シリーズ 読谷の文化財 №1 座喜味城跡
シリーズ 読谷の文化財 №1 座喜味城跡 郷土の民具紹介コーナーの終了にともない今月号より「郷土の文化財」をシリーズいたします。 本村には20の貝塚群をはじめ、有形、無形の文化財が数多くあります。このシリーズによって、村民が文化財に対する関心をより深められ祖先が築きあげてきた偉業を享受し、これを永代に伝え保護活用し、文化創造へ寄与していただければ幸いです。シリーズを始めるにあたって、まずNo.1は座喜味城跡から紹介いたします。 座喜味城跡は、読谷村の中央に位置する座喜味城原の丘陵にある。座喜味城が築城された十五世紀初期(一四二〇年頃)の沖縄は三山対立時代に終止符が打たれ、尚巴志による統一国家が出来上がる時代であった。山田城主であった護佐丸は尚巴志の北山討伐に加わり、北山攻略後は北からの脅威がなくなったので、長浜の良港と農作物の生産性の高い地の利を得た座喜味へ城を移した。石は山田城をとりこわして人夫が手渡しで運んだといわれ、それでも不足をきたし、遠く大島、喜界島、与論島からも石とともに人夫も強制徴収し働かせたという伝説もある。座喜味城跡は琉球石灰岩の切り石積みである。城門は二つの拱石(アーチ石)で組立てられ、楔石の型式が用いられ沖縄における石造拱門の最初と推定されている。城壁の石積みは、布積み型式から「あいかた積」に移行する過度期的な積み方である。 座喜味城を根拠地とした護佐丸は、眼下の長浜港を利用して南蛮貿易を盛んにした。"南の島踊り"の民俗芸能や"読谷山花織"の手法は、この時代に伝えられたといわれている。城壁に登ると北は、伊平屋、伊是名島、本部半島一帯、南は慶良間諸島、那覇方面まで一望できる絶景の地である。 座喜味城跡は昭和四七年五月十五日に国の史跡に指定され、翌年の昭和四八年より十年計画で城跡の環境整備事業が国や県の補助を得て開始され、現在発掘遺構調査や城壁修復工事が行なわれている。 ※写真「修復が進んでいる座喜味城跡(国指定史跡)」は原本参照