読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1977年3月発行 広報よみたん / 8頁

はなしのサロン わが村賛歌 都屋382渡久山朝章

はなしのサロン わが村賛歌 都屋382渡久山朝章
 今回、はからずも私の歌詞が村歌に採用されたことは、私にとって誠に光栄の至りと存じております。
 前に古堅中学校の校歌を作曲し、村青年団歌の曲でも皆様に歌っていただいております。そして、この度は歌詞ということになりました。
 この歌が、わが村の村歌として、いつまでも歌われるということを考える時、その重要さに思いをいたし、作詞者として、身のひきしまる感がいたします。
 歌詞の大意については、広報よみたんにも掲載されていましたが、今少し補足いたしますと、一番は村の地域と、村民を歌ってあります。矢倉の嶺は読谷山岳とも呼ばれ、喜名校区を見下し、ここから読谷の朝は明けていきます。残波の里は渡慶次校区、比謝川畔は古堅校区を表します。朝日がさした座喜味城とその森は、読谷校区に影をうつします。朝日を浴びたこの美しい山、海、川と緑豊かな村こそ、二万四千の村民が生まれ育ったところであり、すばらしい和の村だ、ということを歌っております。
 二番は歴史と民俗文化を歌いあげました。
「大にし」は読谷の古称で、オモロには「崎枝」「よんたむざ」「大にし」と見えております。我が村は「大にしの遠い昔から、すぐれた先祖たちによって、すばらしい文化が創造され、それが見事に継承、発展させられて参りました。そして産業、経済、教育、文化等幾多の面で他村の魁(さきがけ)、範となっております。(以上については、他日この広報でくわしく紹介したいと思います)まことにオモロでいう「きこえ、よんたむざ、とよむ、よんたむざ」であります。ここではあまり多かったので二つだけを取り上げました。
 花織とアカインコがそれです。つまり、我が村の文化の花と花織の花をかけ、きこえ、とよむ(音に聞こえ鳴りひびく)ということを、インコの歌、三味線の声が高いということにかけたものであります。我が村は、まさに文化の花が咲き、内外によく知られています。そのあらわれが、昨年のタイムス自治賞受賞でありましょう。
 三番は、これからの村民の希望、胞負を歌いました。わが村では歴代村長さん方は、常に大村大和、和衷協力を唱導され、村政に携ってこられました。今後もかくあらねばならないと考えますが、「新しき世の訪れ」に対応して、特に協和向上としました。
そして地方自治体として、村民皆が手を取り合って、自治を推し進めなければならないと考えます。
 以上、歌の大意を述べて来ましたが、村民皆様が、この歌を歌いなれ、親しむことによって、更に深い、立派な解釈・味わいをしていただきますならば、作詞者として、これ以上の喜びはありません。
 字都屋三八二番地 渡久山朝章

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