
第16回残波まつり
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平和サミット「花は土に咲く」基地の島から平和を発信 民衆の立場から平和問題を考えるシンポジウム「平和サミット 花は土に咲く 基地なき平和を求めて~沖縄結集」(主催:財団法人、わびあいの里・阿波根昌鴻理事長)が七月一日に、読谷村文化センター鳳ホールに約九百人が参加して開催されました。 開会のあいさつで石原昌家沖縄国際大学教授は、九州・沖縄サミットを前にしての開催意義を強調しました。 会場正面の大型スクリーンには、日本のガンジーと称される阿波根昌鴻氏が映し出され、「九七年公開審理証言」が上映されました。 去る大戦で多くの島民が殺されるという悲しみを乗り越え、「乞食行進・座り込み土地闘争」の中で多くの県民から声援を受けたことが紹介されました。 続いて、でいご娘により「艦砲ぬ喰えーぬくさー」他数曲と、「乞食行進」に参加した平安山良有氏らより「陳情口説」等が披露されました。 シンポジウムでは、司会に筑紫哲也氏(TBSニュースキャスター)、パネリストとして、石川洋氏(わびあいの里理事)、大田昌秀氏(前沖縄県知事)、平岡敬氏(前広島市長)、宮良ルリ子(元ひめゆり学徒隊)、山内徳信氏(わびあいの里理事)が壇上にあがり意見が述べられました。 石川氏は、無抵抗の指導者阿波根氏自身が農民であり、草の根である民衆から平和を発信する意義を述べ、二十世紀で戦争は終わりにしましょう、と涙ながらに訴えました。 大田氏は、沖縄の常識は生きている。基地の現状を見据え、今こそ政治に理想・理念を大きく掲げることが大切、と強調しました。 平岡氏は、広島から核廃絶を訴えた活動を紹介。人々が平和に麻痺し、訴える難しさも指摘し、教育やマスメディアの重要性を訴えました。 筑紫氏は、このままでは憲法は変えられることになる。過去が遠くに追いやられていく中、歴史に学ぶことが大切と強調しました。 宮良氏は、ひめゆり学徒隊の忌まわしい体験を語り、沖縄では、過去と現在がつながっており、平和を訴え続けることを誓いました。平和のメッセージに取り組んでいる生徒らの事例を紹介しました。 山内氏は、「この文化センターはまぎれもなく基地の中です」と口火を切り、「世界には弱い者が強大な権力の壁を打ち破ってきた歴史がある。読谷村は、平和主義、主権在民を米国政府に訴えてきた。私たちは少数派では決して無い。地方分権を逆手に政府に平和の風を吹き込もう」と訴えました。
保健福祉計画 がんじゅう・ゆいまーる・プランを答申 読谷村保健福祉計画及び介護保険事業計画策定委員会(仲宗根盛敏委員長)は、六月二十六日、安田村長に「保健福祉計画 がんじゅう・ゆいまーる・プラン」(A4判、一六四ページ)の答申を行いました。 答申を受けた安田村長は、「児童館建設は財政的に難しい状況にあり、幼稚園での取り組みを成功させたい。読谷らしさを出して利活用がなされることを期待する」と計画書作成に感謝を述べました。 同策定委員会は、昨年六月二十五日に委嘱された二十一人の委員により、各作業部会及び策定委員会を重ねて計画書が作成されました。 同計画の基本目標は、「子どもからお年寄りまで、皆元気に、共に生きるむらづくり」としており、「①母子・児童福祉」「②障害者保健福祉」「③村民健康づくり」「④老人福祉」「⑤医療 保険・扶助」「⑥地域の福祉の推進」を柱にしています。 特に、平成六年に策定された「よみたん村保健福祉プラン21」の中で計画された事業の福祉公民館構想で位置づけされた「ふれあい児童公民館の開設」「ふれあい学童保育公民館の設置」等の事業実践がまだ課題として残されいる旨の意見があり、嘉手納、北谷両町の児童館施設等の視察調査を実施し、今後共実現に向けて努力する、としています。委員会として同計画の答申にあたり、とりわけ放課後児童の健全育成育成事業の導入を関係機関と早期に協議し、推進すべきことが確認されました。
企業の皆さんがサミット一斉清掃 第三回「美ら島沖縄「二〇〇〇年サミット・クリーンアップ大作戦」(主催、沖縄県サミット推進県民会議・環境美化部会)が、七月七日に行われました。 このサミット環境美化事業は、本村に宿泊する各国首脳や代表団、プレス関係者に「歴史、文化が薫る読谷村」を印象づけ、今後の本村観光振興にも寄与するものと期待されます。 残波岬いこいの広場で出発式に臨んだ安田村長は、「このサミット・クリーン作戦も三回目を数え、皆さんのご協力に感謝します。いよいよサミットが目前に迫り、ホテル周辺をはじめ県道沿いでは警戒体制に入っています。村内に迎える関係者をきれいな読谷にして温かく迎えましょう。」と述べました。 この日の清掃作業には、建設業者会・管工事業組合・電業会等の従業員、嘉手納警察署署員やヤチムンの里の従業員等、一五〇人余が参加し、ユンボをはじめ草刈り機を持ち寄り、長浜の県道六号線沿い、西部連道土地改良区農道沿い、特に宇座地区防風林帯、やちむんの里及び進入路等で大がかりな清掃作業が実施されました。 全県的に取り組まれたクリーンアップ作戦は、七月九日の村内全域での実施に向けて準備が進められましたが、あいにくの土砂降りの大雨となり取りやめとなりました。
育てよう地球の緑 豊かな未来 沖縄県は、森林づくりボランティアや一般住民等による県民参加の森林づくりの一環として「みどりの美ら島」づくりを推進しています。 六月二十四日に、一〇〇人余のボランティアの参加により残波岬公園内で「サミット推進」森林づくり活動が展開されました。 作業は、第八回読谷村植樹祭(三月五日)で植栽された琉球松・フクギ等二〇〇〇本の下草刈りと、新たに琉球松一〇〇本が植栽されました。
私たち南米からやってきました! 去る七月四日、読谷村海外移住者子弟研修生受入事業協力会(松田重信会長)の二〇〇〇年度総会が開催されました。 あいさつで松田会長は、「昨年の研修生の阿波根ミリアンさん(ブラジル)、大城美智子さん(同)、ボレショ比嘉フローレンシア(アルゼンチン)の三人は地域の青年に交じってエイサーに参加、地域ともふれあい、充実した研修をしました。また、国に帰ってからも色々活躍していると聞いています。」と受入事業の意義を述べました。 この受入事業は、平成五年に、第一回目の研修生を受入れて以来、今年の研修生である當眞ダニエル君と新城盛博君で一〇人目を数えています。 第二回以降は女性の研修生が続きましたが、久々の男性です。ここで二人のプロフィールを紹介します。 當眞ダニエル君(二〇歳)は、アルゼンチンで花卉業を営む、長浜出身の父嗣也さん(四四歳)、母恵美子さん(宜野湾出身、四四歳)の長男で、兄弟は弟(マルテン)が一人います。 當眞君の研修は、六月から十一月までの六か月間で、既にヒスパニック文化センターで日本語研修とコンピュータ操作を学んでいます。 新城盛博君(二〇歳)は、ブラジルから来ました。瀬名波出身の父盛春さん(五一歳)は商業を営み、母は美代子さん(中城村出身、五二歳)。二人の妹(ナオミ・えみ)がいます。 新城君の研修は、七月から十二月までの六か月間、當眞君と一緒に日本語とコンピュータ操作を学びます。
第十六回残波まつり 今回、十六回目を数える残波まつりも、年々多彩なプログラムで盛り上がりをみせており、多くの村民が海のカーニバルを楽しみました。 この「残波まつり」の目的は、村内経済の活性化をめざし、文化村づくりに寄与しょうと、読谷村、読谷商工会、JAゆいな読谷支所、読谷村漁業協同組合、読谷山花織事業協同組合を構成団体として実行委員会が組織され取り組まれています。 六月二十四日のオープニングセレモニーで安田村長は、「今回は特設ステージをビーチに移して設置しました。海を前に各々楽しんでください。」と残波まつりの開会を宣言しました。 続いて、夕日が西の海に沈む最高のロケーションの中、海をバックに設けた特設ステージでは、県外、海外で活躍するひがけいこ&島太鼓による「沖縄の新しい歌・連弾太鼓」を皮切りに開演しました。 また、華やかな衣装に身をまとった林美怜と台湾婦人会による「台湾の民俗舞踊」、おなじみのでいご娘による「マリンブルーの島うた」、フィナーレに珍々VVによる「驚異のさんしん漫才」では会場に詰めかけた皆さんの笑いを誘っていました。 翌二十五日には、メインイベントの海上ハーリー大会が開催されました。 ハーリー大会には、女性チーム二チームを含む三二チームがエントリーし、予選一一レースが展開されました。決勝戦の結果、「残波」に乗り込んだバイキンマンA(代表者、仲村実)が四分四十四秒の好タイムで優勝を果たしました。二位は、タイム四分四十九秒で入った「大北」の知花アルミ工業(同、知花勇人)、また、「泰期」のリファイン読谷・インテリア(同、大城泰夫)がタイム五分十二秒で三位入賞を果たしました。表彰式では優勝旗や各種副賞が手渡され、応援団から盛んな拍手を送られました。
残波かりゆし学園 五周年記念式典及び「とびっきりの芸能祭」を開催 残波かりゆし学園は法人化から五周年を迎え、七月二日に五周年記念式典が文化センター中ホールで開催されました。会場には、園生や家族、福祉関係者一〇〇人余が詰めかけ祝いました。 あいさつで、新崎盛繁理事長は、「学園の入り口には『愛』『夢』『感謝』の文字を掲げています。これは皆さんの心です。頑張っていきましょう。」と述べました。 上地巌園長から「経過報告」があり、五年間の歩み、記念事業等の取り組みについて紹介がなされました。 続いて、毎年多額の寄付を寄せられた、読谷村商工会青年部、杉山十九子、三浦洋一の各氏と、また、学園園章を作成した池原芳昭氏、永年監事とし貢献した新垣松蔵氏に感謝状が贈られました。 祝辞で安田村長は、「園生の皆さんおめでとう。色々ご苦労もあったでしょうが、多くの方々が園を支えてくれました。」と述べました。 園生を代表した、西盛永作君は、「私たちは毎日楽しく頑張っています。各字に花のプランターをプレゼントします。」と、山内敏英区長会長に目録が贈られました。 記念式典に先立ち、「とびっきりの芸能祭」も開催され、園生らによる舞踊「かぎやで風」「浜千鳥」「鳴子踊り」の他、三線演奏も披露されました。また、勝連町の福祉作業所利用者でつくる「劇団あいとぴあ」の友情出演で「丘の一本松」が上演さえるなど、楽しい一時を過ごしました。
慰霊の日 園児らが平和の祈り 六月二十三日の「慰霊の日」、都屋の「きりん保育園」の園児ら五〇人余が、都屋の「慰霊の塔」(平成八年十二月十五日建立)とチビチリガマで平和の祈りを捧げました。 きりん保育園では、毎年慰霊の日にチビチリガマで平和の祈りを行っていますが、今回から地元都屋の慰霊の塔を加えることにしました。 慰霊の塔を前に、保育士さんから沖縄戦の説明を受け、碑面の戦没者名簿の中に自分たちと同じ年代の子どもたちの名を見つけ、「戦争は無い方がいい」「本当にかわいそう」と口々に保母さんに話していました。 慰霊の塔には持参した千羽鶴を捧げ、頭をたれ、小さな手を合わせていました。 慰霊の日にあたり、村内十五か字の慰霊の塔では字主催の慰霊祭が開催されました。 摩文仁の「平和の礎」の沖縄戦戦没者、読谷村関係刻銘数は三、八三一人です。 字別刻銘数は以下の通り。 楚 辺(四七四人) 波 平(四四八人) 座喜味(三四八人) 高志保(二六三人) 長 浜(二五九人) 喜 名(二四三人) 渡慶次(二二〇人) 伊良皆(一九四人) 渡具知(一八六人) 宇 座(一六八人) 儀 間(一五四人) 大 湾(一四〇人) 瀬名波(一三六人) 古 堅(一一三人) 比謝矼(一〇三人) 大 木(一〇二人) 牧 原(七二人) 比 謝(五七人) 都 屋(五三人) 長 田(三八人) 親 志(三七人) 上 地(二一人) (平成十二年一月末現在)
北保育所で蚕の糸巻きを体験 六月二十八日、北保育所(知花キミ所長)の園児らが育てた蚕が繭をつくり、その糸巻き体験が行われました。 知花先生は、「蚕の赤ちゃんが、くわの葉をもりもり食べて大きくなりましたね。」と繭になるまで説明。 ナベには煮繭が浮かび、それをユウナの葉をつかって糸を手繰り、「ざぐり」という機具で使い糸によりをかけ、生糸が巻き取られていきました。園児らは順番をまってゆっくりハンドルをまわし、貴重な体験をしました。