読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1977年11月発行 広報よみたん / 5頁

私が見て来た中国 玉城孝子(渡慶次出身)

 昭和五二年九月十二日午後一時三〇分、中華人民共和国へ上陸の第一歩。
 私達、日中友好九州青年の船の一行は、台風に追い立てられる様に日本を出発し、荒れ狂う日本海を渡って目指す「中国」天津港に入港した。天津港では、そこに働く人達と私達の世話を見てくれる通訳の人達に迎えられ、北京へ向う駅では相像に絶する子供たちの”熱烈歓迎”といいながら両手をあげて花を振る中を列車へ乗り込んだ。
 子どもたちの歓迎の声と瞳は、それこそ心暖かいもので、そのひと声、ひと声が胸にジ~ンと焼きついた。北京の駅でも同様な歓迎をうけ日中友交の重要さを痛感した。北京の町、はレンガが造りが多く、幅広い道路には数多くの自転車が行きかい、時折りバスやトラックが見受けられた。只、人の数多い
事にはまさしく驚き。まさに九億の民の住む中国だなあとびっくりもした。
 北京での最初の夜、北京市の革命委員会主催のレセップションに参加した。各テーブルには市の革命委員会の代表の方と通訳の人がついた。私のテーブルには女性の革命委員がついたが日頃日本に居して新聞を手にしながらもほとんど政治面に目をとめない日本の女性の多いことを思い。中国の女性の偉大さを痛感した。当初、社会情勢の異なった中国大陸。とかく広大な土地を持つ民俗芸能の盛んな中国を見ることができ・・・という安易な気持ちで臨んだことが、実際にこうして参歓活動研修を終えて見ると自分自身がいかに恵まれすぎた環境の中で育てられてきたかと痛感し、それと同時に社会に対する認
識不足をもいやという程考えさせられた。
 小学校では”紅小兵”が中学校では”紅衛兵”という兵隊の訓練を授業の中で取り入れてやっているということに驚きました。私たちは小さい時から、只戦争は怖いものだと教えられてきた。しかしも中国の子ども達は戦争は革命を成遂げる為には必要不可決なものだと教えられており、どの子にたずねても怖いと話す子供はいませんでした。これらの紅小兵、紅衛兵が日本でいういわゆる児童会の役目をしている事だと聞いた。
 広大な土地の中に九億の民が一致団結した時、世界をゆり動かす原動力となるのではなかろうかと思ったりもした。社会の秩序や文化に乱れの感じられてきた昨今の我が国において、日本人が我々若者が今、成すべき事は何んなのか…と。
 次代を担う若者が、青年が広い社会へと目を向け自分自身をみつめ、自分の地域、自分の国をみつめ直してみることの意義を、今、切々と感じずにはいられない。

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