読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1961年3月発行 読谷村だより / 3頁

みんなでやる生活改善(8)

みんなでやる生活改善(8)
宮良国子(生活改良普及員)

五 一般には炊事場とフロ場とは近くに作ってあるのが多いのですが、地方によっては、炊事場は北の裏口に、フロ場は南の表口の近くにといったぐあいに、別々の離れたところにある農家もあります。そこでこれを改善して近づけると、
(イ) 薪置場が一ヶ所で利用できる。
(ロ) カマドの下をたきつけながらフロをたくのを見ていることができる。それで仕事がいっしょに出来る。
などの便利がありますし、さらに
(ハ) 水道ができれば、フロの方へもそれを引きこむのでフロ場の改善の気持ちがでてくる。
(ニ) 炊事場のカマドを直すついでに、フロのカマドも直そうということになる。
こうしたわけで台所改善といっしょにフロ場の改善をするところが多く、第二段の改善から第三段改善へと発展していきます。

六 台所がきれいになると、そのお台所でおいしい料理をつくってみたくなるものが人情でしょう。そして季節の料理の勉強や栄養への関心が深まって、食生活の改善への気持が自然に働いてくるわけです。
 ちょうどきたない身なりをしていると、気持も荒々しくなりますが、小ざっぱりした服装にかえると、気分もすがすがしくなるようなものであります。又婦人が和服を着ているときには歩きかたまでしとやかになり、洋服のときは起居ふるまいも活発になると同じように、人の心もその周囲の環境によってかなり影きようをうけるものであります。だから、きれいな台所ができたことが食生活への興味を誘導するのは自然の心理であろうとおもいます。
 もしこれを逆にして、台所が改善されていないで、料理の講習をいくら聞いても、それがなかなか家庭で実行できないし、食生活の改善へ進みにくいでしょう。なぜかというと、いくら料理のつくり方だけ習っても、家庭の台所がある程度便利になっており、器具がそろっていないと、手間のかかる料理は日常つくる気持が起こらないものだからです。料理の知識だけが進んでも、実際に行えないし、また、進んで栄養に注意を向ける気持ちも起こりません。諸団体が食生活改善の指導に努力しても、実を結ばないのは、それがたやすく実行できるような前提条件が欠けているからではないでしょうか。

七 台所がきれいになり、家の中が片づいてくると、便所のきたないのが気にかかります。そこでこの機会をのがさず、家族や、部落の人々の気持を便所へ向けていくと、案外順調に進みやすいのではないかとおもいます。回虫等人体寄生虫を駆除するには、どうしても便所の改良をして糞便の始末をしなければなりません。だから改良便所ができると回虫退治がたやすくできるようになるので、生活改善はさらに一歩、寄生虫の駆除へと進むでしょう。また一方、水道ができると水を使う量が多くなるので、どうしても排水のことを考えなければなりません。これまで排水の心配のないところは、「まあ、まあ、お金のかかることは」というわけで、かえってこれ以上前進するのに骨が折れますが、排水が悪く難儀をしているところは、その苦しみが幸いして、これを放置するわけにいかないから排水路をつくろうという話が割合まとまりやすいものです。
 コンクリートの排水路が部落内にでき、汚水のたまり場などがきれいになると、蚊の防除や、さらに便所の改良と併行してハエの防除にも役立つでしょう。こうして環境衛生の問題が一つずつ片づいていくものとおもいます。
 生活改善の仕事をやってみて、わたくしは人の気持がだいたい以上のような経過で働いていくようにおもいます。そこでこのような人の気持の流れをよくつかんで、生活改善に関心のうすい人々に積極的に気運をつくることに努め、また、あるときは激励して、勇気づけていくならばなんといっても人の気持の流れに沿っていくのですから、改善は無理がなく、わりあい順調にいけることとおもいます。
 もちろん、以上は原則的な順序であって、機会はどこへも一律に訪れるものではありません。たとえば自然の災害、伝染病の流行などの不幸が突然くることもあり、その与えられた禍を逆に福に転ずるには、この機会をつかんで環境衛生改善への自覚を高めるとか、水道の問題を持ち出すとか、ときに臨んで自在に創意工夫をすることが大切でありましょう。
八 生活といえば衣、食、住といわれるように、ふつうこの三つは切りはなせぬもののように考えられています。それにもかかわらず、わかたくしが先にあげた改善の順序のなかには”衣”の部門が抜けています。それで衣生活の改善はどうなるのかという御質問があるかも知れません。衣生活の改善について、わたくしは次のように考えています。すなわち、わたくしは生活改善の方法を
(イ) みんなでやる改善
(ロ) 個人の工夫でやる改善
の二つに分けて考えています。
そしてこの二つのちがいはどこにあるかというと
(イ) みんなでやる改善=協同-非個人的-画一的・事務的=生活政策の分野
(ロ) 個人の工夫でやる改善=個人-個性的-創意工夫=生活論の分野
 わたくしたちは自分ひとりで生活しているのでなく、みんなで社会をつくっているのでありますから、個人の生活にはいろいろな社会的つながりがあり、これを改善するについても自分ひとりだけではできないこと、あるいはできても周囲との調和がとれず、摩擦とギセイが大きく、その割に効果のあがらない場合が多いのであります。
また、貧しいものが生活改善をするには、協同によってはじめてこれができることもあります。このようにみんなでやる改善は、行政官庁が政治的に援助することが必要で、これは行政官庁の行うべき生活政策の分野であるともいえましょう。そしてこれは、みんなでやるから協同してやらねばなりません。また、大ぜいでやるのだから個性のあるものはできません。個性のないものを、画一的、事務的に行われることもまた当然でありましょう。たとえば、簡易水道はその設計や工事に個人の趣味など個性のはいるべきものではなく、だれがやっても同じの画一的、事務的なものであります。
また、回虫、蚊、ハエの防除でもそのとおりで、防除の方法は科学に基づいて一定の方式で行われるものであり、個性の出しようがありません。そして、これは一人一人がバラバラでやったのでは効果はうすく、みんなが協同でやってはじめて成果があがるのであります。 ところが万一、個人の工夫によってやる改善は、各個人がめいめい自分の趣味や個性を生かし、自分の創意と工夫によってやるもので、画一的であったり、他人の物マネでは生活にうるおいも、おもしろみもありません。新時代の生活原理を基調とし、個人がやる改善の分野であります。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。