内で継続して三年以上同一事業を営んでいる者。 ②村税の完納者である者。 ③適切に事業計画を有し、償還見込みが確実である者。 ④保証協会の保証が得られる者(※保証協会の保証を取り付けるためには、保証人[資産があるか、所得がある人]を付けなければなりません。原則として無担保で保証人一人以上) 【融資・保証協会の受付期間】 ■保証協会の受付期間 平成10年3月10日まで ■融資の実施期間 平成10年3月31日まで 【融資活用に際する心構え】 ①相談・申込はできるだけ経営者自身で。 ②借入金の使途を明確にし、必要最低限の金額を申込む。 ③借入理由がわかるよう、最近一年間の経営状況や今後の事業計画をたてておく。 ④返済計画やその見通しを余裕をもって立てておく。 ⑤いつでも質問や調査が受けられるよう、事業内容を表す帳簿や関係書類は日頃から整えておく。 申し込みに必要な書類※表のため原本参照。 【金融相談】 役場で相談し「申込書」を受理する。 【借入申込書提出】 申込書に必要書類を添えて役場に提出(読谷村商工会会長の推薦書を添付する) 【融資依頼】 審査を踏まえ、村が金融機関に融資依頼をする 【銀行の調査】 銀行による企業の内容調査。 【保証協会の審査】 適当と認められるときは保証協会から取扱金融機関へ保証承諾書が送られます。 【貨付実行】 保証承諾書に基づき取扱金融機関から融資を実行。 【貸付金の返済】 取扱金融機関へ返済する。 ■取扱金融機関 村内の琉球銀行、沖縄銀行、沖縄海邦銀行の三銀行です。 尚、申込みから融資の実行までには一定期間(平均して一ヵ月程度)を要しますので広計画的に申し込んで下さい。 ■読谷村役場(商工水産課) □982-9200 (代表) □982-9216(直通) 融資の内容※表のため原本参照。