この願いこの叫びを国政に反映させて 所有権回復を願い調査団に必死の訴え 衆院内閣委沖縄調査団来村 二、土地所有権認定の経緯 三、土地所有権認定作業の状況 四、土地所有権申請書の内容 五、土地所有権証明について
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二、土地所有権認定の経緯
戦争は日本の敗戦という結果で終結し、日本国は米国の占領下におかれたが、それより以前、沖縄は一九四五年(昭和二〇年)四月米国海軍政府布告一号(ニミツ布告)により米軍の軍事統治下におかれた。沖縄においては、土地関係公図公薄及びその他の一切の公薄は灰燼に帰していたため土地所有権の確認作業が急がれていた。そこで、米軍は一九五六年(昭和二一年)二月二八日付で、琉球列島米国海軍軍政本部指令第一二一号「土地所有権関係資料蒐集に関する件」を公布し、市町村を通じ土地所有権確認作業を開始させ、一九五一年(昭和二六年)六月一三日、琉球列島米国民政府布告第八号「土地所有権」にもとづき個々の土地について、所有権認定証明書の交付を行うようになった。
三、土地所有権認定作業の状況
土地所有権の認定作業は原則として各地主の申告を基礎にして、行われることになっていたところがら個々の土地所有者のほとんどは、自己の所有地の認定申告をなした。しかし、陸上における戦斗が熾烈に行われた沖縄本島においては、まだ多くの地主が避難先から元の部落に戻ることが出来なかった。また、布告、布令の趣旨が徹底していなかった関係から所有権認定申告をしなかったのも一部にはおり、このような申告もれの事例は今日においても存在している。特に読谷飛行場は沖縄戦の最中から引き続き米軍が使用していたこともあって米軍は同地域が日本国の所有になっているものと錯誤し、関係地
主の所有権申告があったにもかかわらず、それを否定したため所有権認定に至らなかった。
その後、一九五三年(昭和二九年)一二月五日布告二六号が公布され、沖縄における駐留軍は、同布告に基づき読谷飛行場用地を軍用地として確保し現在もなお引き続き使用している。
四、土地所有権申請書の内容
一九四六年(昭和二一年)二月二八日、琉球列島米国海軍軍政本部指令第一二一号「土地所有権関係資料蒐集に関する件」によると、土地所有権者がその所有権証明書を受けるには本人又は一定の代理人が申請をしなければならないのに日本政府は申請をなしていない。また、隣接地主二人の保証人の連署によって申請することになっているが、読谷飛行場の場合隣接地主の保証人の署名押印を欠いている。申請人のところに日本政府、日本飛行場、と記載されたものや、空欄になっているもの、隣接地主の保証人欄に土地調査委員の署名押印のあるもの等、所有権認定手続きそのものが極めて重大な暇庇を有している。
五、土地所有権証明について
日本政府は一九五一年、(昭和二六年)四月一日発行の土地所有権証明書により国有地として取扱いしているが、これに基づく土地所有権は創設的に認定されたものである。なぜならば読谷飛行場には接収以前六五〇名程の地主がおり、およそ一、七五〇筆の土地があったが、現在認定された土地は二四筆にまとめられており、大蔵省の資料による旧軍の講入となっていることをみた場合、二四名以内の土地所有権者と土地売買契約をしたことになり、現在の土地所有権証明書は創設以外の何ものでもない。
戦後行なわれた土地調査は、戦前からあった土地の所有権の認定作業であり、その確認を意味するものである。したがって所有権の創設であってはならないはずである。
読谷飛行場については、国は実体的所有権者ではなく、それは国自身が土地売買契約書等所有権取得を証する何んらの物的証拠を有してないということからも明らかであり、また、唯一の生き証人である神直道氏も土地売買契約は存在しなかったことを証言している。
※写真「この土地は私たちの土地です。国有地ではありません。」は原本参照