読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

広報データベース 戦後読谷村の歴史に触れる広報誌データベース

沖縄戦終結後、各地収容所から読谷村民が郷里に戻ることができたのは1946年11月になってからでした。村土全体が米軍基地化したためです。一連の戦災により村土は、甚大な被害を受けましたが、村民は一丸となって復興に取り組んできました。
そして帰村から10年となる1956年7月、「読谷村便り」として読谷村の広報誌がスタートします。以降広報誌は、村の様々な情報や出来事を村民にお知らせする役割を担ってきました。それらは同時に読谷村の歩みを記す記録となっています。これまでの読谷村の「歴史」を広報誌から紐解いていくツールとして是非とも本サイトをご活用ください。

広報をのぞいてみよう

新春を迎えて 読谷村長山内徳信

新春を迎えて    読谷村長 山 内 徳 信 村民の皆様!  あけましておめでとうございます。謹んで新春のご挨拶を申し上げます。  村民の皆様方には新たな気持で新年を迎えられたことと思います。  一九八七年(昭和六十二年)の年頭に当り、村民各位のご多幸と今後益々のご活躍、ご発展を心からお祈り申し上げます。  さて、元旦の朝はご来光を拝むために、人それぞれ由緒ある所に行くのですが、私は何度か残波岬の嚴頭に立ったことがあります。東の空に現われるまばゆいばかりの太陽、伊江島、慶良間列島を眼下にひらけゆく東シナ海、北部の山並み、この大自然の中に立つ時、不思議と次からつぎへと夢が浮び希望がわいてくるのであります。  荒波を乗り越えて走る沖の船の如く、今年も頑張らなければ、と自分自身に誓うのであります。  光陰矢の如し、歳月人待たず、と言われるように、誠に年月の経つのは早いものであります。それだけに一年一年を大事に、有意義に過さねばと思うのであります。  正月元旦は一年の節目であり、一年間の動きをかえりみて、それを土台に新年に向けて進むことが大切であります。その意味で昨年は村づくりが更に大きく前進した年でありました。  そこで村内のいくつかの動きをみてみますと、▼懸案であった読谷飛行場内への国体会場の建設をはじめ、▼読谷飛行場転用基本計画策定への方向づけ、▼二十一世紀を拓くシンポジウム開催(人と海と太陽!ニライの海に新しい明日を求めて)、▼新しい理念に立つ二大リゾート開発の方向づけ、▼盛り上る第十二回読谷まつり開催、▼第二回残波まつり開催、▼残波大獅子の誕生、▼残波大獅子太鼓の活躍、▼波平花織工房の建設、▼大湾児童公園の建設、▼第六回アンデパンダン展の開催、▼第五回動く美術館の開催、▼北海道池田町との児童交流事業、その他これらの諸事業を進めるには、それこそ大勢の村民の村を愛する気持と、住みよいふるさとをつくろうという誠意と情熱、理解と協力によって初めて進め得るものであり衷心より敬意を表するものであります。  更に、昨年は選挙に明け選挙に暮れた一年でありました。村民各位にはその都度大変なご協力ご支援を賜り誠にありがたく心から感謝を申し上げる次第であります。  選挙は表面的には「人を選ぶ」行為であります。ところが選挙運動という一連の社会的、政治的動きは正に村づくり運動であり、夢と希望に満ちた大きな祭は、住民参加の民主政治の原点であります。  読谷村はこれからも自治の精神に基づいて、住み良い村づくり、誇れる村づくりを目指して、村民みんなで知恵を出し力を合わせて邁進しようではありませんか。 読谷村民の皆様!  読谷まつりに結集された燃え上る村民の情熱と実践力、その心意気で海邦国体を成功させましょう。  敗戦の混乱の中から日本の平和国家建設の為に始められた国民体育大会の全国一巡最後の国体が、今年の沖縄(海邦)国体であります。読谷村は少年(高校生)男子のソフトボール会場となります。  私達は、胸躍るスポーツの祭典であり、平和の祭典(平和と言うには問題が多すぎるのだが)として位置づけしたいのであります。  この世紀の祭典を、選手等の受け入れから大会にかけて、各字、各団体、すなわち村民すべての方々のご協力の下に、村民総ぐるみの国体として成功させたいと思いますので、村民各位のご協力、ご支援をよろしくお願い申し上げます。  最後に、一九八七年「卯年」の新春にあたり世界に平和が、読谷村民の上に幸せがおとずれますよう祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。

一般会計予算について

 乎成11年度の予算編成にあたり、国及び県の厳しい財政状況を踏まえ、健全な財政運営を基本として、予算編成の作業を進めて参りました。重点施策としての、読谷飛行場転用事業の推進、軍用地跡利用、保険・医療・福祉の連携推進、教育環境の整備、生活環境の整備、農村基盤の整 備事業等を推進することで予算編成をして参りました。  予算総額は、92億8,869万2千円となり、対前年度7.5%の減。歳入における自主財源の構成比率は、自主財源が33.6%、依存財源が66.4%となっております。 「平成11年度 一般会計予算 歳入・歳出」※表のため原本参照。

郷土の民具ヒラナービ

 鉉のついた多目的な鍋であることから、読谷村内でもその用途や形状から、いろいろな呼び方がなされている。現在、資料館に25点収蔵されているが、ヒラナービの名称で採集されたものが九点ヤチナービ七点、チリローシー四点サンジュダーチ四点、チルナービ一点となっている。ヒラナービの語意は、平たい鍋の意味で、実際これらの鍋は深さ10センチメートル、直径32センチメートルのひらたい浅い鍋である。  ヤチナービは焼鍋の義でおかずやてんぷら等を揚げるのに用いられていることから来た名称である。  チルナービはチル(鉉)が取付けてあることから来ている。サンジュダチーは3升炊きの意味で、前述のものよりは一段と大型化し芋や肉類を煮込むのに用いている。  チリローシーについては不明・材質は戦前のは鉄製で、戦後はジュラルミン製である。鉱は針金や鉄板を細長く切ったのを使用している。口がついているのもこの鍋の特徴である。蓋は芽製のカマンタと称されるもの(サンジュダチー用)や、仮製の蓋が利用されている。現在でも、これらの鍋は村内のかなりの農家で愛用されている。 ※写真は原本参照

【見出し】最終区で劇的なドラマ 第八回’94沖縄マスターズ残波岬駅伝大会

 長寿県・沖縄にふさわしい大会として、中高齢者の健康増進と陸上競技の普及を図ることを目的に開催される"生涯スポーツの祭典"「第八回・'94沖縄マスターズ残波岬駅伝大会」(沖縄マスターズ陸上競技連盟、読谷村主催)が四月十七日に開かれ、県内各地内から今年は三十三チーム二百七十八人が出場し、日頃鍛えた健脚を競った。  「ドラマが走る・感動が躍る」をキャッチフレーズに展開される残波岬マスターズ駅伝は、市郡対抗で覇を競う「マスターズの部」に十四チーム、ジョギング愛好者などが楽しみながら走る「ランナーズの部」(第六回大会から新設)に十九チーム、三十代から七十代の選手がエントリーした。  コースは残波岬公園内に設定された一周三キロの周回コースでマスターズの部が九区間42キロ、ランナーズの部が八区間39キロ。  いこいの広場前の村道を発着点に競技は、午前十時の時報(安田慶造助役の号砲)とともにランナーが一斉にスタート。選手は、それぞれの区間で激しいデッドヒートを展開しつつ、マスターズの部では一区で中頭(本村の饒平名俊江さん)がトップで通過、三区で二位に後退したものの、各選手がよく健闘して八区までトップの快走を見せたが最終区の九区で逆転を許し、惜しくも二位。浦添が昨年に続き二度目の栄冠に輝いた。  また、ランナーズの部でも浦添のピンキリランナーズが初優勝を飾り、両部門で浦添勢が一位を占めた。  閉会式では成績発表に続き表彰式が行なわれ、一位から三位までのチームがそれぞれに表彰を受けた。 ※写真 ※表(総合記録)

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