
新世紀のスタートに成人式を迎えた私たち!お互いの絆を大切に、どんな時にも支えあっていきたい!
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平和の郷を築くむらづくり ~平和の鐘未来へ響け~ 第十三回平和創造展が十二月十四日から二十二日までの間役場ロビーで開催され、そのオープニングセレモニーが十四日に役場玄関前で行われました。 セレモニーには各種団体の来賓皆様の他に読谷中学校の生徒二七〇人が参加しました。 安田村長は、「二十世紀は非常に厳しい時代でした。来る二十一世紀は戦争のない時代になることが目標です。会場には三十五年前のベトナム戦争の様子を写真パネルで展示しています。また、今回インターネットを利用した『バーチャル平和資料館』が開設され、その中に村の歴史・文化の資料が入っています。これは皆さんの交流と平和学習の一助になると考えます。」と述べました。 今回の平和創造展は、特別企画展として報道写真家の石川文洋写真展「ベトナム戦争と沖縄~ベトナム報道三十年余の軌跡~」として、ベトナム・カンボジア等で撮影された衝撃的な写真の他沖縄から飛び立つ黒い機体のB52等戦争の姿を歴史事実としてカメラが証明していました。 一方、役場ロビーでは、インターネットを利用した新しい情報システムとして「バーチャル平和資料館」が通産省補助で開発され、そのオープンを祝いました。 この資料館にはこれまでの平和創造展で収集展示してきた資料を納めており、アクセスすればホームページ上で、戦前の村の暮らし、沖縄戦、米軍占領、米兵の事件・事故に関する資料や写真が見れます。今後五年をかけて村が収集した資料・画像・音声・動画の関連情報をデータベース上に整備していきます。
石川文洋平和講演会を開催 軍隊がある限り戦争はなくならない 平和創造展の一環として十二月十三日には、文化センター講座室で「石川文洋が見た戦争の現実『戦争と平和』」と題して平和講演会が開催されました。 講演を前に、石川氏は「念願の読谷村で写真展示と講演ができることを喜んでいます。」とあいさつし、四歳の時に本土へ行き、沖縄戦時に沖縄にいなかったことがコンプレックスとなり、それがきっかけでベトナムにいったのかも知れないと述べました。 そして四年間滞在したベトナム戦争の実態、悲惨さを克明に語り「戦争は殺し合いであり、それ以外の戦争はない。」それを記録することができた。従軍カメラマンの目は軍と同じ眼であり、客観的に見ていない、本当の戦争をカメラに納めたかった。人間が一人死んでしまうことは、その人から生まれるはずの子や孫が生まれないことになる。ベトナムでは同じ民族が殺し合った。」と戦時中の危険地帯での実体験を話しました。 沖縄の基地問題について、「読谷村で行われたパラシュート降下演習は異常な風景で、そんな基地被害の痛みは本土にいて伝わってないと思う。また、最近の普天間基地移設の問題は地元を二分してしまい悲しい思いをしています。」と講演を結びました。 また、十四日には文化センター中ホールにおいて読谷中学校の三年生約三百人を前に石川氏が講演し、生徒たちは真剣な表情で聞いていました。 講演を聞いた生徒からたくさんの感想文が寄せられました。感想文の中で新垣美羽さんは、「一番かわいそうと思ったのが、かれ葉剤によって色々な障害が出た子供達です。頭の大きな子供や指が二本しかない子、腕がない子、ビンの中に入った子。とても悲しくなりました。石川さんが『大人が起こした戦争なのに、子供が被害にあう』というような事をいっていましたが、本当だと思いました。また、関係のない人を、心も体も傷つけるのが戦争だと思いました。石川さんがどこの海よりも美しいといってくれた 沖縄の海を、血で染めた戦争をどこの国でも起こしてはいけないとつくづく思いました。」と結んでいます。
読谷村消防出初め式を挙行 村民の生命財産を守る 平成十三年度読谷村消防出初め式が、一月十日に文化センター中ホールに大勢の関係者が参加する中、規律正しい号令のもと開催されました。 開会のことばを述べた前田善輝消防団長は、「昨年は歴史的事業である沖縄サミットがあり、消防警戒体制に京都や名古屋消防本部から応援を得てサミット災害訓練を実施することができました。今後とも村民の生命財産を守るため、なお一層の消防体制の強化を図ってまいります。」と述べました。 安田村長は、「村民の無災害を願い、意を強くすると同時に日頃の日夜にわたる献身的な活動に感謝しております。サミット関係で培った体験をいかしてもらいたい、一層の精進をお願いしたい。」と激励しました。 式典では、沖縄県知事(代読)沖縄県消防協会会長(代読)の他、伊波栄徳県議会議員、石垣信晴嘉手納警察署長、儀保輝和村議会議長から祝辞が述べられました。 式典終了後、文化センターふれあい広場では、一日署長を務めた金城スミ婦人会長や安田村長はじめ関係者を前に特別点検、消火器取り扱い、救急対応訓練、防毒衣着装訓練、斜めブリッジ救出訓練が実施されました。
読谷村食生活改善推進協議会を発足 一月十一日、読谷村食生活改善推進協議会の発足式が役場大会議室で開催され、経過報告、役員選出、会則の承認とスムーズに行われました。 初代会長に就任した比嘉キヨさんは、「介護保険事業の中で食生活が大切だと痛感しています。共に頑張りましょう。」と決意を述べました。 安田村長は、「今後地域単位で実践活動を進め村民に浸透していくことを期待します。」と激励を寄せました。 発足式後に外間邦子県栄養士会会長より「私達の健康は私達の手で」と題する講演が行われました。
食生活改善推進協議会の発足まで 書記・桑江千恵子 私たち読谷村では、平成三年度保健所主催の栄養教室と平成四年度の村主催の婦人の健康づくり事業として栄養教室が実施され、私も受講生として村主催の四二時間の講座を修了いたしました。 講座内容は栄養の基礎知識、成人病予防に関する運動と食生活をはじめ、年代別の食生活のポイント、調理実習や食品衛生学と安全性等、健康づくりに関する多くの知識を習得することができました。 受講したメンバーによるグループの結成にはつながりませんでしたが、修了生の中には村が実施している村内独居老人への弁当作りボランティアや各字で実施しているミニデイサービスのおやつ作り等と多くの活動に参加している人も多いです。 平成十一年に保健所主催で前回の栄養教室修了者を対象に再度三回コースで研修会が実施され、村行政の指導の下にめでたく二十一世紀の幕開けにふさわしく「読谷村食生活改善推進協議会」が平成十三年一月十一日に発足し、推進員がうぶ声をあげました。 今後目的を一つにした推進員が地域の食生活改善の輪を広げるために、一人びとりが互いに教え合い、知識の向上を図り、組織として地域の健康づくりに協力できればと願っています。そして、これからの健康づくりを担う若い推進員の増員に力を入れていくことが大きな課題だと思います。 年齢を重ねる度に生活習慣病が気になる家族の肥満に、我が家も食事の環境に気をもんでいる矢先、推進員の発足を期に自らの実践を再確認させられています。 思考が変われば食べ物の嗜好も変わり、食行動も変わり、食生活が変わると言われた指導者の教えを忘れずに微力ながら他の推進員と共に協力して地域の健康づくりを目指して頑張りたいと思います。
新成人一人びとりが近況と抱負を紹介 第三十七回読谷村成人式典が一月八日に鳳ホールで開催されました。 今年の成人者は五一七人(男性二六一人、女性二五六人)、会場には華やかな振り袖やスーツ姿の新成人四五〇人余が集い厳粛な雰囲気の中で挙行されました。 安田村長は式辞で「新しい世紀の幕開けと共に、読谷村の新たな息吹を感じつつ、新成人ということで期待に胸膨らませていることでしょう。二十一世紀を担う皆様の無限の可能性とその活躍を期待します。」と成人を祝い激励しました。 儀保輝和村議会議長、伊波栄徳県議会議員の祝辞を受け、成人者を代表して答辞に立った、新里紹吾さんと宇良あすかさんは、「晴れて、新成人として人生の第一歩を踏み出すこととなりました。現代に生きる主人公として、自覚と責任をもち、多くのことに目を向け、耳を傾け、心を開き、良き新時代を切り開いていきたいと思います。これまでの友情を大切に若さとやる気の二十一世紀を歩んでいきましょう。」と力強く二十歳の決意を述べました。 式典では今回も読谷中学校・古堅中学校・読谷高等学校のアルバムから当時の様子がスクリーンに映し出され、笑い声の中、それぞれの学生時代の思い出をたどっていました。また、今回から成人者の余興があり、ホリプロに所属する東京在住の上地春奈さんがその歌声を披露しました。 恒例の十秒スピーチでは成人者一人びとりがステージに上がり、名前や近況、抱負等を思い思いに語りました。中には「村長になりたいです。」とステージ階段前で成人者一人ひとりと握手する村長と抱き合う場面もありました。
成人式に選挙啓発とシンデレラ推進を展開 成人式にあたり、「読谷村明るい選挙推進協議会」(津波健一会長)は、会場入りする新成人の皆さんに選挙の意義について理解してもらい、投票の大切さを知ってもらう目的でチラシと記念品を配布しました。 また、嘉手納・読谷シンデレラタイム運動推進連絡会(津波清子会長)から成人者にシンデレラタイムの推進を図ろうと、マスコット人形が手渡されました。
今年も山口サンタさんがかりゆし学園を慰問 全国の福祉施設を慰問しているおなじみの山口サンタが十二月十九日に残波岬かりゆし学園(上地巌園長)を訪れ、三十人の施設利用者、職員らが出迎えました。 真っ赤なサンタ服に身を包み園生の待つホールに登場した山口秀和氏は「二八歳の時からはじめた慰問活動も今年で五三年目を数えます。読谷におじゃましてからは十三年になりますね。北海道は雪でした。沖縄は暑いですね。今年は二十五か所を慰問します。」と話し、一人ひとりにプレゼントを手渡しました。
アルゼンチン読谷村人会創立四十周年記念式典に参加して 読谷村長 安田慶造 アルゼンチンはスペイン領土であった歴史的背景もあり、南米の一国でありながら、どこか古いヨーロッパを思わせる独特の表情を持つ国であります。 一九〇八年(明治四十一)、夢と希望を抱きつつ「笠戸丸」にて沖縄県人三二五人を含む七九一人の日本人移民団がはじめてブラジルに渡り、その後更なる新天地を求めて再移住したのがアルゼンチン移民の始まりだと言われております。しかし言語や風俗習慣、自然環境等々沖縄とは全く違う環境での生活は筆舌に尽くしがたい苦労の連続であったと伺っております。 我が読谷村人会は、一九六〇年に読谷出身の勢理客宗久氏と嘉手納出身の幸地加那氏が中心となり「読谷・嘉手納同志会」として発足したことにはじまり、その後一九八八年には各々独立し「読谷村人会」と改称し現在に至っております。 十一月十六日に沖縄を出発し、関西空港・ロスアンゼルスを経由し、約三〇時間後にアルゼンチンに到着、空港では村人会役員の皆様方が温かく出迎えて下さり、懐かしいお顔を拝見し旅の疲れも取れる思いでありました。 十一月十九日には沖縄県人会館において記念式典・祝賀会が開催されましたが、「どうせやるなら盛大に…」と若い方々が率先してこの計画を進められ、三〇数世帯の村人会ながら四〇〇名のお客さんを招いての盛大なものでありました。読谷村人会の団結力と行動力は現地でも高く評価されているようでありますが、節目の祝賀会を成功裏に終えたことで村人会への評価も一層高まることでありましよう。 勢理客アニーバル村人会長をはじめ、今や村人会組織も二世中心に変わりつつありますが、スペイン語を中心とした日常生活の中でも「ウチナー口」が世代を越え受け継がれていることに驚きます。 式典では読谷村より七〇歳以上の七名の先輩各位への感謝状と記念品をお贈りし、更なるご健勝をお祈りいたしました。そして村人会より子弟の学士号取得者への記念品贈呈も行われ、子弟教育に対する先輩方の深い思いを感じます。 式典終了後は祝賀会へとうつり、会場は花卉農家の村人により色とりどりの花で飾られ、そして心地よい「キロロ」の曲が流れ、各テーブルにはウチナー料理が並べられ、読谷村にいるような雰囲気の中で心温まる懇談の一時を持てたことはこの上ない喜びでありました。 会館横の広場には村人会の心のこもったもてなしを象徴するように、三〇〇㎏を越える牛肉や鶏肉等が炭火の上で出番を待ちかねているようでありました。 祝賀会には村人以外の方々も多く参加しておりました。読谷の祝いならば是非出席させてほしいと希望される方も沢山おられるとお聞きし、読谷村人に対する信頼と評価の高さを感じ、大変頼もしく心強く思いました。 幕開けの古典演奏にはじまり、琉舞、日舞、ギター演奏等、バラエティーに富んだ実に二八プログラムの余興が繰り広げられました。数の多さもさることながら、そのほとんどを村人自身が演じていることに驚き、感動いたしました。 日頃から琉舞や日舞などの経験がない村人もこの日のために猛練習を重ね、式典から祝賀会まで約六時間の長丁場でありましたが、見応えある演舞が披露され、時間を全く感じさせない見事な祝いでありました。 遠い南米の地で読谷に思いを馳せながら、読谷村人としての「自信」と「誇り」を抱きながら逞しく暮らす沢山の人がいらっしゃることを忘れることなく、アルゼンチンをはじめとする国外で暮らす村人の心の故郷「ユンタンザ」の更なる発展のためにも、我々は今以上に頑張らなければらないと思った旅でありました。