読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1959年8月発行 読谷村だより / 4頁

『石川市より読谷村の皆様ありがとう』 みなさんありがとう

『石川市より読谷村の皆様ありがとう』 
 永遠に忘れる事の出来ない六月三十日の午前十時三十分、それは石川宮森校にZ機が墜落した時であります。元気で勉強し、或はおいしくミルクを戴き笑み語らっていたその瞬間、あっという間の出来事、校舎がこわれ一面火の海と化し、多くの生命を失った戦後最大の惨劇事がおこった六月三十日。
失われた生命は帰すべくもなく遺族や関係者の心情は想像することも出来ませんが、民政府、立法院、行政府は勿論全沖縄住民が救済活動に全力をあげており十分なる補償がなされることを信ずるものであります。
特に私達読谷村の場合は多くの村出身者がいる石川市だけたに親戚縁者も多く罹災者も多かったのでありますが村民皆様の深い同情から救援活働に参加戴きました事を深く感謝申し上げる次第であります。
各字の区長さんをとおして拠出下さいました義捐金は総額で三二九弗八五仙でありましたが、その内一六四弗六○仙はZ機墜落事故災害対策本部をとおして残りの一六五弗二五仙は石川市読谷村人会をとおして被害者え見舞金としてあげたのであります。
石川の市長さんや、読谷村人会長さん、金城秀信さんその他罹災者の方々から「村民の皆様に厚く御礼申し上げて下さい」と役所にお見えになりましたのでこの読谷だよりをとおしてお伝えする次第であります。またとこの世の中にあのような惨事がおこらぬように罹災者の皆様が一日も早くたちなおるように、そして犠牲になった十七柱の御霊の冥福を全村民をあげてお祈りしたいと思います。

みなさんありがとう
 よみたんのみなさまおかわりもございませんでしょうか。
わたくしも、みやもりのついらくじけんのあとからもみなさまのおかげさまでげんきでべんきょうしていますからごあんしんください。
 こんなすこしのきずでもこんなたくさんの、おみまいきんをくださいましてどうもありがとうございます、おれいのおてがみもはやくおくるつもりですけどおそくなりましてほんとうにすみません、よみたんそんのみなさまにそんちょうさまでよろしくつたえてください。(原文のまま)
くによしゆきえより そんちょうさまへ

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