読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1966年12月発行 読谷村だより / 2頁

抗議決議文に対する 第三一二空軍師団よりの解答文

〔113号1ページの続き〕

本官は心から残念に思つております。
(三) この遺憾の意と共に、在沖空軍当局と致しましては、読谷村住民の安全と安寧の重要性を充分に認めるものであり、かくの如き不慮な事故が降下演習の際に再び発生しないようにこれまであらゆる実行可能な安全装置を施こして来ましたし、今後とも施行することを本官は約束するものであります。
 例えば、一九六五年六月十一日の事故の結果、空軍は読谷飛行場に於けるすべての重量装備の落下傘降下演習を永久的に停止しました。これ以来、読谷では重量装備の降下演習は実施されていません。又、警報装置と照明施設が設置されるまで、あらゆる降下演習も中止されました。この装置や施設は一九六六年十一月二十九日の事故のあつた当日作動しておりました。
(四) 一九六六年十一月二十九日の事故に鑑み、且つ又安全性が降下演習にとつて極めて重要に考慮さるべき事柄であるので、本官は、第三三航空救助中隊がその落下傘降下演習に際してかかる不測の事故を再び惹き起こさないようあらゆる予防策を講ずるまで当該中隊の降下演習を一時的に中止させました。
 尚、読谷飛行場の警報装置、照明施設、並びに降下演習を行う他の部隊が用いる安全手段も心然的に再調査し更に強化されることになつています。
(五) 十二月二日の会合で十一月二十九日の事故について協議致しましたがこゝで再び次の二点について述べることは十分に意義深いことゝ思います。第一は、読谷村当局が在沖米空軍は「約束を違えた」とか「協定を破つた」などと発言したようですがその結果、誤つたニユース報道が伝えられたことは私個人としまして極めて気にしているところであります、このような不幸な出来事の場合は、すべてこれに機関の責任ある言行のみによつて相互の理解や意思の疏通が図られ強化されるものであります。第二は第三三航空救助中隊が危険に直面しながらも疑いもなく多くの琉球住民の人命を救助した事を我々関係者はこゝで新に想い起こす必要があると思います。この一ヶ年間、第三三航空救助中隊は度々その救助装備の損失や隊員の危険をかえりみず、四十六回にもわたる救助飛行を遂行し、その多くは離島から住民を沖繩の病院施設に空輸しているのであります。
 このような人道的使命も、十一月二十九日の事故当日に行なわれていた訓練を救助隊員が日常頃行つていればこそ可能であるのであります。
(六) 繰り返して申しますが読谷飛行場周辺で重要な軍事演習を行なう場合、空軍は最善の努力を払つて降下訓練による事故の発生を最小限度にとどめるということを本官はこゝに重ねて貴殿に約束するものであります。第三一三空軍師団司令官
   J・T・ロビンス少将
読谷村議会長
    知花 平良 殿

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。