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1959年2月発行 読谷村だより / 2頁

祝 生亥年 賑わうた合同生年祝

祝 生亥年 賑わうた合同生年祝 
“ことし亥年の 生れ年お祝 心からしがた わかくなゆさ”

 新生活運動の提唱が功を奏して、部落での合同生年祝を行うところが次第に多くなった。今年も二月十日(旧一月三日)には喜名、座喜味、波平、宇座、長浜の五ヵ字で二月十四日(旧一月七日)には楚辺で二月十五日(旧一月八日)には高志保、大木でそれぞれ合同祝が催され、区民全体で青年会や婦人会員の演劇を鑑賞しながら意義ある楽しいトシビーお祝が出来たと関係者を喜ばしていた。各字のトシビーお祝の風景をひろってみよう。

☆波平は今年で第六回目の合同祝

 今年で八十五才の長寿のお祝をむかえる方は三名、七十三才の古稀のお祝が十名六十一才の還暦のお祝が十四名、それに十三才のお祝をむかえた御子さん達四十六名で合計七十四名の大合同生年祝が公民館で賑やかに行われた。
 記念撮影や記念品贈呈、生年者代表の挨拶、区長や来賓の御祝のことばなどがあり青年会や婦人会委員の舞踊で字民全体が楽しく一日をすごした。会費は二五仙、お祝をする家が五十仙、他部落の御客さんも二五仙の会費で全部合同祝賀会場に案内した。

☆喜名新生活の趣旨を徹底させてふたたび合同生年祝に、

喜名では二月十日(旧一月三日)午後二時より公民館において今年亥年生れの六十一才のお方六名、七十三才の古稀祝のお方五名、八十五才の長寿祝のお方一名合せて十二名の合同生年祝が青年会、婦人会、成人会の余興を鑑賞しながら盛大に催うされた。ここ喜名の部落では一九五五年に初めての合同祝が挙行されたところ、区民に合同祝の真の趣旨が知られ得なかったのか銘々家庭でも華美にお祝をやるなどで結局二重負担になり、新生活運動どころか、かえって冗費だと批判があり喜名区の合同祝は不成功に終って、新生活運動は机上の空論となり合同祝の実施は半ば断念されていたものであるが、今度の合同祝は区民一致協力家庭におけるお祝は互いに慎んで公民館で皆なで楽しく祝うということになった。
 十三才に当る御子さん達は五三名で学校側と協議し五年生A、B組の学級P、T、A、を組織し会長宮平良幸氏と比嘉良信氏が発起人になり二月十四日午後二時より喜名小学校において父兄、教師、米人一般会員の参加によりそれに嘉手納航空隊米琉親善委員会による映画鑑賞や記念写真の撮影、記念品として辞典が贈

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