読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

広報データベース 戦後読谷村の歴史に触れる広報誌データベース

沖縄戦終結後、各地収容所から読谷村民が郷里に戻ることができたのは1946年11月になってからでした。村土全体が米軍基地化したためです。一連の戦災により村土は、甚大な被害を受けましたが、村民は一丸となって復興に取り組んできました。
そして帰村から10年となる1956年7月、「読谷村便り」として読谷村の広報誌がスタートします。以降広報誌は、村の様々な情報や出来事を村民にお知らせする役割を担ってきました。それらは同時に読谷村の歩みを記す記録となっています。これまでの読谷村の「歴史」を広報誌から紐解いていくツールとして是非とも本サイトをご活用ください。

広報をのぞいてみよう

北海道「蝦夷太鼓」と交流 読谷村身体障害者協会創立四十周年記念

北海道「蝦夷太鼓」と交流 読谷村身体障害者協会創立四十周年記念  我々、読身協のメンバー二九人は、一年間旅行費用を積み立てて、去る七月五日から八日までの三泊四日の日程で「蝦夷太鼓」のメンバーとの三年前の読谷での交流会以来、北海道での再会のため、真夏の沖縄を出発しました。  障害者が旅行に出かけることは不便がともなうもので、主に機能訓練をしている者と視覚障害者とが車いすと介助者をたよりに慣れない飛行機を乗り継ぎ、肌寒い釧路空港に到着しました。  さっそく、釧路市の「交流プラザさいわい」いう施設で歓迎を受け、お互いの再会を喜び和気あいあいとした雰囲気の中、迫力のある太鼓の演奏を披露してもらいました。  読谷での太鼓の演奏旅行を思い出すと「竜宮城」に行って来たかのような心もちになり、以来沖縄病に取り憑かれたことや手みやげのサターアンダーギーを懐かしがったり、泡盛や釧路の地酒を酌み交わしたりでさらに友情を深めました。最後に双方で太鼓を叩き合い再会を期して、二時間余の交流会を閉じました。  二日目、阿寒湖の遊覧船に揺られながらマリモ伝説を聞き、神秘的な霧の摩周湖で湖の精と一緒に湖底に沈んでしまいたいようなそんな幻想的な気分になり、後ろ髪を引かれる思いを乗せてバスが行くと、硫黄の臭さにふと我に返る。着いたここは伝説的で神秘的な湖とは対照的な活火山の硫黄山でした。泡沫(うたかた)の夢と消え去る、摩周湖。  観光地はほとんどが国立公園で、開発が規制されているからなのか、遊歩道等が一般の観光地のようには整備がされてないか、整備はされているものの貧弱で車いすの利用や視覚障害者には散策するのが困難でしたが、トイレは障害者も利用できるように整備されていました。  三日目、残雪に蝦夷シカのたわむれる知床の峠にてバスを降り立てば、間近に国後島を見ることができました。歯舞・色丹・択捉の四島よ早く祖国に返れ、手を伸ばし、返せと叫ぶ北の島「知床旅情」を車内で聴きながら網走温泉へと向かいました。  最終日は、旧網走刑務所である日本で唯一の監獄博物館の見学に行きました。施設内は広く歩道も整備されていて車いすでの移動や視覚障害者の歩行も比較的たやすく、ただ難を言えば施設自体が山の斜面のような所で坂道の上り下りには介助者にはすまないような気がしました。施設の案内を受け、独房跡に入りおどける参加者もいましたが、囚人たちの過酷な労役や待遇を聞くと複雑な心境になり考えさせられてしまいました。罪人の、ざんげの跡か網走にとの思いを胸に、女満別空港から北海道を後にしました。  今回の我々障害者による旅行は、今流行りのバリヤフリーを体験する機会でもありました。  各空港での車いすでの別階への昇降はエレベーターのみに頼らざるを得ないところですが、車いす一台に介助者一名がエレベーターに入るのが限度であり、飛行機へも他の利用者より優先的に搭乗させてもらえるのですが、時間がかかりどこの空港でも離陸の時間が遅れていましました。このままでは他の利用者に障害者が一緒だと飛行機の発着が遅れるといった新たな差別的な考え方が出て来ないかと懸念されました。  ホテルや旅館においてもスロープの幅が狭く、階段から車いすが転げ落ちはしないかとハラハラしながらのチェックインでした。  このように障害者の視点に立ったバリヤフリーではなく、法令の基準をクリヤーするためのバリヤフリーでしかないと感じさせられた旅行でもありましたが、我々障害者が「もっと人にやさしいバリヤフリーを」と声を大にしなければならないと思いました。  今は障害のない人でも高齢者になると車いすの世話になったり、あるいは誰でも障害者になる可能性があるのですから。 文、社会福祉協議会事務局       知花 光治

読谷中学校総合学習で村長講話に耳を傾ける

読谷中学校総合学習で村長講話に耳を傾ける  読谷中学校の総合的な学習の時間として、七月十日に読谷村文化センター鳳ホールで全校生徒を対象に「読谷村の未来像」と題して村長講話がありました。  安田村長は、読谷村の概況と戦後の歴史を一通り説明した後、読谷村が輩出した比嘉秀平、屋良朝苗両主席の事、更に人間国宝の金城次郎さんや與那嶺貞さんというすばらしい先輩がいることを紹介しました。  その後、村長自信の生い立ちから助役時代そして村長になるまでを詳しく話しました。  また、沖縄県民は自己卑下した時代もあったが、別の地域にない郷土芸能等の文化を誇りにすることや先輩方がスポーツの分野でも全国大会で活躍していること、全国的に誇れるヤチムンや読谷山花織を紹介しました。  また、基地を返還させてできたヤチムンの里、リゾート地区や農業用地や、役場・文化センターそして大きな課題がこれから返還される読谷飛行場で、道路網が整備されすばらしい読谷村に発展することを述べました。  また、沖縄サミットでのEU関係者の歓迎の模様を謝名亭での琉球料理の夕食会の事を例にして、沖縄の文化を誇りにし自らの文化を知らしめることが最大のもてなしになること等を述べました。  最後に、最終的には自分の力で生きていかなければならないので今頑張ってどこでも通用する人間に育ってくださいと結びました。  講話を終えて、質問タイムでは、「村長にはどうしたらなれますか?」「村長の給料はいくらですか?」「村長やってどんなことがよかったですか?」との質問がありました。講話を終えた村長にあらためて大きな拍手があり、生徒代表から花束を受け、終始和気あいあいの中総合学習会

サークル紹介 歌の好きな仲間たちと混成合唱団““せせらぎ””

サークル紹介 歌の好きな仲間たちと混声合唱団"せせらぎ"  今年、結成七年目をむかえる混声合唱団"せせらぎ"(団長西平朝吉)、現在二〇名の団員が週一回(水曜日午後八時~十時)の活動を続けています。歌の好きな仲間の集まりとあって楽しく歌って心を豊かにすることが活動の大きな目的、クラシックからポピュラー、歌謡曲と幅広いレパートリーを持ち最近は白いパラソル(松田聖子)や送る言葉(武田鉄矢)も練習する他組曲に挑戦する意欲も旺盛です。  これまで、読谷まつりや公民館のつどい、成人式などにも数回出演し、そのレベルの高さも定評さわやかな歌声と高い音楽性は聞いた人の心をとらえて離さないものがあります。  結成から七年を振り返り西平団長は-最初十名程で発足させたが団員の確保が一番の悩みだった。最盛期には三六名の団員がいたが一年もまたずやめていったりなかなか継続していく者が少ない。毎年行なう予定だった発表会も今まで二回しかできなかった。  うれしかった事は、一回目のコンサートを行なった時の高校生が音楽を専門に学んできて団に復帰してリーダー的に活動していることです。今年、三回目の発表会を十一月頃予定しているので団員を募集しています。 歌の好きな方ならどなたでも歓迎します、一緒に歌ってみませんか。(中卒以上)と語っていました。  あまり専門的にならないよう身近なサークル活動をしたいという西平団長、ハイキング、スポーツ大会、忘年会などの行事も予定、そして活動の節目として年一回の発表会を続けていきたいということです。 連絡先→六-四〇一一(西平) 練習→村中央公民館 ※写真は原本参照

リフト付き車両「はいさい号」をお披露目

リフト付き車両「はいさい号」をお披露目  障害のある人も家庭や地域で通常の生活ができるようにする社会づくりの実現に向け、寝台、または車イス二台が収容できるリフト付き車両「はいさい号」が福祉センターに届き、その贈呈式が七月二十三日に福祉センター中庭で行われました。  安田村長は「障害者や要介護の高齢者の移動等で負担の軽減につながるよう役立ててもらいたい。」と述べました。池原憲永社協副会長は「事業趣旨にそって十二分に役立てていきます。」と感謝を述べました。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。