
第18代ミス沖縄に輝く(ミススカイブルー) 山内由香里さん(瀬名波出身)
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当日有権者数 25,075 投票者数 20,155 男 9,667 女 10,488 投票率 80.38 % 有効投票数 20,020 無効票 135 任期満了に伴う「読谷村議会議員選挙」は9月8八日に告示され、定数22議席に現職188人、新人11人の計29人(内女性2人)が立候補し、五日間の選挙戦が展開されました。 選挙の投票は13日に執行され、即日開票の結果、現職16人、新人6人の計22人(内女性2人)が議席を確保しました。 9月17日午後4時、当選証書付与式が行なわれ、当選した22人に与久田清選挙管理委員長から当選者一人ひとりに当選証書が手渡されました。各議員とも真っ黒に日焼けした顔でお互いに握手をしたり、抱き合ったりして、当選の喜びを顔いっぱいに浮かべていました。 ※議会議員選挙得票数は表のため、原本を参照すること
①所属政党 ②職業 ①住所 ※当選議員の一覧は画像のため原本を参照すること
個性的で自立的な村づくりは、住民参加に加えて、村民と行政が協力して村づくりを進めていく事が重要です。 読谷村には、23の字(行政区)がありますが、各字は、集落を基礎に発展し、今日においても意志決定力のある地域社会を形成しています。 読谷村では、平成7年に、新たな村づくりの時代に応え、字毎での計画づくりと事業の実施協力体制を作り上げるため、字別懇談会等を実施しました。 そこでは、村民と行政との共通理解を得ながら、村民の意志を行政の諸計画に反映させると共に、共同(協動)の村づくりに向けて、それぞれの字の将来目標や取り組み事業を策定しました。 それをまとめたものがこれまで連載を致しました「字別構想」です。 この「字別構想」を行政計画に反映した―つに「読谷村都市基本計画」があります。 「都市基本計画」では、本村の”まちづくり“部門における諸施策を明らかにし、行政と村民との村づくりの指針と位置づけています。 なお、字別の懇談会をとおして、村民の根底に流れる強い気概に多くのことを学びました。それは、先の大戦後においても変わることのない自然という枠組みがあり、その中で村民は、独自の歴史、文化を築き、継承してきたということです。 そこで、本村の自然地形に則り、これをあたかも東シナ海に飛び立たんとする鳥に見立てて、「都市基本計画」を”鳳計画“とし、これからの時代の変節を乗り越え、子や孫の未来へと引き継ぐ村づくりを目指すものといたしました。 ”鳳計画“では、将来像を設定すると共にそのイメージを描きました。それを次に紹介します。 都市マスタープランの概要紹介 このページでは、字別構想に引き続き都市マスタープラン(都市基本計画)を随時紹介していきます。 将来地域像 21世紀は、地球的な視野に立った、自然と共に生きる安定した地域社会建設の時代である。沖縄には、自然と人とを結ぶ地域社会的な意識、フンシ(風水)が生きている。この中に織り込まれている自然との調和力を未来へと投射し、読谷村の地形形像を基本に将来像を次に示すように「飛鳳花蔓黄金環」とする。 飛鳳花蔓黄金環 読谷村は残波岬を頭とし東シナ海に飛び立たんとする鳳である。読谷岳から多幸山をへて座喜味グシクにいたる山並は、飛翔の風をはらむ羽である。鳳はサンゴの花蔓を引き、海の花畑でニライカナイから来訪する嘉利吉を迎える。 この嘉利吉を、座喜味グシクを頂きとする黄金環で受け止める。座喜味グシクは風を宿す腰当であり、大路のカジマヤーでは人・物・文化が結ばれる。そして西に賑いを置き、東を粛として山裾を養い長田川の恵みを活かし、過ぎたるを流す。 画家名嘉睦稔氏(読谷村在)によりデザイン化された読谷山鳳
診療所では、今年の6月から琉球大学医学部付属病院の派遣医師が外来患者の診療を行なっています。診療所と琉球大学医学部は相互に医療研修を実施し、医療技術の向上を図る中で、村民、県民へのよりよい医療の提供を目指しています。 今年度は、毎週木曜日の午前中に、第1内科の高木邦孝医師(群馬県出身、麻酔科専門)や毎週金曜日の午前中は、第2内科の徳松珠子医師(糸満市出身、内科糖尿病専門)、午後は、第2内科の比嘉聡医師(宜野湾市出身、内科糖尿病及び循環器専門、医学博士)が診療を行ない、村民の健康管理及び健康増進のためがんばっていますのでよろしくお願いいたします。 「読谷村障害児者を守る父母の会」では、活動のひとつとして7月22~8月28日の間、恒例の「夏休み学童保育」を行ないました。 幼稚国児から高校生までのハンディキャップを持つ子ども達が対象。日頃、学校の友達や兄弟と一緒に遊んで過ごすということが苦手な子ども逹や仕事などの事情で、昼間親のいない子ども達が友達と共に楽しい刺激に満ちた夏休みを過ごして欲しい、という気持ちから生まれた活動です。 毎朝、福祉センターの母子通園保育事業所「ふくぎ」に集まり、プール遊びややちむんの里の焼き物作り、調理実習、比謝川散歩、那覇バスツアーなど夏休み期間中多くの活動を行ないました。 現在、「夏休み学童保育」はまだ手探りの状態。参加した会員の高井達郎さんは「ひとりでも多くの人の参加と意見=アイデアの交換が、子どもや親にとって生き生きとした夏休みを送るだけでなく、親子が共に未来をみつめるチャンスのひとつになることを望んでいます」と話してしました。 ◆お問い合わせ・意見など気軽にお寄せ下さい。 ◆読谷村障害児者を守る父母の会 □958-6388
太陽の花読谷支部(上地芳樹支部長)では8月13日、平成9年度出荷実績が10億円に達成シたことを祝い、記念式典を行いました。 式典は、上地支部長のあいさつや売上額の推移の報告、当真嗣清助役、玉城義次長浜土地改良区理事の来賓祝辞、感謝状の贈呈などが行なわれました。 読谷支部は、組合全体の売上実績が伸び悩んでいたこの4年間に、組合員一人一人が、生産性向上と、所得向上につとめ、農地整備や灌漑事業が整備される中、規模拡大や、品質向上をはかってまいりました。その結果、今期、小菊の需要に合わせた生産拡大と栽培時期の拡大によって、実績が伸び、売り上げが前年より2億5千万円増加し、10億円の達成となりました。 7月30日、太陽の花(沖縄県花卉園芸協同組合)の通常総会において、読谷支部は売り上げが前年より2億5千万円増加し、10億円となり、組合の売り上げ増に貢献したことで特別表彰を受けました。 9月9日、古堅闘牛組合(佐久川政秀組合長)が役場を訪れ、「古堅中学校創立50周年事業に役立てて下さい」と同記念事業期成会の西平朝吉会長に50万円を手渡しました。 その贈呈式が、村長室で安田慶造村長や西平会長、佐久川組合長ら関係者が出席して行なわれました。 これは、同闘牛組合が9月6日、具志川市の安慶名闘牛場で古堅中創立50周年記念チャリティーと銘打って旧盆ナイター大闘牛大会を行なった際の収益金です。 地域社会への貢献活動の一環として、琉球銀行職員が地域福祉活動への募金ならびに県内における環境保全活動への助成を行なうことを目的として、琉球銀行及びりゅうぎんユイマール助成金(安次嶺明運営委員長)が、9月3日、福祉活動に約立てて下さいと社会福祉協議会ヘ"高速プリント機“を贈呈しました。 贈呈式は、安田慶造村長や辺野喜英信琉球銀行公務担当部長、山田親彰琉球銀行読谷支店長、社会福祉協議会視覚障害者の比嘉直子代表ら関係者が出席して行なわれました。 席上、社会福祉協議会会長安田村長は、「役職員が出しあった資金を寄付したことに対し、たいへん感謝いたします。このすばらしい高速プリント機は早速利用させていただきます」と感謝の言葉を述べました。
読谷村商工会(大城勝哲会長)と交流を深めている鹿児島県宮之城町のミスかぐや姫、高嶺織衣さん、杉本美代子さん、田中眞喜子さんが、9月3日に本村を訪れました。 同町は、竹細工などの工芸品で竹の町づくりとして全国的に有名な町です。ミスかぐや姫は8月に開催される「宮之城夏まつり」で選出され、今回訪れた3嬢は第16代目。 美女3人は観光大使を目的に来県し、県内観光や読谷村商工会青年部員との交流を深めました。 9月1日の防災の日に、県の総合防災訓練が開かれました。今年は、沖縄本島近海で震度7の地震が発生したという想定で訓練が行なわれました。 この訓練は、地震における農業用ダム・ため池の臨時・緊急点検及びこれらの情報伝達の訓練を実施する目的で行なわれ、本村の長浜ダム堤体部において測定機器のデーターに異常がみられ亀裂が生じた恐れあるとの想定訓練。村農業推進課や長浜川土地改良区、関係者で災害状況把握調査の結果及び報告などの迅速な情報伝達が行なわれ、無事訓練は終了しました。 ~新潟県大和町との交流~ 読谷村職員労働組合(長浜真俊委員長) と大和町職員労働組合は、10年におよぶ役員交流を踏まえ、両町村の将来を担う子ども達に広い視野と、南国沖縄で生涯つきあえる友達作りを目的に、7月27日~30日の間、民泊交流を行ないました。 大和町からの交流児童は10名引率3名が来村し交流を深めました。 交流団は、家庭民泊や海水浴、琉球舞踊、沖縄料理などを楽しみ、交流を深めました。 山内輝雄さん・スミ子さん夫婦(伊良皆218-4)宅にめずらしい南米産の果実パラミツが大きな実を付け、伊良皆区民や村内外からこの果実を見ようと山内さん宅を訪れました。 このパラミツは山内さんが7年前に植物園で幼木を買ってきて庭に植えたところ大きく成長したという。常緑高木。葉は長さ20cmぐらいで質厚く、表面に光沢がある。雄花と雌花があり。雄花は太い枝や幹から出て、成長して果実となる。果実は重いもので17キロもありました。 沖縄での結実期は7~11月ごろ。奥さんのスミ子さんは「初めての果実で食べ方がわからず、熟れすぎてしまった。専門家の話しではよく熟すると独特の香りがしておいしくて、種も焼いたり煮たりして食べると栗のような歯触りと味がするとのこと」と話していました。
県内でただ―つの小学生ラグビーチーム「読谷ラクビースクール」が8月21日に熊本で開かれました九州ジュニア大会に参加しました。 スクールは、サッカー人気に押されラグビー人口が減ることを心配した楚南兼俊さん(宜野湾高校ラグビー部監督)を中心につくられました。 メンバーは喜名小学校など村内の小学校に通う1年生から5年生までの30人(うち女子3人)。真夏の太陽の日差しを受けて、一生けんめい練習しています。 読谷村母子寡婦福祉連絡協議会(国吉トミ会長)は8月22日、夏休み子どもまつりを村総合福祉センターで行ないました。 これは読母連が子ども達の夏休みの友や習字、図画など宿題をそれぞれの分野について指導者から指導してもらい、子ども達との交流を深めるために行なったものです。 参加した子ども達は夏休みの宿題を指導してもらえたことにとても満足した様子でした。 8月23日、さわふれゲーム・すぐに活かせるレクリェーション講習会(読谷レクリェーションクラプ主催)が村総合福祉センターで開催されました。 山田征夫氏(健康レクリェーショソ研究所所長)を講師に招いて、福祉ボランティアや団体指導者、レクリェーションに興味のある方を中心にさわやかふれあいゲームで楽しみました。山田氏の話術や楽しいゲームに会場は終始笑い声の絶えないさわふれゲームでした。 8月17日から31日まで(2週間)の日程で、千葉大学2年次の川島英宮子さんと北村朋子さんの社会教育実習 が行なわれました。 1日目の講話(伊波清安教育長)を皮切りに、生涯学習課の職員と共に諸講座、学級に積極的に取り組みました。 実習生は「他県では味わえない実習ができた」と語り、社会教育の実習(人と人とのふれあい)を通して、読谷の肝心・肝美さが伝わった社会教育実習でした。 無料調停相談のお知らせ 【日時】 平成10年10月16日(金) 午前10時~午後4時 【場所】 沖縄市社会福祉センター2階ホール 【主催】 コザ調停協会 「ふれあい懇談会」 ~村長と語る女性のつどい~ 日時:平成10年10月23日(金)午後7時30分~9時30分 場所:読谷村中央公民館ホール 問合先:企画分権推進課(儀間) □982□9208
沖縄ヘルーツを探る旅(外国人児童生徒保護者交流会=神奈川県)とは、沖縄から南アメリカに移住した日系人2世・3世の生徒が一度も行ったことのない沖縄を訪問し、沖縄の自然・歴史・文化を学び、親戚を尋ねながら「母なる沖縄」を知り、誇りに思う目的で始まった事業です。 本村は、平成6年から生徒の受け入れを行なってきました。 今年も8月10日に来村し、琉球(沖縄)の歴史、戦後の沖縄などについての学習や沖縄の海(残波村営ビーチ)で海水浴を楽しみました。 又、プラジル料理のフェジョアダ(豚肉と豆の料理)を懐かしく味わったり、夜の交流会では座喜味棒保存会の子ども達による棒の演舞鑑賞や琉球銀行読谷支店(山田親彰支店長)の協力でバーベキューを腹いっぱい食べるなど読谷の一日を満喫しました。 8月21日から2泊3日の日程で与論と奄美大島に護佐丸の足跡をたずねた。これは昨年12月に読谷村文化協会によって行なわれたシンポジウム「護佐丸文化園を探る試み」の報告書をまとめるに当たって、護佐丸と関係のある奄美大島における事跡を調べておくためである。メンバーはシンポジウム報告書編集委員長の古堅宗彦さん他五名。調査の方法としてこれら両島の郷土史研究家や役場関係の方々から、護佐丸に関する言い伝えや両島と琉球とのつながりについて聴取することにした。 奄美大島が琉球の直接的支配下に入ったのが1265年で、以後1609年の薩摩による琉球征服まで続いたといわれる。その間15世紀の中期から16世紀の後半までに琉球から何回か奄美諸島に征伐軍が出向いているが、護佐丸は座喜味城や中城城の築城に際して与論などから人夫の徴用もしている。長浜のユンヌンドーや中城の与武野原(ユヌン=与論)はこれら人夫たちに因んだ地名であると長浜の古老は語っている。与論では護佐丸は強くて怖い武将のイメージで伝えられている。たとえば昔は子どもが泣くと「護佐丸が来るよ」と言ってなだめ、体格の大きい強そうな子どもには「護佐丸のようだ」と評したという。 時間的制約もあり奄美大島ではそのような話は聞けなかったが、おそらく同島にも似たような言い伝えは残っているのではないか。 奄美大島と沖縄では風俗習慣や文化・芸能などに多くの共通点が見られるし、与論の方言は沖縄本島の方言によく似ている。与論は沖永良部島とは兄弟島の関係にあるが、交流は沖永良部島とより琉球との方が大きかったようだ。 織物は芭蕉布が古くからあるし、読谷山花織によく似たシュパやサジと呼ばれる浮織も残っている。戦前まで奄美諸島の砂糖キビは殆どが読谷山種であったという。 護佐丸と阿麻和利の関係には奄美諸島における経済的主導権争いがあったとの説もあるが、当時琉球と奄美諸島間ではそれほど交易が盛んであった。奄美大島の由緒ある家の系図には琉球関係の人物名が見られるとのことである。 奄美諸島は陸も海も自然環境が沖縄に酷似しており、その点では奄美諸島は鹿児島ではなく沖縄に組み入れた方がよりすっきりすると思う。琉球王や按司たちもそう考えたのではなかろうか。だとすれば琉球が奄美諸島を属領にしたのもうなずける気がする。 諸般の事情で奄美の他の島じまに足をのばせなかったのは残念だが、それでもそれなりの成果は得られたと思う。 素晴らしい報告書ができ上がるのが楽しみである。 終わりに今回の私たちの調査に、お忙しいなか貴重な時間をさいてご協力を賜わった与論と奄美大島の皆様に心より感謝申し上げたい。まことに有り難うございました。 (読谷村文化協会長長嶺善広)
第16回読谷村青年エイサーまつり(主催・読谷村青年団協議会=池原康司会長)が8月30日、平和の森球場で開かれ、大勢の人たちが、エイサーの勇壮な演舞を楽しみました。 エイサーまつりは、座喜味、喜名、宇座、大湾、古堅、波平、高志保、瀬名波、楚辺、渡慶次青年会の順に日頃鍛えた技を披露し、それぞれの青年会の持ち味を発揮しました。 フィナーレは観客も参加してのカチャーシー。夜空いっばいに広がる花火に、感動の余韻を残しながらまつりは幕となり、若者たちの躍動感溢れた華麗な演舞に今年も演技者と観客が一体となった熱気溢れる会場となりました。 第4回「高志保大通りエイサー天国」(主催・同通り実行委員会)が九月六日、高志保大通りを歩行者天国にして開催されました。 エイサー天国は宇座子ども会や渡慶次獅子舞クラプ、嘉手納町の総管太鼓の特別出演などの外、波平、瀬名波、高志保、渡慶次、宇座、座喜味、儀間の七青年会が参加して催され、獅子舞と迫力ある太鼓、勇壮なエイサーなど各字の芸能を披露しました。 旧盆と重なり村内外から大勢の参観者が訪れ、盛んな拍手を送っていました。 また、今回初めて歩行者天国となった大通りは、親子が演舞の合間にアスファルト道路に白色や黄色、赤色などのチョークで思い思いに絵や文字などを描いていました。