読谷村文化協会設立5周年記念 創作オペラゆしやつぃる
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読谷村教育発祥の地 喜名小学校に新校舎が完成 待ち望まれた、喜名小学校の新校舎が完成し、三月二十五日に新校舎・新体育館落成式典が同校体育館を会場に、教育関係者並びに父母ら二〇〇人余が集い盛大に開催されました。 旧校舎は二十年という歳月が経ち老朽化が見られることから、昨年五月に新築工事が着工されました。その間、児童らは建設工事のため、授業等で学校生活に制限が余儀なくされており、関係者の喜びもひとしお。 式典で新里紹次郎校長は、「この喜名小学校は昭和二十三年に創立され、馬小屋校舎からレンガ校舎と変遷し、この新校舎は学校沿革史に残る記念すべき事業となります。」と喜びを述べました。 続いて、伊波清安教育長は、「この校舎は、県内外のいい学校を参考にして建設されました。五〇年後でもモデル校舎として評価されるでしょう。」と祝辞を述べました。 また、児童を代表した楚南兼律君は、「校舎ができるまで毎日ながめていました。瓦が屋根にのり、その姿があらわれた時、とてもうれしかった。中はあまりにも広く、迷路のようだった。ワークスペースもあり、天井も高くて、わくわくしました。」と新校舎で過ごした三か月間を振り返りました。 祝賀余興では先生方や父母らによる余興に加え、迫力のあるPTAサークルパーランクー隊「白龍」のみんなで会場を盛り上げました。
読谷村村木選定委員会 村木・花木を答申 村木:フクギ 花木:イッぺー 昭和六十一年四月五日に、村花として「ブーゲンビレア」、村木として「イヌマキ(方言名、チャーギ)」が制定され、公共施設等で緑化樹種として植栽され、久しく村民に親しまれてきました。 しかし、村木のイヌマキについては害虫の「キオビエダシャク」が近年大量に発生し、村内の老木を含む多くがその食害により枯れてしまいました。また、薬剤散布等の効果も得られず、屋敷林としても敬遠され、伐採されることも多く、村民より村木の見直しの要望が多くありました。 これを受けて、平成十二年二月十八日に「読谷村村木選定委員会(儀保輝和委員長、委員二〇人)」を発足させ、検討を重ね、このほど意見を集約して答申をまとめるにいたりました。 三月十五日、儀保委員長より安田村長に答申書「読谷村村木及び花木選定について」が手渡されました。 答申書では、村木を「フクギ」とし、新たに花木として「イッぺー(コガネノウゼン)」が示されました。 また、選定作業の中で推薦された樹種の中から推薦木として「クロキ」「マツ」「シャリンバイ」が、そして推薦花木として「ホウオウボク」「サクラ」が奨励樹種として推薦されました。
「読谷村介護保険事業計画」を答申(介護保険計画審) 三月十三日、介護保険計画審議委員会の仲宗根盛敏委員長より「読谷村介護保険事業計画」の答申が安田慶造村長になされました。 答申書を手渡した仲宗根委員長は、「各委員の皆さんが九か月にわたって一生懸命頑張って、具体的な方向性を取りまとめることができました。」と述べました。 答申を受けた安田村長は、「これまでハード面の充実を進めてきておりましたが、今後この介護保険の運用については、この計画書に沿って頑張っていきます。」と感謝の意を表しました。 この介護保険計画は、平成十二年度を初年次とし、平成十六年度を最終年次とする五か年計画を示したもので、第一章の「計画策定の趣旨」に始まり、第九章「各年度におけるサービスの見込量の確保のための方策」で結び、資料編を含めると六〇頁に及ぶきめ細かな計画書となりました。 読谷村の高齢化率は、平成十二年一月三十一日現在で二一・一%であり、年々確実に上昇傾向にあることから、今後とも高齢化の進行が予測されるとしています。当然、社会的援助が必要とされる高齢者、また一人暮らし老人や老人のみ世帯も増えていきます。 読谷村における介護保険事業の実施については、詳細で膨大なデータ整理を基に作成された本計画書に沿った、円滑な運用が期待されます。
村営ビーチで海開き宣言 海の安全を祈願 沖縄の本格的なマリンレジャーシーズンの到来を告げる海開きが、村営ニライビーチ(ホテル日航アリビラ)と村営残波ビーチ(残波岬ロイヤルホテル)で三月三十日と四月一日の両日、海の安全祈願の神事が執り行われました。 祈願祭には、安田村長はじめ、警察・消防・漁協関係者や管理委託組合の両ホテル関係者四〇人余の出席の下で海開きのテープカット及び海開き宣言のセレモニーが行われました。
日本一交通安全な地区を目指し「交通安全宣言」 「交通安全は、みんなの心とマナーから」をスローガンに、全区民が交通安全思想を徹底して実践しようと、四月九日に喜名区(宇根良雄区長)で新入生激励会と区民交通安全、防犯対策推進大会が開催されました。 公民館では宜保嘉手納警察署長から宇根区長に嘉手納地区交通安全モデル地域の指定状が交付されました。 初めて県に導入された薬物乱用防止広報車「すこやか号」もお披露目され、薬物乱用の恐怖を学びました。
読谷盆栽同好会 結成二〇周年記念盆栽展 読谷盆栽同好会(会長:城間勇)は結成二〇年を迎え、三月十八日から二十日までの日程で盆栽展を開催しました。 会場となった宜野湾市のJAグリーンパルには、会員四〇人が長年丹精こめて育てあげた五四点を出品、県下から連日多くの盆栽ファンで賑わい、好評を博しました。 愛好家の間では読谷は盆栽のメッカとして知られ、国風盆栽展入選作品四点、県連合会盆栽展金賞(県知事賞)作品二点も特別出品され、県盆栽展並と絶賛されました。
読谷村文化協会設立五周年記念公演 創作オペラ「ゆしやつぃる」 読谷村文化協会(岳原宜正会長)は、設立五周年を迎えるにあたって、創作オペラ「ゆしやつぃる」を三月二十五日・二十六日の両日に渡って文化センター鳳ホールで公演し盛況を博しました。 文化協会では、三年前に吉屋チルーシンポジウムを開催、悲劇の歌人吉屋チルーを題材に、西洋文化と琉球文化をドッキングさせた創作オペラの企画を暖めてきました。 このオペラは瀬名波出身のテノール歌手、知花章さんの脚本、演出、作曲によるもので、キャスト、オーケストラともに村民が出演、読谷に新たな文化の一頁が加わりました。 このオペラは四幕で構成され、第一幕では、読谷山間切久良波で八歳になるチルーが尾類アンマーに身売りされる場面に始まり、比謝橋で「恨む比謝橋や…」と琉歌を詠むチルー。第二幕では、一転してきらびやかに着飾ったチルーが登場、仲里按司と出会う場面。歌会でのチルーと若侍とのやりとりはユーモラスで会場を大いに沸かせました。第三幕では自害するチルーに深い悲しみを誘いました。第四幕では茶屋御殿の命名に思案する仲里按司にチルーの歌が聞こえ、その幕が下りました。 最後に総キャスト七〇人余が舞台で紹介され、出演者らは成し遂げた満足感を満面に表していました。
読谷村が誇る人間国宝 巨匠の技を堪能 沖縄の誇る伝統工芸の陶器、花織、紅型の粋を誇る三人の巨匠の作品を一堂に集めた「人間国宝展」が開催されました。 開館二十五周年を迎えた読谷村立歴史民俗資料館は「人間国宝 金城次郎・與那嶺貞収蔵品展」、十周年を迎えた村立美術館では「人間国宝 玉那覇有公『紅型』展」が四月八日から三十日の日程で同時に開催されました。 歴史民俗資料館の特別展示室では、資料館・美術館の収蔵品で、魚の文様が特長の金城次郎さんの壺や大皿等三十六点、昨年人間国宝に認定された與那嶺貞さんの読谷山花織六点が展示されました。 美術館で展示された玉那覇有公さんの作品は、特にこの展示会に向けて染めあげた力作揃いで、紅型着物や着尺・全通、大型の「松竹梅に鶴亀文様」紅型幕の合計六一点が展示されました。 四月七日のオープニングセレモニーには、これまで美術館と関わった美術家、ヤチムン・花織の関係者等一五〇人余が集って行われました。 宮城元信美術館長は、「玉那覇さんに展示を依頼した際『よし、わかった。』とのお言葉は生涯の思い出です。」と開催の喜びを述べました。 安田村長は、「この資料館・美術館は皆さんの支えによってここまで育ってきました。今後とも内容の充実には皆さんの力が必要です。」と感謝し、協力を仰ぎました。 三人の人間国宝の作品が一堂に展示されているとあって、各地から訪れた美術工芸ファンは、細やかで鮮やかな気品あふれる作品に、思わずため息をもらしていました。 玉那覇さんは、近く瀬名波に住所を移転することになっており、読谷村は三人の人間国宝を擁することになります。
真新しい福祉バスをお披露目 読谷村社会福祉協議会に新しい福祉バスが届き、そのお披露目式が三月三十日にありました。 老朽化していた福祉バスは雨漏りや故障等があり、今回の新しいバスのお目見えで関係者を喜ばせました。 安田村長は、「このバスは二九人乗りで、弱い立場の人たちが多く利用するということで、昇降にも配慮されています。また、カラオケもついていますから、充分活用して下さい。」と、池原憲永同協議会副会長にセレモニーとして大きな鍵が渡されました。