はなしのサロン 成人の日に思うこと 渡具知 大湾安子(75歳)
今年二〇歳を迎えられた若人の皆さんおめでとうございます。私は、毎年成人の日になりますと思いうかべることがあり、このたび「広報よみたん」に投稿する機会を得ましたので筆を取らせていただきます。
戦前は二〇歳ともなれば若者はみんな徴兵検査を受けなければならなかった。たしか、昭和十四年の頃、私は婦人の方々といっしょに徴兵検査を受けている所の参観を許され、司令官の横に坐って検査の模様を始めから終りまで見ることができました。その時のことです。私たちの目の前に三名の青年が弱々しい力のないような体で、アバラ骨もつき出て痩ほそり、ただ目だけキョロ、キョロさせ、私たちは、これはてっきり徴兵忌避の人たちが罰せられているのではないかと思いました。だが、胸囲、身長、体重とすばやく検査して幕の中に入って行ってしまった。若者等は「義勇報公」と書いた手拭をカナビビキ糸で腰にくびってフンドシ代にした青年や、真裸のまま両手で前の部分を隠して震えあがっている青年も見られた。また、フンドシを締ている青年の中にはフンドシの紐通しを一糎位の針目で黒い糸を使って縫ったものや、白い切地に白の糸を用てきちんと縫ったフンドシを身につけた人もいた。脊丈、体格、私たちが見ても上等だといいたけな青年も中にはいて、この青年司令官の前にいでた。司令官は腰の長太刃を「ガチャン」と直立「ヨシー甲種合格」。青年はよろこばしそうに検査を終えた。このように私たちは徴兵検査の状況を見ることができ、終りに私たちは司令官に一礼をして外に出た。婦人会
の皆さんの顔を見ると皆泣いていました。いつの時代においても親の愛情には変りなく、きっと戦場にかり出される子供たちの姿を想像して涙を流しているのではないかと思いました。ある母親は「私の家にも来年二〇歳になる子供がいます」私は今から「さらし」を買って白い糸できれいなフンドシを縫っておきます。と大粒の涙を流していました。
戦前「沖縄」という雑誌に志喜屋先生の書かれた文が思い出されます。志喜屋先生は関南中学の校長先生でしたが卒業して行く生徒に結婚写真を見せて「皆さんおめでとう。もうこんな夢を見ていることでしょう。と申したら、立ちあがったある生徒が「先生僕達の人生は二〇歳です。こんな夢なんか見るもんですか」。すなわち二〇歳プラス徴兵検査なのです。兵隊なのです。この文は今でも私の胸に焼きついて離れないでいます。
去年のある日、本土から一通の手紙が私の所に届けられました。手紙の中には「おばあちゃん、今年成人を迎えました」という内容の手紙といっしょに父と二人で鎌倉宮にお参りし、ももわれに結った日本髪で矢をもったしあわせいっぱいの着物姿の彼女の写真が同封されていました。彼女は以前、私の家に投宿した全く見知らぬ大学生でありましたが、今では自分の娘のように写真をいただいており、今日の平和な世の中の尊さを重んじています。その中でふと、戦前のあの子供たちどこで散ったのやらと偲ぶ昨今でございます。戦争のない平和な社会、現代の青年は幸福です。これからはよい環境を築きつつ
しっかりとよい人生を送って下さい。現代の元気ある皆さんの姿を見てありし日の事を偲びつつ筆を取って見ました。私たち老人もできる限り皆さんのお役にたちたいと思っています。最後に皆さんの良き人生の門出を心から祈念いたします。