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1968年7月発行 読谷村だより / 3頁

救援金ありがとう ボリビア村人会長から便り

救援金ありがとう ボリビア村人会長から便り

村では、去る二月、大水害におそわれたボリビアの同胞を救おうと村ぐるみの救援運動を展開して募金をつのってまいりましたが、去る四月九日、一般募金一、〇六三ドル〇五、窓口募金六ドル、読谷中学生徒会募金五七ドル八六、村からの見舞金一、〇〇〇ドルの合計二、二二六ドル九一の救援金を第一コロニア読谷村人会に送金いたしました。
これに対し、去る五月二九日付で第一コロニア読谷人会長の島袋常盛氏からお礼の便りがとどいていました。お知らせいたします。

拝復
 池原村長を初め、村民の皆様には御健勝にて御活躍の事と存じ上げます。
 当第一沖繩移住者の浸水害については早速御見舞いを戴き私達一同心から感謝致しております。
 すぐに御礼状を出すべきところ今日までのびのびになりましたこと誠に申しわけありません。深くおわび申し上げます。
 さて、一応当時の状況を御説明申し上げます。
 最初の浸水は二月六日、この浸水地域は二ヶ年に一度の割で浸水はしており例年ならば浸水もたいした事でなく陸稲は豊作し喜ばれてさえおりました。
しかし 今年の場合、リオグランデ河上流において異常降雨があり一度は引いた水が次々と浸水を続け、コロニアの北部地域一帯を覆う羽目にいたり、比較的高台に当る組合本部周辺の知人宅、学校などへの避難を余儀なくされ当時避難戸数一三〇戸余、第一コロニアの過半数が避難したことになります。
その間、対策本部を組合事務所に置き、事業団沖繩事業所長、メトヂスタ教会牧師、カトリックの神父、組合役員が昼夜つめかけ情報収集、緊急時態に対処する方法を講じ、又青年隊は全員一体となり救助、出荷作業が続けられました。一時は地域外への全体移動のための配車、班の編成もされ移動さわぎもありました。さしもの大水もほとんどなくなりましたが、くぼちにおいては今も水が溜っておりますが、大多数の者が自分の土地に帰っておりますしかし三世帯(祖慶実造、喜友名政秀の二世帯の村出身者が含まれている)が第三コロニアに移住し、十四世帯(内村出身者、与那覇次郎、儀間次郎、比嘉武雄の三世帯)が今期の営農が不可能になり、ひとまず知人の土地を借用して再起をはかっています。
 当地においては領事館に水害対策本部を置き、領事が本部長となり、内外からの見舞金は本部を通じ、組合の申請によって罹災者の生活、教育、医療衛生などの補助がなされつつあります。村からの見舞金は村人会で受領し、皆で協議の上平等に分配する事になり、そのように致しました。
今年の場合、水害のみならず、異常旱魃でもあり、皆が苦しい立場であります。然しながら皆様の物心両面からの激励により奮起努力し、将来において必ずや皆様の御厚情に報ゆる覚悟でおりますので村民の皆様にもよろしくお伝え下さい。
 最後に貴殿をはじめ村民の皆様の御健康と読谷村が益々発展されんことをお祈り致します。            敬具
 一九六八年五月十日
    読谷村人会長
          島袋 常盛
読谷村長
  池原昌徳殿
  村民一同殿

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