読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年6月発行 読谷村だより / 4頁

民主家庭生活の建設を目指して 大木生活改善グループ宮里清子

民主家庭生活の建設を目指して 
大木生活改善グループ 宮里 清子

 唯今御紹介いただきました大木グループの宮里で御座居ます。発表に移る前に私達部落の概況を御紹介致します

一 部落の概況
 私達生活改善グループは読谷村の南部に位置し、西には古堅小中校、東には読谷高校と教育環境に恵まれた立地条件におかれて更に六号線を背後に交通の便にも恵まれている。戸数一○五戸総人口五四一名の至って質素な部落であり、大部分が農業と軍作業によって生計を樹て主婦は主に養豚と養鶏を営なむ部落であります。ことに私達の部落は終戦後旧部落に復帰出来ない長田、牧原の外、古堅、大湾、比謝、比謝橋の一部の方が居住する混成部落であります。

二 結成された動機と致しましては、
 当時役所を中心にして北部と南部ではあらゆる面にその差が著しく生改グループの活動も北部の方では、四、五年も前から盛んで経験グループも御座居ましたが、それに比較して南部の方では一つのグループさえも結成されていない状態でありました。当時の普及員さんから「グループを作ってみたらいかがですか」とすすめられても返事の仕様がありませんでした。勿論封建的で不合理な生活から脱皮し、時代にマッチした生活の安定と婦人の知識の向上を願うのは、私達婦人の最大の誇りであり、理想でもありましたが、いざ結成となると精神的にいろいろな支障が生じ「果たして私達にグループの活動が出来得るか否か、又長続きするだろうか、更に途中で解散するのではないだろうか。」等と困惑致しましたが二、三名の方から「なせばなる何事も。」と励まされ、勇気百倍にしてグループの結成をPRしましたところ、わずか十六名の希望者が集い「お互いの幸せの為に又、明るい部落の発展向上の為に私達の小さな力で精魂を打ち込んで最後まで頑張ろう」と決意を新たにして一九五八年三月にうぶ声を上げる事が出来ました。

三 グループの活動
 敗戦時代からようやく立ち上がり、生活も、いくらか安定していましたが、生活の合理化や衣、食、住、の面は一向に改善されて居らず、尚グループ員もまったくの素人で衣、食、住を改善する事だけが生活改善の本旨だと思い、身近にある材料を持ちよって工夫し合いました。
その一例としてメリケン袋を利用して出来る子供着さつまいもを利用していも菓子や、いもマンジュウ等が各家庭でオヤツ代用として作られるようになりました。当時の私達の唯一の頼りは村からの伝達講習で中でも日常生活に直接つながりのある料理講習には、全員が馳せ参じ熱心に受講して更にそれを部落の婦人にも普及していきました。私達は自由に話合える場を作りたいと思い立ち、改善模合をうまく利用して非衛生的な台所の改善に力を入れました。
 さて、五九年から六○年にかけては主として部落行事の改善及び農村衛生思想の普及、農産加工等を重点におき、その問題解決に努めました。その一例と致しまして、長い間の部落民の願望でありました生年祝、出産祝等が合同で実施され当日の料理は勿論の事、余興に至るまで全グループ員が中心になってその任務を果たしました。
 次に農村衛生思想の普及で、いかに、衣、食、住の改善がなされても、非衛生では何の価値もありません。忙しい私達の大切な時間をさいて月一回の共同作業及び巡視検査、手洗い器等の共同購入をなし(婦人会を含む八十個)衛生に対する知識の普及(寄生虫等についてコザ保健所の山城さん)模範衛生部落の視察を行い(市川市の伊波及び山城部落、当村の長浜部落)その長所を学び取りました。
 次に農産加工について申し述べますと、農家でありながら農産物の加工知識が全くない私達は大部分が味噌や漬け物類をお店から購入して居りましたが現普及員さんの御指導の下に栄養価の高い自家制のお味噌を作りましたところ家族の者から大変喜ばれ現在も尚続けています。又食卓にはツクダニや漬け物が出され毎日の食生活に欠く事の出来ない保存食として重宝がられてました。その喜びを思い出す度に一家の主婦として、又一個の人間として生きる喜びを味わいました。
 次は衣の改善面として作業着等の伝達普及もあり、公民館を利用しての集いは、お互いにグループの親和に大きく役立って居ります。今までに実施された知識を土台にして、あらゆる面に奮闘し活動がなされました。布団の共同購入もこの時実施しました。なにしろ資金の少ない私達は農協から参百弗を使用し一括して購入しましたところなんと一枚から四弗の利潤があるのを知ってびっくりした程です。返済方法は模合によってなされその後も続けて実施しています。
 六十一年から六十二年にかけてはグループの組織活動にも理解力が豊富になり計画性を持ってグループ運営に一歩前進する事が出来ました。
技術面に於いては一段と向上しつつありピーズ編みや毛糸等の利用も多くなり、内職として用いられています。グループ員として働くかたわら特に子供の教育向上には全エネルギーを注いできました。
では次に私達グループの組織活動について述べてみたいと思います。勿論私達は一生改グループの団体である事はいうまでもありませんが、グループを末長く維持する為に又グループ運営の便をはかり次の部門を設けたのであります。
第一番目にレクリエーション部で、目的はお互いの和を求める為に作られたものでありますが、現在至る所で部落の諸行事に民謡歌手や劇団等を高い費用で買っていますが、これは新生活のルールに反した行いであまり関心出来ません。私達はいくらかでも部落の経済にプラスになれば幸いにと四ヵ年もの間頑張って来ました。字の方でも私達の積極的な功績を認めてその費用を運営費として当てています。
第二番目に教養部門で現在十名の方が籍をおいて居りますが、特に学童の教育面に力を入れて居ります。その例を申し上げますと、六一年に生徒の遅刻者が非常に多く七位という実に恥ずかしい結果で何とかその打解策はないものかと話し合いましたところ、時鐘を打つ事に決まり、全婦人会員に呼びかけましたところ喜んで協力して下さったのでグループ員の中から時鐘係を置き、朝の七時半と夕方の六時の学習時間を決めて、早速実施致しました結果新学期の統計では二位に上昇致しました。
生徒の自覚もあったでしょうがその普及に努めた主婦の力は大なるものがあります。そのかいがあって去る十月に地区警察署、防犯協会の席上で団体として表彰されみんな大喜びでした。第三に編集部門で主に知識の広場として親しまれて居ります。毎月一回名称「集い」を発行してグループや婦人会に対する要望事項等を各方面から検討して投稿します。それをみんなで批判し合うつまり発言力を養う為のものであり、誰でも投稿する自由が与えられています。唯今申し上げました部門はグループ員が中心になって研究を重ね周囲に及ぼす影響は勿論の事グループ運営もスムーズにいっている現状であります。

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