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1964年7月発行 読谷村だより / 3頁

町田助役退職

町田助役退職
 町田宗美さんが五月三十一日付で助役の任期を満了して退職した。同氏が役所入りしたのは昭和九年、ひたすら住民福祉の為に村行政に身を呈して三十年、時代の変遷と共に政治、経済、教育と諸般の行政事務が目まぐるしく移り変る中で、町田さんは人生の最盛期半生を役所に捧げ、その間、なつかしい想い出を残し、走馬灯のように甦る感懐を胸に秘めて、ここでお別れするに当り惜別の感胸に満ちて淋しさを禁じ得ないのであります。
 地方自治を進める上に色々な苦難も克服し、柔和なお人柄は職員に尊敬され、村民に愛されて常に職員をリードして村行政の円滑な運営に当ったその功績に感謝してお送りし度い。

 謹んで村民の皆様に御挨拶申し上げます。小生このたび助役の任期満了に伴い長年の役所生活を退くことになりました、顧みれば一九四六年十二月一日村役所の開設とともに建設隊の建築部から役所に配置替え村書記を拝命以来ここ十七年半七代にわたる歴代村長さんの御指導のもとに戦後の複雑な役所事務に従事して参りました。特に一九六○年五月には図ずも時の村長知花成昇さんの推薦により同月三十一日の村議会において全会一致の同意を得て本村助役を拝命したのでございますがもとより浅学非才のこのふつつか者をして大過なく任期を了えさせて戴きましたことは村の先輩の方々を始め村議会の皆様の御懇篤なる御指導御援助と常に村政の一線において各々その職責を重んじ活躍せらるる職員や歴代区長さんの御協力、更に村民の皆様が総ゆる面に御心からなる御協力下さいました賜と存じ厚くお礼申し上げます。さて「十年一昔」とよくいわれますが戦前戦後を通じて役所生活三十年の間には時代の変遷もはげしくかの平和時代から支那事変、そして大東亜戦争時体制下における役所の仕事も人手不足と相俟っていよいよ多忙を極め当時よく謳われた「海の男の船隊勤務、月月火水木金金」は艦隊勤務のみでなくわれわれ役所勤務にも適用されたのであります。かくて戦争は激さを増す一方で「一億一心」「欲しがりません勝までは」の合言葉も空しく遂に米軍の上陸によって、沖縄戦を最後に終戦を迎えたのであります。九死に一生を得た村民の殆どが肉親を失い、途方にくれたのでありますがこの苦難を乗りこえ文字通り灰燼と帰した村の更建に全力を結集し努力された結果当時夢想だにしなかった今日のような立派な住みよい村ができました。ふりかえってみますと本当に夢のような気が致します。このたび職を退くにあたって特に苦楽をともにした職員の方々とお別れするのは一抹の淋しさを感ずるのでありますが「逢うは別れるの始めなり」で是非一度はお別れしなければならないのであります。この愛情溢れる職員の心から寄せて戴いた御援助、御協力のもとに無事任期を了えることのできました事を私自身幸福に存じ又この機会こそ職を奉ずる者に与えられた道だと思います。職を退きましても一村民の立場から微力を尽し村の発展に協力する所存でございます。今後とも相変らず一層の御愛顧御交誼をお願い致します。終に村民の皆様がますます御健康で御繁栄あらんことを祈念致しまして御挨拶と致します。

一九六四年六月十日
町田宗美

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