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主な目次 泰期まつり&ハーリー大会…P2 児童生徒の平和に関する図画・作文コンクール…P4 よみたん見聞録…P6 ゆんたんざinfo……P16 6月28日(日)残波岬で第一回いちへき泰期まつりが開催されました。 オープニングセレモニーでは国吉真希さんによる、泰期への奉納舞踊が行われました。
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主な目次 泰期まつり&ハーリー大会…P2 児童生徒の平和に関する図画・作文コンクール…P4 よみたん見聞録…P6 ゆんたんざinfo……P16 6月28日(日)残波岬で第一回いちへき泰期まつりが開催されました。 オープニングセレモニーでは国吉真希さんによる、泰期への奉納舞踊が行われました。
梅雨明け宣言がなされた6月28日、快晴の下、第25回「読谷村ハーリー大会」が開催されました。 会場となった宇座海岸は、友人同士や家族連れなど、村内外から訪れた多くの人で賑わいました。ハーリーは、中国から伝わったとされ、海の神へ航海の安全や豊漁を祈願する伝統行事です。 大会では一般の部、字対抗の部、中学生の部で計56チームが参加し、鐘の音を響かせながら熱戦を繰り広げました。浜辺の観客からの指笛や声援も大会を盛り上げました。
6月28日、第1回「いちへき泰期まつり」が残波岬泰期像前広場で行われました。 まつりは国吉真希さんによる泰期への奉納舞踊から始まり、山内昌春民謡ショーや、花やからの演舞が披露され、訪れた観客を楽しませました。20時からは手づくりの灯籠が泰期像周辺を照らし出し、幻想的な光景が広がりました。また、泰期まつりに合わせて残波岬灯台が無料公開され、大勢の人が高さ約30メートルからのパノラマを楽しみました。 村商工会の平良喜代子会長は「読谷の偉大な先人である泰期を見習い、その勇気を受け継いでいこうと考えて今回のまつりを企画しました。また、このまつりが読谷に元気を与え、産業の起爆剤になればと思っています。」と語りました。 祭り会場の残波岬一帯は同日に行われたハーリー大会と合わせて、終日大勢の人で賑わいました。
6月3日、渡具知公民館向かいのほ場で、第20回中部地区「土壌保全の日」に講話と緑肥用ヒマワリの種まきが行われました。 この「土壌保全の日」は、農業者に土壌流出の防止、流出による地力の低下、土壌保全の必要性について意識を高めてもらうため、毎年行われています。 講話で、農業研究センターの宮丸直子さんは「農業を行う上で土壌は不可欠。ひまわりによる緑肥は土壌保全だけでなく、景観の向上にも効果があります。」と、緑肥の有効性とその普及を呼びかけました。 そのあと、村内のいずみ保育園の園児たちがヒマワリの種を播きました。この日に植えられたヒマワリが満開の花を咲かせています。
7月15日の区長会において、行政区納税奨励金交付式が行われ、村税の納税状況について担当課から詳しい説明がなされました。 そして、納付状況が優秀であった波平、大木、比謝矼、長田区が表彰されました。大木区は8年連続、長田区は5年連続の表彰となりました。 この表彰は、村県民税・固定資産税・国民健康保険税の納付において区民が協力して納付率のアップに努めたとして贈られました。 安田慶造村長は、各行政区の協力に感謝を述べ、交付税が減少するなか、健全な行財政運営のためにも村税の徴収率をあげていくことが重要な課題であると、さらなる協力を求めました。
7月2日、第59回「社会を明るくする運動」の出発式が、役場ロビーで行われました。 この運動は、毎年7月を強調月間として、すべての国民が、犯罪や非行の防止と、罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪や非行のない明るい社会を築こうとする、全国的な運動です。 沖縄県実行委員会でも「防ごう犯罪と非行 助けよう立ち直り」を合い言葉に、地域住民に、犯罪や非行を防止するための環境作りに理解と参加を呼び掛けました。
国際性豊かでチャレンジ精神旺盛な生徒の育成を目的に、読谷村教育委員会では、村内両中学校から12名の生徒をアメリカのシアトルに派遣(7月22日~8月20日)しました。 ホームステイに参加する生徒たちは「ずっと海外に行きたくて英語を勉強してきた。アメリカでもっと英語が上手くなりたい。」「シアトルなのでイチローが見たい。」と期待に胸を膨らませました。
9月13日に残波岬で行われる「第3回トライアスロンカーニバルin沖縄読谷」の広報の一環として、7月14日、美ら島トライアスロンシリーズ大会事務局の千葉ちはる氏が村役場にて記者会見を行いました。 千葉氏は「読谷でのトライアスロンは小学生のみを対象とすることで、大人だけではなく家族連れが参加しやすい大会となっている。また、小学1~4年生まではスイムでビート板を使用でき、初心者でも気兼ねなく参加できる配慮をしている。こうしてトライアスロン人口を増やしていき、沖縄をトライアスロンアイランドとしていきたい。」と将来の展望を語りました。
7月6日(月)、「児童生徒の平和に関する図画・作文コンクール」の表彰式が、文化センター中ホールで開催されました。 このコンクールは多くの人々に「平和へのメッセージ」を発信することを目的に開催され、今年は図画・作文の部を併せ650点の応募がありました。図画の部では村長賞を受賞した本村美夏さんの「戦争の恐ろしさ」は、戦争のもたらす悲しみ、そして平和への願いが感じられる作品です。 作文の部では村長賞を受賞した屋宜奏さんの「命の尊さ」は、祖母から沖縄戦当時の恐ろしさや戦後の苦しい生活の様子を聞いたことで、戦争の悲惨さを学んだこと。そして、二度と戦争の悲劇を繰り返すことがないように、平和の大切さや、命の尊さを伝えていきたいとの思いが伝わる作品です。 表彰式で安田村長は「戦争体験者が高齢化し、歴史の事実が風化しつつあります。このコンクールを通じて多くの村民の方々が沖縄の過去について、平和について考えていただける機会になればと思います。」と述べました 入賞作品は7月7日(火)から7月17日(金)にかけて役場一階ロビーにて展示されました。 入賞者名簿※表のため原本参照。
今から六十三年前の四月一日、私達の住む読谷村渡具知の浜を中心にアメリカ軍は上陸しました。この時を機に緑が青々としげる美しい沖縄は、雨のように爆弾の降りそそぐ地上戦の場と化してしまったのです。 村内には、チビチリガマ、シムクガマという二つのガマがあります。この二つのガマでは、とても大きな違いがありました。それは、チビチリガマではガマに居た百四十人中八十三人が自決という形で命をたち、一方のシムクガマでは、ほとんど命をおとすことなく助かったのです。二つのガマでこんなにも差があることに、私はとても驚きました。 戦時中、人々は山原の山へ逃げたり、お墓の中へ隠れたりと大切な家族、自らの命を守る為にあちらこちらを命からがら逃げ回ったそうです。 私は、小学校六年生の時、平和劇をしました。それをみていた私のおばぁが涙ながらに、初めて戦争について口を開きました。 「さぁ、どんなだったかね。もう忘れたさ。」と口を閉ざしていた、あのおばぁが、「あんた達の劇見て、言わないといけないと思った。今はこんなに平和な世の中なのに、昔のあんな出来事は言えなかったさぁ。」そう言って、戦後六十数年、誰も聞いた事のない話を、おばぁは語り始めた。 ある日、教室の上を飛行機が旋回し、慌ててカーテンを閉め隠れた事。戦時中に崖の下をはいずり逃げまどった事。戦後、おばぁは生きる為、食べる為に混乱している中、家族を支え、学校へも行かず寝る間も惜しみ餅を作り、毎日十五キロ先の町まで売り歩いていました。周りを歩く人々は腹を空かせるあまり、着ている物を餅と交換する事もよくあった。着る物もなく、ふんどし一枚の男の人に 「今、着ているふんどしと、餅を交換して欲しい。」 と言われ、あまりにも哀れでふんどしをもらわずに餅をあげたそうです。おばぁは、「戦争がなければ学校に行って勉強できたのに。勉強したかった。」とよく言います。 今、世界では、おばぁの経験に似た同じような事が起こっていますが、けっしてそんな事があってはいけません。おばぁと同じく、命の尊さを願う戦争体験者であり、シムクガマやチビチリガマから生き残った人達は言います。 「戦争は、いきなり起こるのではない。小さな出来事の積み重ねなのだ。今はまた、危険な道を半分以上も進んだ気がする。若者よ、私達と同じ過ちをおかしたくなければ、自ら危険を取り除きなさい。」 日本には、憲法第九条があります。憲法第九条は、戦争をしない、軍隊をつくらない、武力を持たないというすばらしい憲法です。しかし、この憲法が出来てなお、沖縄の空は戦闘機が飛び交い、空砲が鳴り響いています。そんな小さな出来事が体験者の言うように、戦争へとつながっていくのです。 私達が出来る事。それは、戦争を二度と繰り返さないように、命の尊さを身をもって教えてくれた体験者の想いを伝えていくことではないでしょうか。