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1965年8月発行 読谷村だより / 3頁

名所旧蹟 残波岬

名所旧蹟 残波岬
 今月号から村の名所旧蹟をたずねることになり、最初は上り口説で有名な残波岬をたずねたが、今では見るからに戦争をおもわせるような実弾演習がなされ、信じがたい現実へのレジスタンスを感じることしきりである。
上り口説といえば支那の康キ五十年、琉球大飢饉の時に薩摩へ琉球民族の生活を左右する陳情を行うため派遣された、使者達が行く手は魔の海であり、生きて帰れるだろうかと、観音堂、大道松原八重幡崇元寺、を二度とこの街道を歩けるだろうかと、つききれぬ思いで別れを惜み船は三重城、残波岬、伊江島と沖繩本島を離れて、行くという歴史的背景によって、上り口説が誕生したそうだ・・・・・・。
二十世紀の今日、薩摩(かごしま)へ行くには・・・
一、旅の出立、民政府、千手(せんて)アメリカ、伏し拝で黄金パスポートたちわから
一、立ちゅる煙や祖国復帰 まねく扇子や 日本国 ナイキ基地も 後に見て
と歌ったであろう。

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