第32回「婦人の主張中央大会」山内はるみさんラジオ沖縄社長賞に輝く 人として輝いて
第三十二回「婦人の主張中央大会」 山内はるみさん ラジオ沖縄社長賞に輝く 沖縄県婦人連合会(赤嶺千壽会長)は九月二十日に、新報ホールに県内六地区の代表十二人がそれぞれ地域社会の問題や女性が直面している身近な問題への解決の努力等を発表しました。 その中で中頭代表となった長浜出身の山内はつみさんがラジオ沖縄社長賞に輝きました。 人として輝いて 山内はるみ 皆さん、『五体不満足』はもうお読みになりましたか。私は、作者の乙武洋匡さんに深く感動すると同時に、乙武さんのお母さまのものすごさに圧倒されました。 彼女は、乙武さんと初対面の時、手もない、足もない我が子を見て「かわいい」と言ったのです。私ならどうでしたでしょう。 乙武さんのお母さまには、心に壁を持たない「心のバリアフリー」のできた偉大な方だったのです。 私の身近にも偉大な女性は、たくさんいます。同じ婦人会のYさんは、経済的事情で進学を断念しなければなりませんでした。しかし、Yさんは、多くの兄弟、ご自身の子供たちを立派に独立させた後、「次は私の番だ。」と泊通信高校を卒業し、英会話を習い、婦人会活動、地域活動へと楽しく充実した日々を過ごしておられます。五十歳目前にしてのスタートでした。 大先輩には、先頃、県内四人目の人間国宝の認定を受けられた読谷山花織の与那嶺貞先生がおられます。先生は、その受賞コメントで、「これまでの苦労を支えてきたものは、新しい仕事に挑む冒険心、研究心、やる気と負けん気の強さだった。」と話しておられます。与那嶺貞先生は、私たち読谷村民、いえ私たち女性の誇りです。 お二方共、学習する事の大切さ、何事にも挑むチャレンジ精神、そして年齢に関係なく自分のできる事から始めるやる気を教えて下さった偉大な先輩方です。 私は、来る高齢化社会と介護保険導入のニーズに応える人材となるため、介護支援専門員の資格取得に向け、勉強を始めたばかりでした。ところが、忘れもしません、去年の三月二十六日、読谷村役場で技術吏員として元気に働いていた夫が、脳動脈出血で入院することになったのです。あまりの突然の出来事で、私自身頭がボーとしていました。おりしも三月、村立診療所で、薬局勤務に携わっていました私は、新年度を前に途中退職を余儀なくされたのです。ある日突然職場を去らななければならないショックは、何にも例えようのない無念さが残りました。それでも夫の命にはかえられません。私は、夫をみる覚悟を決めたのです。 その日を境に、生活は一変。私は、夫の付き添いでほとんど病院生活。子供達は実家へ、帰宅は夜遅く、二重三重の生活が一年間続きました。幸い夫は、大手術のもと一命をとりとめましたが、軽い後遺症が残りました。 リハビリ生活の始まりです。階段の上り下り、自転車のペダルこぎ、床の上に貼られた白線の上を真っ直ぐに歩く、バランスをとる、というようなことがうまくできません。 夫は、リハビリをいやがりました。軽い半身マヒに加え、十時間にも及ぶ全身麻酔での大手術でしたので、体力、筋力とも随分おち「できなくてあたりまえだ。」と思いました。でも、ここでストップしてしまいますと、不幸中の幸いにして無事とりとめた命です。何とか頑張ってもらおうと色々工夫しました。 階段の上り下りは、リハビリ室の模擬階段ではなく、院内の実際の階段を一階から屋上まで、腕を組み、世間話しをしながら、まるで昔の恋人同士にもどった気分で、ゆっくりゆっくりと上りました。自転車のペダルこぎも、「おまえやってみぃー」と言いますので、夫が五十回やると、私が百回、二百回とこぎますと負けじとまた、夫もこぎ始めるのです。バランスの訓練でも、私が五分、十分とバランスをとっておりますと間がもたなくなった夫は、バツの悪そうな顔をして自分も手を挙げ、バランスをとり始めるのです。 この様にいやがる気持ちを無理強いをするのではなく、必然的にやるよう、しむけていったのです。 夜遅く、実家から子供たちを迎え家路につく車の中で、その日一日の様子を子供たちに話しますと、次の面会の時、日頃頑張っている父親の姿が、話題にのぼります。大人も誉められれば嬉しく、子供たちの声援が、夫の励みになっていたようです。 年齢が若かったこともあり、リハビリの甲斐あって、今では、身体的後遺症は、ほとんどなく、元気に回復しつつあります。 現在、リハビリのため職場の皆様のご理解のもと午前中だけ職場に出させてもらっております。 とかく暗くなりがちな闘病生活や、きついリハビリも、笑いながらできたのは、「五体不満足」から得た「心のバリアフリー」のおかげだと思います。そして、あせらず、イライラせずやってこれたのは、しっかりとした目標と信条、寝息をたてている夫のベットの脇で、好きな読書に没頭する事で、ストレスを発散させ、今なお現役で頑張っている大先輩方の立派なお手本のおかげだと思います。 今年の四月、私は、区民の皆様のご理解により、公民館で働くようになりました。 介護支援専門員という私の目標は、夫を社会復帰させた後になりますが、婦人会活動を通して、色々な方々と出合い、世間を知り、人生を学び、先輩たちとの語らいの中で、生活の知恵、子育ての大切さ、母として、妻として、人としての在り方を学び、地域の皆さんの励ましで、力が湧き、まずは真似の一歩から、次ぎに自分のできる事を見つけていきたいと思っています。 女性が変われば、男性が変わり、社会が変わる。母親が変われば、子供たちが変わるを道案内に、尊敬される人となれる様、いつまでもやる気、チャレンジ精神、向学心を失わず、心と社会のバリアフリーめざして歩んでいきたいと思っています。「人として輝き生きるために」