読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1965年12月発行 読谷村だより / 2頁

1965年動き

1965年動き

隆子ちゃん圧殺事件
 忘れることの出来ない六月十一日住民の不安と恐怖が予想された通り現実として発生し、いたいけな尊い人命(棚原隆子嬢小学校五年生)が貨物降下演習中パラシユートつきトレーラーによつて圧殺された悲痛極まりない事故に対して怒りと憤りをもつて抗議し二度と斯様な惨事が起らないようこの地域での貨物降下演習を即時禁止するよう抗議した。

村営保育所を開所
 本土政府の援助金一万一千ドル余とそれに村負担六千六百ドル計一万七千ドルを投じて造られたもので収容人員が乳児二十人、幼児三十人に対して乳児   人、幼児  人が八所毎日たのしい一日を過している。又働く婦人が安心して子どもを預けられるとともに幼児教育の面からも多くの方から喜ばれている

 マツシユルームは和名ハラタケと称され、十七世紀の末頃、フランスにおいて栽培されるようになり、今では栄養価の高い作物として有望視されている。
 栽培方法も家内工業的な性格をもち、家族労働を有効に分配する副業として奨励している換金作物である。

 一九六三年九月親志砂良原に果樹園事業を始め亜熱帯果樹栽培と母樹園、苗圃を造成して、村内の各家庭は勿論、山林、原野等を利用して強力に果樹栽培を進めている。
 今では柑橘種、パパイヤ、バンジローなどの果樹が栽培され、やがては読谷村の名物となることでしよう。

立法院議員選挙
 今回の選挙は戦後二十年という時点において、かつてない激戦となつた。読谷、嘉手納の第十選挙区においても与党、野党の一騎討とあつて選挙人の関心も高まり投票率も全琉の八三%をはるかに上まわる九四、九%と言う好績を示し第十区においては現議員の知花英夫氏が当選した。

読谷山花織を再興
 読谷山花織は今からおよそ二百年前南方ビルマ、印度の影響を受けて出来たものである。
 花織は地機に紋そうこうをつけて織るので特殊な技術を要する戦後はその製作者も少なく、ほろびつつあるのをこのほど再興することが出来た。

第一回老人大会
 読谷村老人クラブ連合会では第一回目の老人大会を催した。
 大会は一、健康増進に努めましよう。二、修養に心掛けましよう等五つの大会宣言を採択、引き続き老人福祉法の制定、老人福祉年金支給促進に関する請願決議を採択、行政主席、立法議員長あて請願することになつた。

クリスマスプレゼント
 クリスマスプレゼント読谷村琉米親善委員会ではこのほど村内各小中学校にクリスマスプレゼントとしてサツカーコート、野球道具ハードル、そのほか運動用具、学用品など約千ドル相当の贈り物があり関係者から喜ばれた。

※写真は原本参照。

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