
本土の視察研修報告書(其の五)
本土の視察研修報告書(其の五) 代表者 池原 昌徳 労働市場が狭くなり就職難であった時代に、日本本土への集団就職の途が開かれたのは一九五七年であります。 中学校を卒業して直ちに実社会に送り出され、しかも親兄弟と離れて海外に就職させることは一沫の不安もあっただろうが、学校を通じ政府の斡旋によってのことだから大いに奨励して送り出したものである。 本村においても一九五七年から集団就職が始まり今年で五ヶ年目、総人員は別表のように七七名にのぼり約四○ヶ所の工場に分れて就職して居ります。 当初は集団就職に対する知識もなく、政府の不手際もあったようで今迄にいろいろな社会問題を惹起したことは新聞紙上で御承知の通りであります。従って集団就職に対する正しい知識を求め、激励をかねて訪問した各職場の状況を報告し、且つ感想を述べて御参考に供したいと存じます。 八汐計器製作所 東京都大田区馬込町 西三丁目六一番地 本社は従来員総数三七名にして小規模な工場で、当時沖縄出身者が十七名で昨年本村から儀間出身の新城清勝、宇座の金城吉和、波平の知花武夫と比嘉幸一の四名が働いています。この工場は写真機、ラジオソニー、テープレコーダーキャノン等の部分品を取付ける作業で朝の八時から午後五時までの八時間が普通の稼働時間で仕事は軽労働であります。給与のほうは日給制で一ヶ年の経験者が一ヶ月二十五日働いて約一万円、食費約三千円、手取額は六千円(一六、六七仙)程度になるようです。また近く退職金制度も実施するとのことでした。 本社は当時事業拡張のため増築計画を立て、これが完成すると一○○名の従業員が入るので、沖縄の青少年を多数入社させてくれとの依頼を受けました。尚社長の仲本潤英氏は沖縄出身者であるため沖縄人に対しては、一人前の技術者を養成したいと親身の指導に当って居ります。 射手矢紡織株式会社 大阪市泉佐野市上之郷一七三○番地 本社は従業員総数二○○名にして中沖縄出身者が二〇名で昨年本村から波平出身の当山タケ、上地幸子、津波ハツ子が入社し、その後当山タケさんの呼寄せで弟の当山栄幸君と妹のヒロ子さんを受け入れて計五名働いています。 この工場は、純綿やビニロン等の織物業で稼働時間は一日交替で、午前番は午前四時~午後二時まで、午後番は午後二時~午前十二時まで正味九時間働いており、休日は二週間に一回しかないので稼働時間が長いと思いました。 給与のほうは初任給で二五○円から始まり半ヶ年位で三○○円程度ですが、仕事が馴れると請負制にするので月給一万二千円(三三弗三三仙)程度、食費其の他で三千円差引かれ手取額は九千円(二五弗)程度になるようです。 工場の近くに泉佐野の街があるので娯楽施設は恵まれているが、休日が少ないので映画等なかなか見られないとのことでした。 日本製麻株式会社 富山工場 富山県栃波市太郎丸三五○番地 本工場は従業員総数一、一○○名で中沖縄出身者が一一○余名、本村出身者は一昨年に楚辺出身者の比嘉ユリ子、続いて昨年同じく楚辺の松田ミサ子が入社しております。ここは麻袋をつくる工場でありますが、稼働時間は一日二交替制で午前番と午後番に分れ一日八時間働き週一回休みがあります。 給与については日給制であるが基本給と加給があり、それに皆勤手当月五○○円年二回の定昇給があるので二ヶ年勤続者になると手取額八千円(二二弗二三仙)程度支給したいとのことでありました。工場は規模が大きいので寄宿舎や食堂、講堂等の設備もあり、従業員が多いので時々リクレーション等も催され、波栃市には映画館はあるが、門衛がきびしく夜間外出は規制されているので映画はなかなか見られないようでした。 尚富山県は裏日本で日本海に面した非常に寒いところであり、地理的に或は気候的な条件から不利の点が多いと思いました。 その他の京都の「大和紙工場」、大阪の「木村食品工業」、岡山の島屋被服株式 ※表「読谷村から送出した集団就職者調」原本参照