読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1962年10月発行 読谷村だより / 3頁

「読谷村総合競技場建設の為の要請」

〔76号2ページの続き〕

 私たちは、終戦間もない一九四六年に帰村が許され、焼野原となった村の建て直しに立ちあがった。然し、文通の不便、食糧事情の悪化等幾多の悪条件の重なる下で、村民は希望を失ない、日夜不安な生活をおくっていた。その苦しい中の一九四八年六月、スポーツ愛好者が集まり、希望を失なった村民に、スポーツによって希望を与え、明るい村を建設するんだという意気にもえ、他にさきがけて読谷村体育協会が設立されました。爾来十五年困難な世相の中にあって年々発展し、今日の隆盛を見るにいたったのであります。
 健全なる肉体と健全なる精神を養成するスポーツは、年々盛んになってきましたが、競技をする場所と設備が不十分で、充分な練習も出来ない状態であります。体協創立十五周年を記念して、是非共村の中央グラウンドとしての総合競技場を建設し、その設備を充実するために、各種団体各階層が参加し、全村民で競う読谷村体育協会十五周年記念大会の機会に次の通り関係当局に要請したいと思います。
要請文
健全なる肉体と健全なる精神を有する村民の育成を目指してスポーツの振興を図り、明るい読谷村建設の為に総合競技場として、現読谷小学校のグラウンドを四百米トラックに拡張し、読谷村総合競技場しての設備を完備してもらう。右読谷村第十五回陸上競技大会の名において要請する。
一九六二年十月十四日
読谷村第十五回陸上競技大会
宛先
読谷村長 知花成昇 殿
読谷村議会議長 知花平良 殿

※大会成績表(トラックの第一位のみ、フィルドの第一位のみ)については原本参照。

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