読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1959年1月発行 読谷村だより / 2頁

操業三年目曙光を見いだした糖業七〇パーセントは特一等

操業三年目 曙光を見いだした糖業 七〇パーセントは特一等
組合長 神谷乗敏

 沖縄に「さとうきび」が伝来したのは今から五八五年前察度王の時代であります。
 儀間親方真常は「さとうきび」があるにかかわらず製糖法を知らないことを残念に思い、一六二三年に家臣を中国に遣わして、製糖法を修得せしめ、これを琉球にひろめたのが糖業のはじまりといわれています。
 昨年の十一月二十二日、二十三日の二日間に亘り、糖業創始三三五年、儀間真常生誕四百年の記念行事が華やかに行われ、特に顕彰碑を樹立してその偉業を永遠に伝え、全住民が感恩報謝の気持ちをささげて不滅の偉功を纉仰されたのであります。
 それ以来「さとうきび」も製糖法も改良に次ぐ改良が加えられ砂糖の生産高も増加し、沖縄の換金作物の王座に君臨するようになりました。「さとうきび」は世の中が進歩するに伴って、だんだん改良され、殊に近年は次々と優良品種ができて収量も増加し発展していますが、一九二四年(三十五年前)に台湾から現在も栽培されているPOJ二七二五号が導入されるまでは読谷山種という在来種が全琉球に広く栽培されていたことは村民皆さんがよく御承知のことであります。
 この読谷山種はその名のしめすように、進取の気象に富み、研究心が旺盛なわれわれの祖先によって産み出されたものであり、読谷山種は約三○○年の長い間琉球の糖業史上で一番長く栽培された品種であったのであります。琉球経済のささえ棒として読谷山種の果たした役割は実に大きいものであります。
 吾が村においても糖業の復興を産業振興の基本としてたゆまざる努力をつづけ、ようやく製糖をする量にまで達しましたので、一昨年期から工場を建て製糖を開始したものの、工場施設の不備や数回にわたって襲った台風等にわざわいして、三期共予期に反し村民各位の御期待に添えなかった事は誠に残念に思って居ます。やっとこ三年目、今期から曙光をみい出した製糖工場、苦難の二ヵ年を静かに反省しながら祖先の遺徳をしのび謙恭の念をいだくものであります。
 今期は村当局の物心両面から積極的な御援助と御指導をうけ改善を加え且つ天の恵も与えられましたので十二月六日試運転を行う事が出来ました。成績については歩留も良好で品質も上々の方であります。天地の諸々の神の恵は私の上に、いな読谷村蔗作農家の上にたれ給うた感がして喜びに堪えません。今後も先輩の方々の御指導を充分体得し、理事十二名も一つ心にとけあって邁進し組合員各位の御期待に添いたい所存であり、益々御協力を賜り組合本来の目的を達成させていただければ不肖の幸この上ないと存じます。終りに今期の現在までの製糖成績を発表させていただきます。

製糖成績(一九五九年一.一三)
等位 挺数    構成比
特等 158     70%
一等 1,149   70%
二等 474     25%
三等 6        5%
計   1,789   100%

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