
第18第村長に安田慶造氏就任 村民の期待をにない、全職員に握手で迎えられ初登庁
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山内徳信前読谷村長の辞職(県出納長就任)に伴う選挙及び村議会議員の欠員による補欠選挙は二月二十四日に告示、三月一日に執行され、即日開票の結果、村長選挙には安田慶造氏(渡慶次出身)が、また補欠選挙には塩川信子氏(大湾出身)が共に大差で選を果たしました。 読谷村長選挙には、前読谷村助役の安田慶造氏( 65 歳)と宅建会社代表の上原正氏( 45 歳)の二人が出馬し、新人同士による選挙戦が展開されました。また、現職議員の死去による村議補欠選挙には、嘉手納・読谷地区シンデレラタイム運動推進委員会長の塩川信子氏( 67 歳)と自営業の知花昌一氏( 49 歳)が立候補し、一議席を争いました。 投・開票の結果、村長選挙では安田氏が上原氏に一〇、三一六票の大差で圧勝し、第18代読谷村長に当選。また、村議補欠選挙では塩川氏が知花氏に七、七九二票差をつけて当選しました。塩川氏の当選で本村の女性議員は二人目となります。 三月二日午前、役場では職員をはじめ村議会議員、区長会など多くの関係者らが出席し、安田新村長の登庁を盛大な拍手で出迎えました。 役場ではこの日、当選を果たした安田村長や塩川村議への「当選証書付与式」(村選挙管理委員会・与久田清委員長)が行われたのに引き続き、「就任式」が挙行されました。 その席上、安田村長は「多くの村民が期待を寄せていると思うと身の引き締まる思いでいる。三万村民に雇われているという気持ちで村政に当たり、村民サービスの向上に努めたい」と住民本位の村づくりを強調する一方、「読谷の村民性は物も言うが汗もか く、そして対価を求めないという素晴らしい気質がある。(行政も)村民奉仕のため誠心誠意、頑張りたい」と決意を述べました。また村議の塩川氏は「女性の感性からいろいろな声を拾い上げ、初志を忘れずに、住みよいムラづくりに精一杯頑張りたい( 付与で)」語りました。 ①憲法改悪に反対し、平和憲法を村政に生かし、平和、民主主義の徹底をはかります。核兵器を廃絶し、ガイドライソ及び基地のタライ回し等一切の戦争政策に反対し、反戦平和を推進します。②憲法を守り、有事立法の制定や軍国主義復活に反対します。地方自治の本旨に基づいて村民主体の自治の確立と人間尊重の村政を推進します。 ③教育基本法と「こどもの権利条約」を尊重し、「子どもが主人公」の立場で、教育・文化・スポーツの発展をめざし、村立図書館などの教育環境の整備、国際化時代にふさわしい人材の育成を推進します。 ④農業、水産業、商業、観光の振興と相互に連携した産業の発展に努めます。中小企業の経営と生活の安定、地場産業の育成に努め、さらに公共事業の地元優先発注により村内産業の活性化に努め、活力ある村づくりを進めます。 ⑤村民の生活と権利を守り、雇用の拡大と勤労者福祉の充実に努めるとともに、女性の自主性と能力が発揮できる男女共同参画社会の実現をめざします。 ⑥生きがいのある長寿社会をめざすとともに、村立診療所の拡充、「ゆいまーる共生事業」の促進で保健・医療・福祉の連携によリ安心して暮らせる地域社会を築きます。また、消費税の引き上げに反対し、医療保険事業の適正化と障害者の社会参加など、総合的な福祉 社会の建設に努め、人に優しい福祉村づくりをめざします。 ⑦環境美化・花と緑につつまれた美しい村づくりを進め住みよい環境づくりをめざすとともに、地球環境の保全に努めます。 ⑧文化センター(仮称)の建設と併せて、伝統芸能と新しい文化活動の創造発展に努めます。 ⑨葬斎場用地の確保を進め、その建設に努めます。 ⑩戦後処理の一環である読谷飛行場問題の解決のため、 村民が一体となり、跡地利用計画の具体化に努め、二十一世紀の読谷村の拠点形成を推進します。 選挙結果※表のため原本参照。 村民の皆様へ心からご挨拶を申し上げます。 この度、前村長山内徳信氏の県出納長就任に伴い実施されました村長選挙におきまして、多くの村民のご推薦を受け、不肖私が立候補する運びになり、当選の栄に浴することができました。 これもひとえに村民各位の深い御理解と御支援の賜物であり、身に余る光栄と心から感謝し、厚く御礼申し上げる次第であります。誠に有難うこざいました。 当選の感激さめやらぬ翌三月二日に当選証書をいただき、喜びと同時にその重責に身の引き締まる思いで一杯でありました。 これまでの読谷村の村づくりは、村民のそれこそ労を惜しまない御協力と、対価を求めない村民気質が今日の読谷村の姿を培ってきたものだと感謝しているところであります。 今後四年間の村政を担当させていただくことになりましたが、村民の英知とご協力を仰ぎながら、二十一世紀に向けて読谷村の進むべき方向性をしっかり見据え、住民自治の原点に立ち、「住民対話で開かれた村政、村民と共に歩む村政」を基本にして村づく りを進めていきたいと考えております。 微力ではございますが、読谷村の発展、住民福祉向上のため誠心誠意頑張ってまいる所存でこざいますので、村民各位のご指導・御鞭撻を賜りますようお願いを申し上げまして、就任の挨拶といたします。 安田慶造の歩み 経歴 1933年(昭和8年) 読谷村字渡慶次で出生 1952年(昭和27年) 読谷高等学校卒 1957年(昭和32年) 比謝川配電株式会社 1974年(昭和49年) 続谷村助役に就任 1994年(平成6年) 〃離任(5期20年)
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「長田民俗地図」「長田の水車」※原本参照 本村では、平成7年3月に村内23区全ての「読谷村字別構想」を策定しました。 これは、字というコミュニティーを出発点として、個性的で自立的な「21世紀をめざした村づくり」をめざすもので、字別構想は、①地区の特性と課題、②地区づくりの目標、③地区づくりの施策、④推進事業の四項目にまとめられました。 地区づくりの目標では、各字毎にユニークなキャッチフレーズが付けられており、「広報よみたん」では、その特色ある構想(村勢要覧に掲載) をシリーズで随時紹介します。 長田 プロフィール 廃藩置県後、山間地に入植した屋取の集落で、明治二十九年に行政区が発足している。山間にあって米、養蚕、茶の栽培が盛んであった。また長田川の豊富な水を利用して水車が整備され、製糖、精米が行われた。戦後は字全域が嘉手納弾薬庫に接収され、現在地の大木及びその周辺に移り住んだが、その後各地に転居し往時の人々は少なくなりつつある。行政区加入人口は百四十二人( 三十七世帯)で、村内では非常に規模が小さい。 地区づくりの目標 現在の居住地の暮らしも安定してきており、二世たちへの世代交代の時代を迎えている。しかし戦後五十年余が経過し、軍用地の返還なしには長田の戦後は終わらない。長田は少人数であるが故に、地域活動の際には皆が青年との気概を持ち老いも若きも参加している。この気持ちを大切に、今後、軍用地の跡地利用を検討し、長田の未来づくりを進める。 ふるさと発見活動 軍用地に接収されて五十年余が経ち、元集落のことを詳しく知る人が少なくなりつつある。そのため字誌編纂に向けて精力的な取り組みが期待される。軍用地跡地の利用構想に向けては、地域内の情報を正確に整理することが必要である。その一環として、一九九五年度に旧長田の民俗地図を完成させた。こうした”ふるさと発見活動“は、区民が一致協力して長田の過去と未来に向けて始動することである。
「乎成9年11月12日付け、貴職から諮問を受けた読谷村第三次総合計画基本構想について、本審議会で慎重な審議を重ねた結果を答申致します。」と去る二月二十五日午前、儀保輝和読谷村総合計画審議会会長(村議会議長)から当真嗣清助役に「答申書(案)」が提出されました。 読谷村は敗戦後の困難な時代を多くの先達の英知と努力によって、復興と再建に取り組んできました。この間、自立的な精神こそが、村民に自信と勇気を与え、むらづくりを推進する真の力であることを学びました。 復帰後もなお多くの米軍基地が存在する中にあって、本村は、文化村づくりによる基地からの転換を推進し、「21世紀の歴史の批判に耐えうる村づくり」を合言葉に、「村民主体」「地域ぐるみ」「風土調和」の原則を掲げ「人間性豊かな環境・文化村」を目標に村民参加のむらづくりを推進してきました。 一九七八年六月に『読谷村総合計画華本構想』(第一次)を策定し、軍用地跡地の基盤整備をはじめとして、読谷山花織の復興、ヤチムンの里の建設、読谷まつりの始動など文化村づくりの素地を築き、その成果を踏まえ、一九八九年六月には『第二次総合計画基本構想』を策定して、文化村づくりの定着をはかるとともに、紅いも特産品開発、漁業と関連させた観光産業の開発など、地元が主体となる社会開発へと拡大させ、社会経済の振興開発を誘導。そして、読谷飛行場の返還合意に基づき、本村の最大の懸案であった読谷飛行場転用事業が具体化する見通しとなり、戦後五十余年、復帰二十五年という節目の年にむらづくりを集大成すべき時期を迎えました。 新たに策定される『第三次総合計画基本構想』は、新しい時代に対処し、さらなる地域社会の発展をはかるため、村民と行政が一体となって21世紀を開く新しいむらづくりに向けての指針となるものです。 この基本構想は、一九九八年度(平成十年度)を基準年度として二〇〇七年度(平成十九年度)を目標年度に据え、議会審議を経た後、『基本計画』や『実施計画』が策定され、本村の総合的かつ計画的なむらづくり(行政運営)が展開されてまいります。 『あなたは文部省所管の教育調査統計事務に尽力し、その運営推進に顕著な功績をあげました』と、役場教育委員会教育総務課に勤務する比嘉和枝さん(46歳)が去る二月一日、文部省から表彰されました。 その表彰状の伝達式が「平成九年度市町村教育委員・教育長研修会」(那覇市の自治会館)の場で行われ、表彰状が手渡されました。 今回、文部省統計功績表彰を受けたのは、学校や教育委員会関係団体が九ヵ所で、個人表彰では比嘉さんを含め県内で二人。 栄えある受賞で、比嘉さんは「思いがけない賞を頂き、 ビックリすると共に責任の重みを感じる。受賞を励みにこれからも一生懸命、職務に頑張りたい」と語りました。
この程、本村議会議員九人が、全国町村議会議長会並びに県町村議会議長会から表彰の栄誉に輝きました。 この表彰は、町村議会議員として十五年( 全国町村議会議長会) 以上。また、十一年(県町村議会議長会)以上務めた議員を対象に表彰するもので、本村では全国表彰に六人、県表彰に三人の村議が表彰されました。 その表彰状の伝達式が三月十一日午前、「第二七九回読谷村議会定例会」開会の議場で、村執行部や部課長らが出席するなか行われ、儀保輝和村議会議長が被表彰者一人ひとりに表彰状を手交(伝達)しました。 被表彰者は次の通り。 【全国町村議会議長会表彰】 ・知花治雄村議(波平) □ 前田善輝村議(都屋) ・山城正輝村議(座喜味) □ 新垣昇村議(長浜) ・比嘉光雄村議(波平) □ 山内昌治村議(故人・渡慶次) 【県町村議会議長会表彰】 ・仲宗根盛敏村議(宇座) ・伊波盛永村議(伊良皆) ・當山弘村議(座喜味) "地域が育てる子ども会“を合言葉に、「第15回読谷村子ども会フェスティバル」(主催・・読谷村子ども会育成連絡協議会・上里キヨ会長)が二月十五日に古堅南小学校体育館において、大勢の子ども達や育成者の参加のもとに開催されました。 まず、午前の部の展示コーナーでは、各子ども会の一年間の活動の成果のスナップ集や壁新聞が掲示されていて、それぞれユニークな活動を紹介していました。 一方、遊びコーナーでは、担当の子ども会がそれぞれ工夫して星座のステソドグラスや割りばし入れゲーム、ペットボトルボーリソグ、パーフェクトトゲーム、そして渡具知老人会(緑の会)による昔の遊びがあり、多彩な遊びで賑わいました。 午後の部に移り、体験発表紅の部では、子ども会活動で体験したことや、鳥取県淀江町の子ども会との交流の思い出等を子ども達が大勢の聴衆の前で堂々と発表。幕間でのうたごえコーナーでは、会場の皆さんの合唱(ちんぬくじゅーしー、てんさぐの花)で観客も会場の盛り上げに参加していました。 そして、舞台発表の部では、各子ども会の個性ある集団演技があり、三味線演奏、古典舞踊、創作ダンス、手話コーラス、子どもエイサー、そして獅子舞などを日頃の子ども会活動の成果として舞台狭しと披露し、演技が終わる毎に会場から盛大な拍手を受け、また、体育館の外では、楚辺子ども会が丹精込めて作った大根の販売もあり、会場内外にわたり賑わった一日でした。 文□ 読子連事務局長 山内明秀
『皆が支えあい、学びあい、誰もが福祉活動に参加するむら〝よみたん〟をめざして』『生き活き健康のむら〝よみたん〟づくりを推進しよう』をスローガンに、二月二十一日午後、「第5回読谷村社会福祉大会」(読谷村・読谷村社会福祉協議会主催)が村総合福祉センターで開催されました。 本村では、平成五年度に「よみたん村保健福祉プラン21」「よみたん村老人保健福祉計画」を策定すると共に、平成七年度には読谷村地域福祉活動計画「よみたんブーゲンビレアプラン21」を策定し、福祉教育やボランティア活動、在宅福祉活動等の地域福祉活動を推進しています。 大会は、村民が一堂に会し、社会福祉の今日的課題を再認識すると共に、新しい時代の要請に応えられるように保健、医療、福祉の連携と村民総参加による「人間性豊かな環境・文化村」づくりのより一層の推進を図ることを目的に開催されたもの。 式典では、前村長の山内徳信社協会長(現・県出納長)が、二十三年余にわたる福祉施策を振り返りながら「男も女も、健常者も健康でない人も、共に手を携えていける社会をつくりたいという思いで福祉行政を担ってきた」と語り、「皆で力を合わせ、長寿社会を見事に乗り越えていこう」と呼ぶ掛けました。 また、体験・事例発表では喜名保育図の石嶺元子主任が「喜名福寿会との交流を通して」、読谷希望の会・大城陽旨子会長が「希望の会活動を通して」、比謝矼老人クラプの比嘉好子会長が「すてきなライフをめざして」と題して、日頃の活動を通して学んだことが報告され、訪れた人々に共惑を与えました。 また、同大会では手話サークルや要約筆記サークルの仲間が通訳として務めたのをはじめ、会場内には小・中学校の児童生徒や各種団体のボランティア活動活動の状況や各字公民館の「ゆいまーる共生事業」などの活動スナップ(写真パネル)が展示され、人々の目を引き付けました。 今大会では、民生・児童委員や社会福祉団体、社会福祉事業に対する奉仕活動など地域福祉の発展に功績があった六十六人と二団体に表彰状が贈られました。 大会終了後は、宮森小学校の山内昌重教頭による「心を育む~子供達とのふれあいを通して~」の講演が行われ、ボランティア活動の意義(重要性)を唱えました。 『伝統の技と情熱が生みだす手づくりの混もり』をキャッチフレーズに、第5回「読谷やちむん市」(同実行委員会・読谷村社会福祉協議会共催)が、二月二十八日~三 月一日の両日、残波岬いこいの広場にて開催され、市は連日大勢の人々で賑わいました。 同市には今回、村内で活動している二十一窯元が出店。各テナントでは皿や湯呑み、茶わんなどの日用生活品から壺や花器、シーサーなどの装飾品を市価の二割~五割引きの格安値段で販売。村内外から訪れた人々は、品定めしながら目当ての商品を買い求める一方、「ロクロの体験コーナー」や「チャリティーオークション」に参加し、やちむん市を楽しみました。 なお、今回行われたチャリティーオークションでの販売額は、十六万七千三百円になりました。
学校創立五十周年を迎えた喜名小学校(新里紹次郎校長)では二月二十八日午後、同校体育館で「記念式典・祝賀会」を開き、多くの関係者が出席して学校の発展を祝いました。 喜名小学校は本村の教育発祥の地と知られ、一九四八年(昭和二三年)四月六日に喜名初等学校並びに喜名中等学校の併置校として開校し、輝かしい伝統と歴史を継承してきています。 五十周年の節目を迎えた同校では、一九九六年十一月に「創立五十周年記念事業期成会」(屋良政信会長)を結成し、具体的な記念事業への取り組みが開始されました。 その記念事業としては、校旗を新調したのをはじめ、校章碑の設置、記念誌発刊、教育の森や遊歩道を整備するなど、素晴らしい教育環境の整備が行われました。 当日は、式典・祝賀会に先立ち「校章碑の除幕式」が行われ後、参加者らが校庭裏の「教育の森」を見学。児童が緑と自然に触れ合えるように整備された小高い丘には、遊歩道などが設けられ、その周辺にはスモモやアセローラ、レイシなど数種類の果樹(平良熱帯果樹園=平良良孝さん寄贈)が植えられていました。 その後催された式典では、屋良期成会会長や新里校長が式辞を述べ、また、児童生徒を代表して運天寛樹児童会長が喜びのことばを述べました。 歴代学校長並びに歴代PTA会長、記念事業協力者などには感謝状が贈られ、出席した島袋正重中頭教育事務長や松田重信村収入役、伊波清安教育長が、それぞれに来賓祝辞を述べました。 祝賀会では、同校職員やPTA関係者、喜名校区(喜名区、座喜味区、親志区、ハイランド地域)の方々による余興などが披露され、大勢の人々が、創立五十周年を盛大に祝いました。 なお、祝賀会の前日( 二十七日)には、同校五十周年を期してシーサー一対の贈呈式(陶真窯=相馬正和さん)があり、そのシーサーは校門柱に据え付けられました。 喜名区(宇根良雄区長)ではこの程、待望の字誌を発刊したことから、二月二十一日夕、同区公民館で盛大に「喜名誌出版祝賀会」を催し、区民共々に発刊の喜びを分かち合いました。 同区では、『ふるさと喜名が辿ってきた歴史を次の二十一世紀を担う世代へ語り継ぐことによって、私たち喜名の未来を切り開いていこう』という区民の要請を受けて字誌編集事業が計画され、一九九六年十月に編集委員会(松田栄春委員長)を発足。以来、 (1)文献、資料などにより戦争前のことについてもできるだけ記述するように努めること。 (2)心のふるさととも言える「民話」「伝統」を可能なかぎり採録すること。 (3)環境問題に重きをおく意味から、かつて喜名周辺で見られた動植物についても記録すること。(4)戦争を身近に考えるということ、そして二度と過ちを繰り返してはならないという観点から戦争体験記録をなるべく多く採録する。 (5)移り行く喜名の姿を記録する意味から写真をなるべく多くし、親しく読めるようにコラムをふやすこと。 を基本方針に編集作業が開始されました。 発刊された喜名誌はA5版サイズで全四百七十四ページ。本文は第一章ー第十九章までの多岐にわたり、「村(字)の生い立ち」や「くらしの今昔」、産業、教育、医療、文化、スポーツなど、幅広い分野に、その歴史を綴っています。 喜名は琉球王国以降、戦前まで読谷の地方行政の拠点であり、古くから教育文化発祥の地として繁栄してきました。かつての喜名番所( 読谷山村役場)が置かれていたこともあって、本村の政治・経済の中心地として数百年に及ぶ歴史を見つめ続けた地域、村民の諸活動、情報の発進地と知られています。 出版祝賀会には、来賓や多くの区民が出席する中、編集委員に感謝状が贈呈されたのをはじめ、同区婦人会や協友会、松竹会の方々が琉球舞踊や民謡ショーなどの余興を繰り広げ、区民共々に字誌発刊を祝いました。
※464号8・9ページの見開きのため、全文は8ページにあり。
沖縄県教育委員会は「知・徳・体の調和のとれた人間の育成を目指し、幼児児童生徒一人ひとりの学力を伸ばす」ことを目標に、平成九年~十三年までの五ケ年間を『学力向上推進期間』と位置づけ、「主体性」をキーワードに据え諸施策を展開しています。 その県の施策を踏まえ、読谷村学力向上対策推進協議会(知花亀次郎会長)では、「学習意欲を高め、基礎学力の向上を図り、心豊かなたくましい幼児、児童、生徒を育てる。~学校・家庭・地域はどのように取り組めばよいか~」を実践目標に取り組んでいます。 この学対の「平成九年度の学力向上対策実践報告会」が二月十三日午後、村総合福祉センターで開催されました。 会場には、村議や各字区長、民生児童委員等の来賓を含め村内各小・中・高校長や教諭、PTA関係者ら約三百余名が参加する中、長浜宗則学対副会長の開会のことばの後、知花会長は「学校における基礎的・基本的事項の定着を目指した授業のエ夫・改善に取り組む全教職員の努力とその着実な成果」と、村内各地域における各種団体・個人による「あいさつ運動や花いっぱい運動」への積極的な取り組みに対して謝意と尚一層の取り組みの充実・強化を訴えました。続いて、当真嗣清助役と儀保輝和村議会議長が激励のととばを述べました。 その後、実践報告に移り、知名定男学対事務局長の実践経過と成果・課題の報告を皮切りに、①学校教育部会(幼稚園部会=与久田洋子、小学校=高良千恵子、中学校=比嘉達)、②家庭・地域教育部会(米須良成、父母代表=知花綾子、古堅友子)、③調査・研究部会(知花優)の各専門部から、一年間の実践の様子が報告されました。そして、下地宏邦中頭教育事務所指導主事の講評の後、伊波清安教育長のあいさつ文「過去十年間にわたる村民ぐるみの実践活動の展開のおかげで、児童生徒の学力が数字として着実に向上している…。各部会員、地域のご理解、児童生徒のふんばりに対し感謝したい…」旨が、上地正一教育次長により代読され、盛会のうちに閉会しました。 【成果】 (1)達成度テストの得点の推移から見て、小学校は順調に成果が現れている。 (2)TTの効果的な活用が各学校とも指導主事を招聘しての研修で深められた。 (3)読書活動は、計画的に継続して取り組まれ、量から質へと内容面の充実が図られてきた。 (4)基本的生活習慣の形成で、学校便り、学年・学級便りや授業参観等で父母、地域に学校が情報を発進し、協カ・連携を強化する開かれた学校として取り組まれている。 (5)両中学校で「校区生徒指導連絡会」の活動や地域での関係機関との協カ・連携で生徒指導は効果を上げている。 (6)相互授業の実施で校種間の授業研究会や学校経営等を参観することにより「参加する授業」「分かる授業」 及び学級経営の改善が図らたれた (7)毎月第二週の教育委員会の「あいさつ運動広報活動」の継続と各学校・地域の積極的な「あいさつ運動」の取り組みにより、学校・地域で明るいあいさつを交わす雰囲気が醸成された。 【課題】 (1)小学校の成果に比べて、中学校の成果が数値として見えない。 (2)中学校で補習指導が週時程で設定してもほとんど実働してなく、未到達生徒への個別指導(補習)時間の確保が困難。 (3)教師個々の実践活動(週案への基礎・基本の明示、諸資料の常時活用等)の充実。 (4)男女差への対応として「実態調査」を実施し、児童生徒の実態に応じた指導が図られてきているが、格差はまだまだ大きい。一層の取り組みが必要。 文・教育指導主事 比嘉宏