読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年8月発行 読谷村だより / 4頁

はなしのサロン

はなしのサロン
雨タボーリー
(1)水
生れ落ちるとすぐ生湯を使い、それから生きる日の限り、そして又人間一生の終にも死水を使う。人間生活に不可欠のその水、何の苦労もなく得られたその水をお金を出して買うという文明の非文明珍現象が現われた。
 金使いの荒いことを「湯水のように金を使う。」と言うのだが、はてさて、湯水さへ自由に使えない御時世とは。
 暗川、佐敷川、砂良原の湧水等々、祖先の使った清泉を拓いて下さる村のリーダーの方々の御苦労に感謝の念が湧く
 山本富士子の身体の四十パーセントは水だと言いますが、何もしいて富士子を言わないでもいいでしょう。妻も夫も親も子も皆同じです。
「雨タボーリー」「水呉ゆすど我がお主。」では、あまりにチエが無さ過ぎますね。願かけも悪くはありませんが。

(2)チビフイフイ
「スーリ読谷山人ヌチビフイフイ。」唄だが囃子だが何だかわかりませんが、そんな言い草がありますね。
 荷馬車さへ自由にない時代、吾々の祖先の多くがタルガーをテンビン棒でかついで那覇瀉原や泡瀬瀉原からチビフイフイ運んで来た。そのカッコ悪さを町方の人がひやかした言葉だと古老から聞いたことがあるが私は次のようにも考えたい。
 「唯一の換金作物である黒糖代がゲンナマになってフトコロにはいる大きな望みと喜びに胸ふくらませてタルガーを四挺も六挺もかついで、その重みにおしつぶされまいとテンビン棒に反動をつけてチビフイフイ運んで来ただろう。そして町方人の「スーリユンタン山人ヌ」とひやかす声も、我々の祖先には声援に聞えたかも知れない。雨にもめげず風にもしいない祖先のチビフイフイの姿はいじらしくも又勇ましい。父よあなたは強かった。有難うございます。近々、ラジオ、ドラマに仕組みますからお待ちかね下さい。」と、

(3)ヴアカンスの風
レジャーからヴアカンスに代った。レジャーは暇でヴアカンスは有給休暇だ。月給五○○弗のシビリアンと月給五○弗の吾々のヴアカンスと同じかなぁ?いや五○弗の吾々には、ヴアカンスは無いのだが、それをあるかのように宣伝するのが、マスコミのビジネスなんだ。「ヴアカンスを楽しむ」前に一寸考えないと明日は「泣くにナケンス。」になる。「明日は明日の風が吹く」と言うのだが、明日はヴアカンスの風が吹くかも知れない。「バカニスンナイ。」とおっしゃる方には、「ソレデヨゴザンス」としか言えないので「ゴザンス。」

(4) 銭紙をやく
 今年も銭紙を焼く季節がやってきた。盆踊の太鼓の音もやがてきこえて来よう。皆様方つつましくミタマ祭をおすましなるように。

一九六三年八月十日
知花広三

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