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1968年12月発行 読谷村だより / 1頁

知花英康 当山真志 両先輩 勲五等瑞宝章を受賞

知花英康 当山真志 両先輩 勲五等瑞宝章を受賞
□・・・日本政府は、さる十一月三日付で、昭和四三年秋の叙勲及び賜杯の受章者を発表しました。今度受章された人は全国で二、六三一人で、その内沖繩関係者が二〇人も含まれ、読谷村から、知花英康氏と当山真志氏のお二人が勲五等端宝章を受章した。・・・□

 知花英康氏は、大正の初期、読谷村が白黒闘争にあけくれ、村政がこんらん状態にあった時、村長に任命され、大正十一年まで十ヵ年間村長を務めた。
在任中は「和衷協力」で村民の一致団結、学事の奨励、納税奨励の諸制度をつくって村勢を振興し躍進読谷村の基礎を築いた。
 戦後は一九四六年四月、村民が避難先や収容所で不安な毎日を送っている時、戦後初の読谷村長に任命されたので、さっそくコザに読谷村仮役所を設置して村民の移動を促進し荒廃した読谷村の建てなおしに奔走した。以後農業基本施設の再建、経済、文化、社会福祉の増進に終始指導的な役割を果すとともに地方自治を振興し、今日の読谷村の繁栄の基礎を築いた。
   波平出身 八十七才

 当山真志氏は読谷高等小学校を卒業するとともに向学にもえ、進学しようとしたが家がまずしく進学できずに渡ケ次小学校で給仕をしながら独学を続け教員検定試験に合格した。読谷尋常小学校を皮切りに教育界にはいり校長に進み終戦まで教育界に奉職した。
 戦後は読谷村長を一年半努めたあと、政界に入り立法院議員を二期務めた。
 同氏の業績は、子弟の教育および沖繩社会文化の発展と幾多の優秀な人材を社会に送り出した。戦後も戦乱で失なわれた学校施設の拡充整備、教育行政の基盤をきずくなど郷土の秩序回復、子弟教育および文化社会の発展に尽した。
 読谷村瀬名波一一五 七八才

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