◇みんなの力で 老後の余生を、しあわせに◇
としよりは、幾星霜もの長い間、社会のため、家のために、挺身されてきた功老者である。
それにかかわらず、老人福祉問題に関して、一向顧らないで、放置されている現状は、琉球財政基盤の脆弱性に起因すると思うが、余りにも腑甲斐なさを痛感するのは、筆者に限らないと考える。
昭和二十五年、社会保障制度審議会の勧告による、社会保障とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老令、失業、多子、その他困窮の原因に対して、保険的方法、または、直接公の負担において、経済保障のみちを講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって、最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び、社会福祉の向上をはかり、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることとされている。
しかし、沖縄では、一九五三年から、社会福祉事業法、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法等、社会福祉関係法が施行されているけれどもようやく、生活保護の極く低い基準の生活扶助を受ける、老人が含まれている程度の域をでない。
老人福祉事業について、現在そこまで財源に余裕がないというものの、殆ど関心がはらわれてないことが、現行制度からうかがえる実情である。
本土においては、昭和三十四年から、すでに、国民年金法が施行され、老令年金を含む福祉年金は、昭和三十六年四月一日から、必ずしも拠出制でなくても、完全施行される段階にきている。
しかし、拠出制年金制度に関しては、その方法について、活発に議論がかわされ、保険料、年限給付額、資金運営等が真剣に検討が重ねられつつあり、また経済伸張の見透し等も関連して、早急に、大きく期待するのは尚早であることと、年金額が僅少であることで、各府県、各市町村、独自で、あるいは市町村と府県が協力し、国家的事業と平行して、無拠出制老令年金(敬老年金)制度の実施に踏み切った地方公共団体が相当数あり、大きな進展を示している。
府県、市町村が自主的に各々の団体の意思と責任において、たとえそれが、国のなすべき事情であるにせよ、ささやかながら、地方団体が新しい施策として、社会福祉増進を図る、その意欲に、地方自治の発展を見出すとともに、国の社会保障制度確立の鞭撻に大いに役立つものであり、学ぶべきであろう。
さて、読谷村には、八十才以上の老人は、男八十人、女一四二人、計二二二人(一九六一年五月一二日現在います。)
老人は、はじめに記したように、長い年月、風雪に堪え、社会に貢献し、かつ己を全うされて、いまなお、かくしゃくとたちはたらいて、いらっしゃる者もいるけども、どなたも、それ相当の使命を果してこられたのであるから、その老人にしあわせに余生をおくってもらいたいと願うのは、至極当り前である、また、お互いの当然の責務であると思うのである。
しかし、沖縄の老人福祉事業の現況は毎年九月の老人福祉週間の頃に、思い出したように、例によって、笛吹けども踊らず式の週間行事のみに、終始する、なげかわしい状態である。
けれども、時代は社会保障制度の確立、福祉国家建設等と強く要請される今日、沖縄の現状、並に財政基盤を考えると、それが実施される見透しは、全く五里霧中である。
ところで政府が実施する目処が、なお遠いからその時期がくるまで、手をこまねているということは、自主、独立性を有する地方自治体として、充分、考察さるべき事象である。勿論、地方公共団体が、新しい行政を推進するにおいては、財源の問題、その他の事業との暖急度の問題、特に、この種の老令年金に関しては、その他社会福祉との関連、あるいは、政府機関との連絡調成、年金制度の