読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年1月発行 読谷村だより / 4頁

第六回生活改善グループ実績発表会より グループ活動と我が家の生活改善 一、生活改善実行グループについて

第六回生活改善グループ実績発表会より 
グループ活動と我が家の生活改善 
波平生活改善グループAグループ 知花澄子

私達のグループは一九五五年五月に結成されたので御座います。家事が忙がしくなるとただ夢中になって仕事に追われ何の為にグループ員になったかも忘れて忙がしい毎日を過ごして参りました。しかし発表会が催されると今更思い出したように定例会に出席し今迄の暮し方を反省してみたりしてようやく衣、食、住の問題を取り上げる事が出来ました。
当時は私はグループの連絡員に当てられましたが恥しいことには活動がどう云う内容のものであるか分からない状態でありましたが、先づやって見よう、その内に理解してくる事でしょう。等と心やすくお引受けをしたような次第で御座いました。
当時のグループ活動として衣、食、住の改善面に全員張切って、楽しかった事の反面辛い事も御座いましたが、過ぎればみなたのしい想い出で御座います。
先づ最初に衣の改善面から申し述べたいと思います。
手始にビニールパイプで子供用の手下げや大人用の手下げバッグ等を編みましてグループ員は何処へ行くにも必ず自分達の手で作ったのを自慢にしたものでありました。
次に活動的で便利な作業衣の作り方を習いまして家事は勿論の事、野良仕事になくてはならない衣服としてずいぶん愛用され仕事にも能率的な役割を果たしてくれ、次には茶羽織とだんだんとグループの活動が順調になって来て私もようやく組織内容が理解できるようになりました。そうしたグループ活動を続けながら食の改善、住の改善と次々年間事業計画を追って「ガムシャラ」に生徒の気分で明け暮れていましたので何のつかれも覚えませんでした。幸にして私達グループでやった色々の改善面や生活技術等も随分と周囲に広められ、改善グループの皆さんも兄弟姉妹のように個人的から家族的へと親しみを深くし定例会等で協議をして共同作業も行なっているので大変助かります。
そのようなグループで取上げた改善の効果を私の家の実施状況で申し上げたいと思います。私の家は耕地面積僅か三三アールで主にキビと芋の作付を行っています。
キビは換金作物として芋は養豚へ向けています。
養豚は五頭に、にわとりが五○羽で労力軽減に馬一頭を飼っております。年間の現金収入は主人の給料と僅かな土地料に農作物からはいるもので家計をやりくりしています。
主人が定職をもっているのでほとんど私が農耕地の仕事に従事しています。働き手は主人と私で外に老寄二名と中学生二年生を始め四才の末子と五名の子供で家族の構成人員計九名で御座います。幸にして私の手伝役に中学二年生の子供が分担で協力してくれますので炊事の事は助かっています。
さて私の家の生活改善面はまだ充分とはいえないが二、三件申し述べて皆さんの御批判をいただけば幸に存じます。
私が常日頃困っている問題はおいしい味噌を作る事が出来ない為に主婦として体面的にも経済的にも考えなければならない状態でありました。日常生活でなんと云うても一番数多く使う味噌でありながら元来お味噌は姑さんの業務として嫁に来た当時からお世話になっていましたので私は若い者のやる仕事ではないかのように当然としてなれきっていざ炊事の時となってからも栄養価のことも考えず使うことしか分からないありさまで御座いました。改善グループ員になってから次第次第に色々な勉強をして行くうちに、自分達の食べている味噌の存在がわかるようになりまして何とかして自分の手で栄養価のある味噌を作って見たい。そうして一日も早く実現出来るようにあせって居りましたが、しかしよく考えて見るとこれまで姑が作って下さった味噌を無駄にして俄かに作ったとしたら、結果的には決してよくない。
又作ってある味噌は向う一ヶ年分も保存されているし、姑に対しても済ない事になる。
そうした私の意識も暫く時期を持つ事にして思いとどまる事になりました。幸にしてその頃グループで作業衣の改善に活動していました関係、早速とその方へと努力しました。
戦後H・B・Tブームで私の家にもひとしく通用していました。
物資が現在のように、ぜいたくでないときだけに恰好の悪さも考えず両股にぶらさがっている大きなポケットを取りはづし短かくして少々の無理もがまんし作業衣として家事に野良仕事にと布地の丈夫さをまるで自慢するかのように着用していましたので、私は早速と改良して働きやすい上にスタイルのよい事で二枚、三枚と持数を増やして行くうちに、それからヒントを得て次は子供達のズボン作成にと張切ったものでした。
又グループの皆さんも私以上に御熱心で思い思いのデザインを生かし応用力を発起しておられたものでした。
あれこれして居る中に、以前計画していた味噌作りもやっと実行に移す事となり、今更乍ら自分で作った味噌だろうかと疑いたくなる気持ちでいただく事が出来ました。次は住の改善面で御座います。戦後十年余りにもなっているのにかかわらず、終戦直後のあり合せの材料で建てた家屋も次第に資材が痛みかけ、台風が来る度毎に不安の生活でありましたが経済面の乏しさもたえて行かねばならないし不幸中の幸いにも家族は健康に恵まれていたが子供の数がふえて、家族も多くなるばかりで全く情けなくなり、これ以上のがまんが出来なくなって来ましたので思いきって家族と話し合いした結果、家屋を新築する事になり、土地条件上丈夫で永久建築のスラブ建を夢見る想いでやっと実現する事ができましたので御座います。
台所面はこれまでのかまどを改善し明るい窓に、調理台、立ち流しはタイル張りにし永年の理想だった路線にやっとたどりつく事が出来ました。
以上が私の家の実施、改善状況で御座いました。

今後の方針について
生活に明るい希望と余裕を持ち出した事は私達農家の主婦として得がたい宝と存じます。これと云うのもグループ員がそれぞれ協力し合ってグループ活動が活発になった事は主人始め家族の理解力が深かったことで感謝にたえない次第で御座居ます。
次年度はもっと生活にウルオイを持つために完全送水設備をしようと家族と共に計画をたてています。
最後に本年も昨年度に引続きまして新しい家族作りの基盤となる健康で豊かな生活の向上をめざし、時代をおう子供達の教育面にうんと力を入れ更に改善へと努力し尚一層グループ活動にも家庭生活においても頑張って行きたいと思います。
本日私が此の壇上で発表させていただきましたのも改善グループのおかげだと感謝致しまして私のとりとめもない発表を終る事にいたします。
御静聴ありがとう御座いました。

一、生活改善実行グループについて
一、グループ名称
波平生活改善Aグループ
二、グループの所在地
読谷村字波平
三 グループの構成
イ 構成人員 計十六名
ロ 対照別 姑 嫁
ハ 年令別
二十代二名、三十代七名、四十代四名、五十代三名
四、グループの結成年月日
一九五五年五月一日
五、グループの出来た動機
イ 主婦の考えで文化生活をねり入れるという話し合から。
ロ 経済力の乏しい生活から主婦の工夫次第で何んでも出来るという考えで。

(次号へ続く)

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