1980年3月15日発行 / 広報よみたん / 10頁
演題 あしあと 城間みゆき(上地30-3番地)
第27回全国高等学校定時通信制生活体験発表大会(沖縄県代表)
演題 あしあと 城間みゆき(上地30-3番地)
第27回全国高等学校定時通信制生活体験発表大会(沖縄県代表)
先に東京都で開かれた「第27回全国高等学校定時通信制生活体験発表大会」において、県代表として出場した城間みゆきさん(読高定四年生)は『足跡』との演題で堂々発表、みごと労働省婦人少年局長賞に輝いた。みゆきさんの演題は過去四ケ年における生活体験の中から、にじみでる青春のいでたちを鋭くとらえ、発表すべてに感動を呼ぶもの。ことに伝統工芸・読谷山花織との出合い、そしてこよなく伝統工芸を愛し、郷土の伝統工芸を守り育てようとする清楚な少女の姿で綴られている。昨今の青少年群像をとりまく状況は何かと復雑化しているが、みゆきさんは読谷山花織を通して生活の充実感を膚で感じ、くいのない青春を送っている素敵なお嬢さんだ。尚、みゆきさんは上地区々長の城間正一さんの五女で、今春読谷高校を卒業された。以下、みゆきさんの生活体験発表を紹介します。
私が定時制の門をくぐってから、三年半という月日が流れました。卒業まであと半年を残すのみとなり、これまでの学園生活で、何を学び、何が自分にプラスになりえたであろうかと、考える今日この頃です。
中学の時、美容師を夢見、専門学校へ行くといった私に「学歴主義の社会ゆえ、高校ぐらい行ってなければ後悔する時がくるぞ」。という両親の強い勧めもあって、私は昼は専門学校、夜は定時制高校に進むことを決意したのでした。かつて、私の父は脊髄脳炎という悪性の病のため、長い病院生活をよぎなくされたのです。十五歳を頭に六人の娘をかかえた両親に、経済的なゆとりなどあるはずもなくせっかく高校へ合格した姉も、進学を断念せざるをえなかったのです。学びたくとも働きにでなければならなかった姉の気持を考えると、どこにもぶつけることのできない強い怒りをおぼえたものでした。そんな苦い想い出のある両親にとって、経済のゆるす限りせめて私達には、学問を続けさせたかったのでしょう。しかし、こんなみたされた環境の中でも、私は自分の意志さえつらぬくことができず、何度が挫折し、その度に学校をやめてしまおうかと思ったものでした。でもそのつど、私をささえていたものは何だったのでしょうか。今思えば、それは中学の時の担任の先生に対するあの反発だけだったような気がします。「定時制に進学する」そう決めて進学相談に出かけていった姉に対し、先生は「問題傾向があり、しまりのない生活をしているあなたの妹に、定時制の四年間は続くはずがない」と、いう口ぶりだったそうです。それを聞かされた時は、さすがに自分の情けなさに涙をのんだものでした。そして、それと同時に私は、姉や家族に「例えいかなる困難があろうとも四年間の高校生活を必ずやり抜いて見せます」。と約束したものです。こうして、私の高校生活は初まりました。しかし、太陽がのぼり、朝がくることを素直に新鮮に感じられたのは、入学当時のほんのつかの間で、いつしか又中学の時のような無気力の生活がくり返されていたのです。何をしていいのか、何をすべきなのか、わからないそんな日々の中で忘れもしません。あれは、二年生に進級したばかりの事でした。私はある一通の役場からの公文を目にしました。それは、国から伝統工芸の指定を受けている読谷山花織講習生募集の依頼通知であり、これが私と機との出会いの一歩になったのです。読谷山花織とは、十五世紀の初め頃読谷村長浜に伝わったものです。五〇〇年の歴史を持ち、南方方面の色彩と、幾何学的な模様で知られ、織物としての価値も高く、現在沖縄県無形文化財に指定されているものです。私はその機に夢中になりました。でもそれは、私が考えていたほどなまやさしいものではなかったのです。染色に使用する木の根っこを山に取りに行き、それを、おので切り砕き火で熱し、それに糸を入れては出し、入れては出し、何度も、何度も同じことをくり返えし、こうした苦心の中から美しくもあざやかな糸が生まれるのでした。模様とりから染まで、手を使い足を使って織り上げるのです。あの一本一本の細い糸が、やがては模様となり、柄になり一つの織物になるのでした。織り上げた時のあの喜びの気持は機に向い、機にさわったことのない人には到底わかってもらえないことでしょう。ある時、展示会まに合わせの作品の追いこみ中、学校のテストとかち合った事がありました。徹夜で勉強しさらに、朝早くから機に向い必死でやったけれど、気持だけが先ばしり、睡眠不足と疲労で風邪をひいてしまったのです。機の音は、頭の中をガンガンとひびかせ、咳はひどくほんとにもういやだと思いました。しかし、友や先生のはげましで何んとか織り上ることができたのです。こうして織り上げた作品が、読谷山花織独特のミンサー帯でした。これは、私の生涯の中で一番の宝物になることでしょう。そして花織と学業を両立させることが、いかにたいへんで、いかに努力を要するか、又一生懸命にうち込める物があるという事がどんなに素晴しい事であるかということにも気がついたのでした。やがて講習会も終り終了証書を手にした時の私の心は、大きな役割を果たし終えたという安心感と、私にもできたんだという喜びでいっぱいでした。これが私の本当の意味での定時制高校生活のスタートと言えましょう。当初の美容師になるという方向とはだいぶ変わりましたが、私は決して後悔してません。何度かころびながらも定時制でなければ知ることのできなかった喜びや、つらさを自分のはだで感じることができたからです。
さて、私の住んでいる読谷村は、沖縄本島中部に位置し広大なる土地と人口二万六千人で全国でも三番目に大きい村といわれ、現在、歴史の批判に耐え得る文化村づくりを目ざしています。その中で、読谷山花織は着実にその成長を続けてきました。このすばらしい文化遺産を受けついだ私達の今後の課題は、まず、植物による自然染料をいかに確保するか又、十九世紀の幾何学模様を現代にどうマッチさせるか、さらには精神的な鍛錬も強く要求されるのです。なぜなら心の徴妙な変化までも布に表われてしまうからです。この読谷山花織が、ささやかながらも、人々の生活のうるおいとなるような作品を、私は今後も織り続けたいと思います。
私の歩いてきたこの道に、私達の歩いてきたこの足跡に、又誰が同じ足跡を残してくれるでしょうか。
私も間もなくこの定時制を巣立っていきますが、この四年間の体験がこれからの人生の大きな支えとなることでしょう。定時制に学び、そして花織技術を習得したことに誇りをもち、社会の中に大きくはばたき、力強く生きていこうと思います。
※写真は原本参照