
第三十九回読谷村成人式 共に学び、遊び、語りあった多くの友と、今日の日を迎えました。
第三十九回読谷村成人式 共に学び、遊び、語りあった多くの友と、今日の日を迎えました。
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第三十九回読谷村成人式 共に学び、遊び、語りあった多くの友と、今日の日を迎えました。
「百年の記大空へ」を建立 古堅小学校創立一〇〇周年 古堅小学校の創立一〇〇周年記念式典・祝賀会が二月一に同体育館で盛大に開催され、一〇〇年の節目を祝いました。 新城トシエ校長は、式辞の中で創立以来の学校の沿革に触れ「幾多の苦難と変遷の創業の中から、本校は一〇〇年の間、休みなく教育が営まれ、今日の隆盛を迎えることができました。今後とも、『花いっぱい・読書いっぱい・笑顔いっぱい』をキャッチフレーズに『感動と創造の生きる教育』を目指して職員一同頑張っていく所存であります。」と決意を述べました。 あいさつとして、岳原宜正期成会長、比嘉隆教育長、比嘉幸夫PTA会長、児童会会長の池原幸宏君のあいさつが続きました。 池原君は「喜びのことば」で「百周年を記念して、記念碑『百年の記大空へ』も建てられました。古堅小学校の卒業生や在校生が夢と希望に燃え、大空へ伸びていってほしいという願いが込められているのだそうです。記念碑の下はタイムカプセルになっていて、わたしたちの思い出の品がしまわれています。二〇年後に開けることになっているので、その頃にはどんな大人になっているのか、考えるだけで胸がどきどきわくわくしてきます。」と結び、大きな拍手を受けました。 その後、感謝状贈呈、祝賀会と続きました。ステージは校区内の各字からの出し物やユンタンザ歌の会、でいご娘&島太鼓が華を添え、祝賀会は大きな盛り上がりを見せていました。
新たな飛躍を目指し 盛大に成人式典を挙行 第三十九回読谷村成人式典が一月十二日に読谷村文化センター鳳ホールで開催されました。 村外在住者を含む今年の成人者は四九九人(男性二四三人、女性二五六人)。会場には成人式らしく華やかな振袖姿やスーツ姿の新成人が集い、厳粛な雰囲気の中で式典が挙行されました。 安田村長は式辞で、「皆さんは厳しい時代に成人を迎えましたが、打ちひしがれることなく、不安を克服し、地域社会と積極的に関わり、自分自身の生き様を切り開いてください。」と激励しました。引き続き前田善輝村議会議長、伊波栄徳県議会議員の祝辞を受けました。 成人者を代表して答辞に立った山内辰徳さんと長浜さやかさんは、「今日まで、共に学び、遊び、語りあった多くの友と、この日を迎えられることを大変うれしく思います。これまでの二十年を振り返ってみますと、時には両親や先生方に反抗し、自分とは何かを思い悩む日々もありました。そのような私たちの成長を温かく見守り育んで下さいました先生方、地域の皆様並びに家族のみんなに改めまして深く感謝します。これからは、社会人として自分の責任を自覚し、読谷村、沖縄そして世界を担う若者として、新たなる飛躍を目指し、しっかり歩んでいきたいと思います。」と力強く二十歳の決意を述べました。 式典では、恒例となった小中高と巣立った学舎での思い出が卒業アルバムから綴られ、他市町村に赴任した恩師からのメッセージがスクリーンに映し出され、ときおり大きな笑い声が響く中、それぞれの学生時代の思い出をたどりました。また、ステージでは読谷子どもミュージカルのメンバー七〇人が創作ミュージカル「あかのこ」の一場面を演じ好評を博しました。また、成人者知花直途君を交えた「ソウルサバイバー」がブレイクダンスを披露し式典を盛り上げました。 恒例の十秒スピーチでは成人者一人ひとりがステージに上がり、近況や二十歳の抱負を話し、安田村長や池原助役から激励の握手を受けました。
ゆいまーる共生事業ボランティアに感謝状 一月二十七日、各字で展開されている「ゆいまーる共生事業」でボランティアとして頑張っている皆さんが一堂に会し、情報交換の場を持つ「ボランティアの集い」が残波岬ロイヤルホテルで開催されました。 現在、村内二十二か所の公民館でゆいまーる共生事業(ボランティア会員七六〇人)が実施されており、地域のお年寄りの福祉向上に大きな実績をあげ、他市町村からも先進地として注目を集めております。 安田村長から、ゆいまーる共生事業のボランティアとして長年にわたり地域高齢者の生きがいづくりに中心的な役割をはたし、高齢者の健康づくりに多大な貢献をされたとしてステージ上で四二人一人ひとりに感謝状と記念品が贈呈されました。 安田村長は、「高齢者福祉に介護制度が導入されましたが、制度だけでは十分ではなく、それぞれの地域で奉仕の精神をもって力添えをいただいている皆さんに年一回お集まりいただいています。これからの老人福祉の展開について情報交換の場にしてください。」と感謝と激励の言葉を述べました。 ステージでは宇座銀の会が「かもめの水兵さん」を踊り、楚辺クラガー会が「年中行事」「りかりか楚辺クラガー会へ」を披露し会を盛りあげていました。
人間国宝で名誉村民の與那嶺貞さんが逝去 「幻の花織」の復興と発展に尽力 人間国宝で読谷村の名誉村民であります與那嶺貞さんが一月三十日に逝去されました。享年九十四歳。與那嶺さんのご冥福をお祈り申し上げます。 與那嶺さんは、読谷村高志保に一九〇九年一月二十日にお生まれになり、十六歳で首里女子実業学校(沖縄県立女子工芸学校の前身)に入学し、染織・裁縫を学んだ後、最高学年の研究科まで進学し、染め織物に関する技術に研鑽を積みました。 戦後は、村の幼稚園教官補、生活改善普及員の職を歴任し、地域のために尽力しました。その後、一九六四年より村の読谷山花織復興事業に関わり、作品の開発・技法の改良等に力を注ぐ傍ら、多くの後継者を育成し、今日の読谷山花織の隆盛の基盤を築いてこれらました。 一九六九年には「読谷山花織愛好会」を結成、一九七五年には沖縄県指定無形文化財「読谷山花織」の技能保持者、さらに七六年の「読谷山花織事業協同組合」の設立に関わり、一九九九年六月二十一日に重要無形文化財「読谷山花織」保持者(人間国宝)に認定され、これまで伝統的な読谷山花織の伝承の中心的存在として多くの後継者を育ててきました。 與那嶺さんは、屋良朝苗氏、金城次郎氏(一九八九年六月顕彰)に継いで三人目の名誉村民として、二〇〇〇年十一月二十八日の読谷村名誉村民章顕彰式典において顕彰を受けました。
読谷村の先人、比嘉秀平・屋良朝苗平両氏に学ぶ 読谷村立美術館では、昨年の十二月十一日から今年の一月十九日までの四週間、日本復帰三〇周年記念事業特別展として「波濤に生きた比嘉秀平と屋良朝苗の足跡を偲ぶ」が開催されました。 展示会開催中、多くの村民が同展を参観しました。特に、小中学生を対象に、特設授業が開催され多くの児童生徒が読谷村の偉大な先人である比嘉・屋良両氏の足跡を学びました。 総合学習の一環として取り組まれたこの特設授業には、一月七日の渡久山朝章氏の講話を皮切りに、岳原宜正氏、石川元平氏の三氏が講師として比嘉・屋良両氏の人柄とその時代背景を詳しく解説しました。講話に耳を傾けたのは、喜名小学校四~六年生(二五九人)、渡慶次小学校三~六年生(二四〇人)と読谷高等学校二年生(四六人)の合計五四五人。初めて読谷村の偉大な先人にふれた児童が多く、比嘉秀平氏が九歳の時にサトウキビの圧搾機に手を挟まれ右手が不自由になったこと、それでも勉学に励み、立派に主席になったこと。一方、屋良氏も、貧しかった故に渡慶次小学校の使丁を勤めながら一生懸命勉強して先生になり、後に県知事にもなりました。沖縄県教職員会長として児童・生徒のために一生懸命頑張って、全国行脚をして学用品や学校機材を集めたことに関心を寄せ、メモを取るなど熱心に学びました。
韓国交流団が読谷村を訪問 一月二十七日、沖縄・韓国青年交流会のメンバー十一人が韓国伝統のシマチョゴリ姿で安田村長を表敬しました。 安田村長は、「読谷山焼北窯で実際に作業をして沖縄の文化に触れてみてどうでしたか。」と通訳を介して呼びかけ、「読谷村の子供たちはアメリカやカナダ、フランスとも交流していますが、アジアの隣国である韓国との交流も実現するといいですね。」と述べました。 その後、一行は村づくりビデオにより読谷村の概要説明を受け、座喜味城跡や歴史民俗資料館などを見学。夕方にはふれあい交流館で読谷村青年団協議会のメンバーと交流を図り、韓国のビビンバ料理に舌鼓を打ちました。また、韓国済州道公演で一昨年文化交流を果たした古堅区の「浜千鳥」や空手演武を観賞。韓国側も大学生らしいユニークなテコンドーダンスや伝統舞踊を披露し、楽しく沖縄・韓国の文化交流の夕べを楽しみました。
新風の目会、うちなー正月 題して「正月サミット」 第十回「うちなー正月」(主催、ユンタンザむらおこし塾一期生 新風の目会、玉城国二会長)が二月一日にむら咲むらの謝名亭で五十人余の関係者が集う中で開催されました。 このうちなー正月は、読谷村商工会が平成三年から取り組んでいる人材育成事業「ユンタンザむらおこし塾」の一期生が中心になり、毎年テーマを決めて開催しており、琉球舞踊や琉球料理で旧正月を祝っています。 今年は、「旧正サミット」と題してパネルディスカッションが展開されました。 玉城会長は、「沖縄は歴史的にチャンプルー文化ともいわれ、読谷の伝統文化を愛しながら、今日は異文化に触れ、いい意味でのチャンプルー文化を創っていきましょう。」と述べました。 パネラーとなったボリビア出身のハイメ・モラレスさんとレバノン出身のイーライ・カラムさんが自己紹介にあわせてそれぞれの地理や文化、そして日本・沖縄文化との違いについて話しました。参加者らは熱心に耳を傾け、琉球料理に舌鼓を打ち、泡盛を酌み交わす中、国際色豊かに旧正月は盛り上がりました。
ブラジルから神奈川へ 県人と共に頑張ってます 一月二十四日、新京工業有限会社代表取締役の新垣征幸氏(瀬名波出身、神奈川県在)が求人のため帰沖し、安田村長を表敬しました。 新垣氏は、小学校五年生の時に家族と共にブラジルに移民。電気工事関連の事業に従事、しかし、三割の企業が倒産するという経済不況に見舞われ、日本へ帰国。平成十一年四月、神奈川県で電気工事社を設立。現在は事業も軌道に乗り沖縄県出身者五〇人の他、ブラジルから一七人、アルゼンチンから一五人を呼び寄せて共に事業経営に頑張っています。 安田村長は、「厳しい不況下で努力を重ね、村出身者が成功をおさめていると聞き喜んでいます。読谷村は毎年南米から研修生を受入れていますが、人間はやる気が大切ですね。半年で読み書きをマスターしていきます。」と新垣氏の訪問を歓迎しました。
国吉氏が短編小説賞受賞 次は芥川賞・直木賞! 琉球新報文学三賞(短編小説賞・歌壇賞・俳壇賞)の一つ、第三十回琉球新報短編賞に国吉真治氏の「南風青人の絵」が選ばれ、二月三日、その報告に安田村長を訪れました。 安田村長は、「これまで、読谷村での文学面での受賞は国吉さんが初めてでしょうね。この受賞の後輩に与える影響は大きいと思います。そういった才能をもった子供たちに興味をもってもらえるよう村立図書館で掲示しましょう。小さい頃からの読書の習慣は大切ですね。」と受賞を称えました。