読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1959年10月発行 読谷村だより / 2頁

私達の村の人口は? 労働力人口と就業人口 実態調査より(2)

〔40号1ページの続き〕

した結果として先月号より紹介致しておりますが本月号は労働力人口と就業人口により本村の労働事情について記したいと思います。
 先月号年令階級別人口構成で述べた通り読谷村の総人口一八、九三二人に対しその六二、四%一一、八一七人が十四才以上人口すなわち生産年令人口でその六八、三%が労働力人口となっている。全琉の場合は一九五八年十二月末現在で総人口八四七、○○○人に対し生産年令人口が六一、六%(五二二、○○○人)労働力人口は七三、四%(三八三、○○○人)で読谷村は全琉と比較して生産年令人口は○、八%の強労働力人口は五、一%の弱となっている。
 労働力人口六八・三%(八、○六八人)に対して非労働力人口として学生、主婦、老人、病人及不具者等が三一・七%(三、七四九人)がいるわけである。労働力人口を男女の比で比較すると男五六・六% 女四三・四%で非労働力人口は男二二・四% 女七七・六%の構成となる。
 労働力人口中の就業者の状況を見るに産業別に区分するならば第一次産業たる農林水産業 第二次産業たる製造業鉱業建設業 第三次産業たる卸小売業 公務サービス業 運輸通信公益業 金融不動産業 軍作業と分類され就業者が第一次産業に五三・一%(三、八一五人)第二次産業に六・八%(四六五人)第三次産業に四○・一%(二、七二八人)で修業人口男四、一○一人女二、○七七人計六、八○八人である。全琉と比較すると第一次産業に一○% 第三次産業に三八%で読谷村もほぼ同型態にある。
 就業者を地位別に分類して見ると第一次産業の自営業主が二、二九九人(六三・六%)家族従業者一、二七九人(三五・四%)雇用者三七人(一%)第二次産業は自営業主二五人(五・四%)家族従業者一一人(二・四%)雇用者四二九人(九二・二%)第三次産業の自営業主二三四人(八・六%)家族従業者四四人(一・八%)雇用者二、四五○人(八九・八%)となり平均は自営業主三七・六%(二、二五八人)家族従業者一九・六%(一、三三四人)雇用者四二・八%(二、九一九人)となっている全琉の場合は農林業と非農林業に大別して農林業中自営業主八一、○○○人家族従業者一○八、○○○人雇用者二、○○○人となっている。非農林業においては自営業主四、五○○人家族従業者一七、○○○人雇用者が一二一、○○○人となっている。
 非労働力人口を分類すると学生八三八人 老人八一一人病人及不具者二○○人家事従業者一、九○○人で男八三九人女二、九一○人で男二二・四%に対し女七七・六%をしめている。その因は家事従事者の主婦と七○才以上の老人が男より女が二一○名多い所以である。
 以上述べた分析中特に読み得られる点は総地積の七二%も軍用者となり耕作地の縮少で悩みでありながら第一次産業(農業)就業者が五三・一%をしめているということは農業労働力の低位生産を示すものである農業労力の低位生産ということは農業人口に対する農業所得の関係において農業人口の一人当り収益が少ないことで農業人口の過剰を意味するものである。農業人口の過剰ということはそこに有業者という美名の下にカムフラージューされた就業者が不完全な状態で就業している者即潜在失業者が数少なくないことを意味するものである。
 又第三次産業が四○%の就業者率である因は軍作業就業者が一、八九六人(七○%)をしめているためである。軍作業就業者を年令階級別に見た場合二一才までが最も多く次に二六才から三五才までで軍作業就業者はほぼ一八才から三五才までの間に集中し、三六才以上はしだいに漸減し五○才以上は極少数である。この職業が琉球の労働問題から切りはなしては考えられないということは云うまでもない。
 次に労働力率を諸外国と比較して見ると日本が一九五六年平均六五%の労働力率に対し非労働力率三五%琉球の一九五八年末七三・四%は日本より八・四%も高く、米軍の一九五六年末平均五三・五%と比べると二○%も琉球の労働力率が高率となっている。この様に労働力率の高い要因は何処から生れるかというと琉球の経済事情による生産苦からどうしても家族多数就業せねば生活を推持することが出来ないのが原因と考えられる。すなわち琉球の現状は人口密度が世界一であり、それに人口の自然増加率がきわめて高くこれを賄う。生産業が少なくおまけに賃金も低い特に消費物価が高値となり家族を賄うとすると家族多就業をやらねば生活が推持出来ない現状である。老人がよく口にする。”倒れるまで働かねば活られぬ”という昔からの宿命はまだまだ縁遠しくないようである。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。