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1961年9月発行 読谷村だより / 1頁

本土の視察研修報告書(其の四)

本土の視察研修報告書(其の四)
代表 池原 昌徳

 埼玉県北埼玉郡騎西町

 騎西町は、埼玉県の北部に位し東経一三九度三四分、北緯三六度六分にあって、昭和二九年から三○年にかけて一町四ヶ村が合併したところで、現在では、東西九・三粁、南北八・四粁、総面積二八平方粁、世帯数二七○○、人口一五、三○○名を示し、関東平野の一部の属して、平坦地で農作物に適し、水田多く約八○%が農業経営を主とする町であります。
 東京から汽車で北西に走ること一時間余り、沿線に点在する住家や、広がる麦畑、畔間には若葉したたる梨と桃の果樹園、なす、きうり等蔬菜栽培のビニールハウスを眺めているうちに議会活動の模範な、そして「玉の藤」で有名な騎西町に着きました。
 本町は五月一日から十五日まで恒例の「藤祭り」が盛大に催されるところだけに、新しく建てられた役場には、近代的な庁舎がそびえ、庭園には見事な藤が、初夏の息吹きをこめて早吹きの一枝も美しく、藤の花は有名であり、とりわけ町民生活と藤は深いつながりをもつゆかりの町であります。
 早速加藤町長、松井議長はじめ関田助役、その他幹部多数に迎えられ町行政及び議会運営について御説明を願った。
 本町の行政機構は総務課、住民課、産業課、民生課、税務課、土木課、会計課、国保課の八課に組織され、町長以下五八名の職員がおり、更に議会事務局職員二名、教育委員会事務局四名、農業委員会職員四名、保育所職員五名で計七三名の職員によって町行政が執行されております。
 議決機関である町議会は二六名の議員により構成され、その中に総務委員会七名、財務委員会六名、民生委員会七名、産業委員会六名の四つの常任委員会が設けられております。
 議会運営は本会議重点に開かれて、委員会活動は活発でないようであります。定例議会は年間四回で三月、五月、九月、十二月に開くようになって、臨時議会はその他の月に開き、それで毎月一回は必ず開かれるようになっています。
 議会のもち方については、先づ町長よりの招集告示が行われると議長は町長から議案を貰って招集通知と同時に議案を、各議員に送付する。議案を受け取った議員は、各自研究し、質問や意見等があれば文書をもって議会事務局に開会の日前、正午までに提出する。事務局に提出された議員の文書は、直ちに町長に送られる仕組になっているので、町長は充分に検討して議会に臨むそうだから答弁に窮することなく明確な答弁が出来、議会がスムーズに運べるとのことであります。
 以上の方法により執行機関と議決機関が、その立場と責任を重んじるようにという考えのもとに議会の運営がなされているので議案否定、審議末了等は一件もなく若干の修正はあるが、提案権を侵害するような修正や再議に附された議案等は皆無も同様であります。
 ところで、このような方法に対しては一面妥協的だ、とか、或は馴れ合い政治だとか、批判されがちで、しばしば弊害を伴い、危険性をもつものであるが、要は人と人との問題であり、その当事者同志の良識と人格の度合が、良否の結果をもたらすものであろう。
 現町長の加藤藤吉氏は長年役場に努め助役から昇格した信用の厚い人格者であり、議長の松井勝蔵氏も三期に亘り議長に推された人望家である。
 町村合併後、浅い才月でありながら和衷協力の信条の下に新らしい町づくりに取組んでおられる御両人の姿は実に頼もしく、やがて満開するであろう藤のように限りなき発展に躍進されんことを祈りながら帰路に着きました。
 以上で本土六ヶ町の個々の報告は終わりますが総体的の感想についてふれて見たいと思う。

(一) 行政事務について
 現在市町村行政の課題して取り上げたいと思う点は、行政事務の合理化である。この事務合理化は各市町ともに熱心な研究が進められているが、実際の改善に着手しようとする場合、どのような方法で改善したらよいか、容易なことではない。
 例えば戸籍、住所登録、転出入、出生、死亡、衛生、労務管理、印鑑、土地、家屋、諸税等その他の受付及び証明或は住民に接するいろいろの事務は、同じ役所内で行われる事務でありながら、実際は各課に別れ、十数人の係で分掌しているため事務量の増大と、はん雑を来たし、またわざわざ役所まで来たのに係不在のため用が足せない事も、しばしばあって住民にとっては、役所の仕事は面倒なものであるという印象を与えてはいないか。
 これまで形式的に流れがちであったお役所仕事を、住民の立場から、もっと住民の利便を考え、早く、正しく、気持よく事務処理が出来るように考えて見たい。
 この点本土町村においても共通の問題であり、行政

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